Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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★謎の連続死を招いたツタンカーメンの呪い

2018-01-09 04:13:09 | Weblog

熱く乾いた大地と青空の下、ピラミッドをはじめとする巨大な遺跡群がそびえ立つエジプトは、我々の好奇心をかき立ててくれる。今も多くの人々が遥か昔のエジプト王朝を解明しようと発掘調査に訪れる、エジプト発掘の歴史の中でも世紀の発見と云えば、やはり1922年に王家の谷で発見されたツタンカーメン王の墓ではないだろうか。
紀元前1338年に18歳で没したと言われるツタンカーメン王。時のエジプト王朝の栄華を示すかの様に、王の顔には黄金のマスクが被せられていた。
発見したカーター博士と発掘の出資者カーナボン卿が狂気乱舞したのも当然で、3500点あまりに及ぶ副葬品も、盗賊に盗まれることなく手付かずで残されており、すべての品の評価額を合計すると、一国の国家予算を遥かに超える価値があると言われた程である。しかし、墓内部の石壁には、王の眠りを妨げる者は、不吉な死に襲われると云う呪いの言葉が、死神アヌビスの像と共に刻まれていた。墓発見のニュースに沸き立つ中、一陣の砂嵐が王の墓の上を駆け抜けて行き、その中から一羽の鷹が西の空に向かっ...て飛び立って行ったとも言われる。鷹は王家の象徴だった鳥であり、西の方向はエジプトで「来世」を意味していたことから、発掘隊員の中には不吉な前兆として不安な思いに駆られた者も居たと云う証言も残されている。
そして、その不安は的中し、関係者が次々と謎の死を遂げて行ったのだ。発掘から半年後に最初の犠牲者が出る。出資者のカーナボン卿が蚊に刺されて敗血症を起こし、滞在していたカイロのホテルで急死したのだ。高熱を出し、ベッドでのたうち回りながら、「ツタンカーメン王の呪いが原因だ」とうわ言の様に繰り返していたと言う。関係者の恐怖心を更に増幅させたのは、ツタンカーメン王のミイラをレントゲンで分析した医師リード教授の発表だった。ツタンカーメン王の頬に小さな傷があり、それはカーナボン卿が蚊に刺されたのと同じ箇所だったと言うのだ。
カーナボン卿の死を端緒として、堰を切った様に関係者に突然の死が襲い掛かる。カーター博士の発掘作業に協力したメイス教授が作業中に急死、友人のフルール教授も原因不明の熱病で急死する。また、カーターの右腕で財宝を整理していたリチャード・ビーゼル卿や、レントゲンで王の頬の傷を発見したリード教授らの謎の自殺。こうして、発見から一年の間に、関係者だけで22人もの人々が変死してしまうと云う異常な事態が発生したのである。
墓を見物に行った人々にも死が訪れた。アメリカの鉄道王グールドは、現場で引いた風邪をこじらせ、南アフリカの大実業家ジェルは船のデッキから落ちて死亡していた。
更に、王の遺品を預かった博物館関係者の中からも、大英博物館主事、ルーブル美術館のエジプト研究員、メトロポリタン美術館員など、死者が出ている。
しかし、これらの死を呪いのせいにせず、毒蛇説、マラリア蚊説、細菌説など科学的に解明しようと云う試みも為されたが、それでは、墓に行かず、しかも遺品にも触れていない人にまで及んだ死の原因を説明することができない。
カーナボン卿家では、卿の弟が錯乱し死亡したのをはじめ、夫人は熱病で、その母親は毒虫に刺され、一家の看護師ローレルも奇病で死亡している。而も、ロンドンの自宅で飼育されていたカーナボン卿の愛犬も、主人が死亡した同じ時間に、理由もなく吠え続けた後、絶命しているのだ。
世間はファラオの呪いとして、相次ぐ怪死に騒然となった。
ここまで不審な死が続くと、呪いによる死が実際に存在すると考えられても不思議ではないだろう。(画像 ツタンカーメン王マスク、ツタンカーメン王 生前の顔と王のミイラ)

      

                    呪い あなたの知らない不気味な世界
                         -恨みの魔力に命を奪われた人々ー
                               呪いの惨劇はこうして起きた

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