Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

宋襄の仁  「春秋左氏伝」

2018-07-30 04:11:42 | Weblog

春秋時代、宋の襄公が楚の成王と泓水で戦った際、兵数の多さに物言わせて渡河して来る楚軍に対し、
宋の宰相目夷が、河を渡ってる時や渡り終えた直後で態勢が整わないうちに攻撃する様に進言するが、
宋の襄公は二度とも攻撃許可をせず、圧倒的な兵力差の前に自らも負傷するという大敗を喫した。

何故、あの時攻撃許可をしなかったかと聞かれた宋の襄公は「君子たる者人の難儀につけ入る様なことはしない」と謂った。
宋の国の人々は、襄公の無用な仁者ぶりを責め、他国の人々は嘲笑った。それ以後、不必要な情けや憐れみをかけることをこう言う様になった。

**************************************************************************

宋の名宰相・華元は謂う。
我が国は戦場に於いても礼を守る。先君の襄公は、泓の戦いに於いて、礼を守り、楚軍に破れた。
が、そのことが恥辱になったのか。
勝つことが正義であると勘違いしている者は襄公の戦い方を拙劣であると哂ったが、敗戦にも正義はあると観照する者は、礼を尊ぶ宋人の本質を知ったはずです。
また、襄公に勝った楚の成公は、後に太子に殺された。
それを思えば、北林に於いて奇襲を行なった楚将の蔿氏(蔿賈)の未来は明るくない。
勝とうとし過ぎるからです。
それに引き換え晋の趙氏(趙盾)は奇襲をなじらず、
敗退を諸侯の軍に及ぼさず、敗戦の責任を一身に止めた。
見事なものではありませんか。

                       宮城谷昌光「華栄の丘」


(画像・紀元前640年)

                      

                  


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする