Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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2018-07-10 04:05:39 | Weblog

 


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ユダヤ商人が引き受けた外資公債 総額4兆9400億円 打倒・帝政ロシアに立ち上がり日本国債を引き受けたユダヤマネー

2018-07-10 03:59:29 | Weblog

*帝政ロシアを小国日本が倒す奇跡の勝利に導いた真の原動力
 明治33(1900)年、清国北京で起きた義和団事件をきっかけに、ロシアは満州を制圧。ロシアを警戒する日本は、極東と共通の利害を持つイギリスと明治35(1902)年に日英同盟を結び、明治37(1904)年に、日本はロシアと日露戦争に突入した。この頃のロシアと日本では国力が違い戦力もまるで違っていた。ロシアの陸軍兵力は日本のおよそ5倍、軍艦の排水量では、およそ2.5倍。その差は歴然としていた。しかも、戦争遂行の為には膨大な物資の輸入が不可欠であるが、日本勝利の可能性を低く見積もっていた当時の国際世論の中では外資調達に当たるのも至難の業だと謂わざるを得ない。
開戦前の政府の戦費見積もりは、4億5000万円だったが、日清戦争の経験から戦費のおよそ3分の1は海外に流出する。
日露戦争を始める為には、少なくても1億5000万円の外資調達が必要だと思われた。
しかし、当時日銀の保有する正貨は、僅か5200万円に過ぎず、政府はおよそ1億円の外貨を調達する必要に迫られていた。
その重責をたった一人で背負ったのが、当時の日銀副総裁・高橋是清である。高橋是清は日本国債を売り込む使命を帯びて、アメリカへ乗り込んだものの、国際世論の煽りを受けて、誰も日本の国債を引き受けてはくれなかった。
次に同盟関係にあるイギリスへ渡り、銀行を精力的に回ってみたが、投資となると誰もが二の足を踏む。それでも英国銀行団から500万ポンドの日本の国債を引き受けてもらうが、あと500万ポンドの引き受け手が中々見つからなかった。
途方にくれる高橋是清の前に現われたのが、銀行家、ヤコブ・ヘンリー・シフと云うユダヤ人だった。晩餐会の席で、熱弁を奮う高橋を見て、シフは500万ポンドの日本国債を、快く引き受けると申し出た。この時、明治37(1904)年5月。日露戦争は始まったばかりで、日本軍はまだ大きな勝利を挙げてはいない。それではいったい何故に!?

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*22億円の日露戦争の借金ユダヤ人銀行団が13億円支出
 シフは、決して日本が勝つ確証を持っていたわけではなかった。ユダヤ人を虐待する帝政ロシアを、何としても倒したかったのだ。この頃、ユダヤ人は皇帝暗殺の為にテロリストを送り込み、マルクス主義者の結社にも援助を惜しまなかった。そんな折に起きた日露戦争を見て、「ロシア帝国に対して立ち上がった日本は、ロシアを罰する『神の杖』になるに違いない」、そうシフは考えたのだ。
やがて日本は、鴨縁江の渡河作戦でロシアを圧倒し、明治38(1905)年の旅順陥落、奉天会戦、そして日本海海戦に勝利を収め、アメリカ大統領の仲介でポーツマス条約を結ぶ。
日本は合計6回に渡り国債を発行。総額22億円にも膨れ上がった国の借金のうち、およそ13億円もの外資を高橋是清はシフを窓口に、ロスチャイルドなどユダヤ系の銀行から集め、日本を奇跡的勝利に導いた。


(画像・高橋是清、ヤコブ・ヘンリー・シフ、連合艦隊司令官東郷平八郎大将他、海戦の図)

    

             おカネでわかる世界の事件史
                財布の大きさで勝敗が決まる戦争・革命
                      日露戦争を勝利に導いたユダヤマネー


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