カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

庭木と断捨離と

2020-11-18 11:39:57 | 日常あれこれ
 春先に、一度剪定していた「槙」の樹の枝葉が、ぼうぼうになってしまった。
 
 元々、鳥が運んだ種から庭に発芽したもの。

 大きな樹は、庭に植えないことにしていたので鉢植えに。

 大きくなりすぎて窮屈そうだったので、地植えにしたのが運の尽き。

 それから20年以上が経過した。

 西日の遮光と目隠しに一役かうようにはなってきた。

 
 (鳥が運んだ槙の樹)

 適当に放置するととんでもない事になりそうなので、10年くらい前から適当に剪定を始めた。

 数年前に、友人が脚立から落ちて怪我をしたことがあって、以来我が家でも脚立の使用は極力控えることになっている。

 ただ、樹の中心はカットして伸びないようにしているものの、天辺付近は届かない。

 高枝きりハサミで挑戦したが上手くいかなかった。

 脚立の途中までしか昇らないということで、用心しながら使用した。

 夏場の、軒先へのスダレ掛けと、この槙の剪定だけが脚立を必要とする。

 
 
 自分で言うのもなんだが、まあまあの出来だと自画自賛。

 これからは年齢と共に、それに比例して危険度も増ていく。

 断捨離は万人の悩むところだが、究極の断捨離は意外と庭木の処置。

 近所でも、空き家が2~3軒あるが、例外なく庭はジャングル状態。

 遠い親族や第三者機関が、手を入れてくれればめっけものといった状態。

 殆どの人が、生きている内に自分の庭木を処分することなどしない。

 よって、あまり大きくなる樹は植えないことにした。

 

 庭の北西の一角だが、ほとんど鉢植えのものばかり。

 奥の鉢を、手前の鉢の草木で見えないように配置する。

 手前は、リュウノヒゲなどを繁茂させ、鉢が目立たないようにしている。

 他の場所でも、大きくならない樹は何種類か地植えにしている。

 キンカン、ブルーベリー、サクランボ、ヒメゆず、程度である。

 みな食べられる実の成るものばかり。

 さて、管理の限界と、自分で処分できる時期の見極めが難しいところ。

 一般的に断捨離と言えば、着物、持ち物、書籍、アルバム、年賀状をはじめ古い付き合い、などなど。

 意外と運転免許証も田舎では難しい部類で、庭木に至ってはほぼ考慮の外。

 まだ少し早いと思っている時期が、絶好機なのかも・・・。

 「最後には心の整理だけ残す」・・・・しろ猫

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