太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

みんなが頑張ってる

2020-07-22 10:00:19 | 日記
私の作品は、4か所のギャラリーで売っていて、
そのうち2か所はワイキキのホテルの中にあるので、3月のロックダウン以降ずっとcloseしたままだ。
残り2か所のうち、オリジナルだけを置いてあるギャラリーは動きがないが
コピーしたマットに入れたものを売っているギャラリーでは、こんな時期でも売れていて、ありがたいことだ。
昨日、そのギャラリーに、作品の補充に行ってきた。

私が作業していると、
「シロ!!!元気だったぁーー???」
と言って、エリザベスが入ってきた。
彼女はワイキキのギャラリーのスタッフだが、ずっと閉まっているのでコチラで時々働いているらしい。
「この通り元気にしてるよ、エリザベスは?」
「いろいろ大変だけど、夫が昇進してね、ちっさい会社なんだけどさ」
「それはよかったねえ!うちの夫も通常どおりに仕事ができて助かってるよ」
「ありがたいよね。そういえば、このまえ、モロカイから来た人がいて、あなたのダミアン神父の作品を勧めたら気に入って、2つ買ってくれたのよ」
「大感謝。ありがとう」

ないものを数えたらキリがない。
だけど、あるものを数えれば、それだってキリがないほどあるんだ。
自分にあるものにフォーカスして、楽しくいこう。と言い合って別れた。


ロックダウン中に仕上げた作品のひとつを、そろそろスキャンして売ろうかと思い、
コリンにメールしてみた。
どこへ行くにも、事前に、オープンしているかどうか、そして営業時間も確認しないとならない。

『僕はなんとか生きてるよ。今は平日の11時から4時まではここにいるけど、
もし来るなら電話をちょうだい。来ても僕がいなかったら悪いからさ。
それにしても、ずいぶん会ってないような気がしない?
いろいろあるけど、少なくとも元気で仕事できてるよ』

コリンに最後に会ったのは、ロックダウンの直前。
エリザベスにしろ、コリンにしろ、長い長い夏休みのあとで教室で再会した友達みたいだ。


みんなが、水面下で必死に漕ぎながら生きてる。
不満を言うことに嫌気がさして、明るい方をみようとしている。
表面でどう見えても、何だか知らないけど、もっとうまくいくための過程にいるんだよね、
と自分が思えば、きっとそうなる。



猫たちの写真を、バスルームの壁に飾った。
6年前の彼らは、ほそっこくてオモチャの猫みたいだ。
バスルームの壁の色に合わせて、フレームは紫にした。

猫たちは、いつも変わらず、私にある幸せを気づかせてくれる。








見送られるのに弱い

2020-07-21 15:20:36 | 日記
高校の夏休みに、友達と二人で、当時私の姉が住んでいた東京に1泊で遊びに行った。
母が新幹線のホームまで見送りに来て、新幹線が動き出し
笑って手を振る母がまたたくまに小さくなり、泣きたくなった。
たかが1泊で、小学生じゃあるまいし。
それが、見送られる切なさを感じた最初だった。



帰国して、久しぶりの友人に会ったあとの駅で。
そしてハワイに戻るときの駅で。
改札口を過ぎ、振り返ると家族や友人は、こちらを見て笑っている。
階段やエスカレーターで、また振り返ると、まだ笑って小さく手を振ったりしている。
ココを曲がったら、もう見えなくなるというところで、また振り向く。
やっぱりまだ同じところで、笑っている。

そのとき、ギュー、と寂しさがあふれてくる。

私がしつこく何度も振り返るのは、
私もまた、いつまでも見送る人だからである。

父が見送ってくれるときは、口をあけて満面の笑顔で、
振り返るたびに、架空のカメラで写真を撮るマネや、
隣の母に何か言って笑ったりしてふざけていた。
家族も、友人も、私が見えなくなるギリギリまで、にこにことこちらを見ている。
私が見えなくなってしまえばきっと、
「さーて、駅弁でも買ってく?」
てな感じになるのもわかっているのに、彼らを取り残してきたような、
引き返したいような気分になるのはどうしてだろう。

何年か前、私が一人で帰省し、ハワイに戻ってくるときに、
新幹線のホームまで姉が来てくれたことがあった。
新幹線が来るまでは普通で、冗談を言い合っていた。
新幹線が動き出し、笑いながら小さく手を振る姉の姿が
どんどん後ろに流れていくのを見たら、鼻の奥がツンとした。
窓に顔をくっつけるようにして姉の姿を追い、
「おねえちゃあぁーーーーん」
と心で叫んでいた。
いいだけ年を重ねたオバはんが、である。

見送られる映画のシーンにも、弱い。
見るたびに必ず泣くのは、『フラガール』の、夕張に引っ越してゆく親友を見送る場面だ。


ずっと見送られるのはつらいなら、振り向かなきゃいいのに、
ずっと見送ってくれることを期待もしている。
ウェットな感じの、こういう別れ方を悲しいと言いつつ、私は好きなのかもしれない。



毎朝、私は夫が出かけるのを、外まで出て見送る。
我が家の4台ある車のうち、敷地内におけない1台は路上に停めている。
(日本と違って、住宅地はどこにでも停められるのだ)
夫の車を路上においてあるので、そこまで出ていって、車が角を曲がるまで見送るのだ。

私が仕事で、休みの夫が私を見送るという場面もある。
外まで出てきた夫に見送られて車を出しつつ、ルームミラーを見ると、すでに夫の姿はない。
毎月ジュディスの家に遊びに行くときも、
帰るときにジュディスが見送りに外まで出てきてくれるが、私が車に乗って
「バ~イ」と言い合うと、スッと家の中に入ってしまう。
しつっこく見送るタイプの私は、「あれ?」と思うけど、
これは人種的な差なのかもしれないし、
今生の別れじゃあるまいし、こっちのほうが普通なんだろう。
あっさりしていていい。
でもなんとなく、物足りなくもある。




市でなくて郡と町だった

2020-07-21 13:17:35 | 日記
必要な書類があって、再び日本領事館に出かけた。
本籍や、現住所やら必要なものを記入して提出すると、名前を呼ばれた。

「本籍ですけど、番地ですよね?」
私は町名のあとに、12-3というようにハイフンで繋げて書いた。
「ハイフンと番地と違うんですか?」
「ええ、本籍の住所にはハイフンがないんです」
「ああ、そうなんですか!」
「じゃ、こちらで直しておきますね」

いやー、知らなかったなあ。
こりゃいいこと聞いた。(みんな知ってる)

と思っていたら、また名前を呼ばれた。
「ここ、なんですけど・・・」
ハワイの住所を日本語表記で書く欄を指さした。

アメリカ合衆国ハワイ州

まで印刷されていて、そのあとに日本語で書くようになっている。
私が書いたのは

カネオヘ市〇〇通り〇ー〇〇

「カネオヘは市ではなく、ホノルル群カネオヘ町、というのが正しいんですよ」

「えっ!そうなんですか!」

私はてっきり、ホノルル市があって、山を挟んでカネオヘ市なんだとばかり思っていた。
住所表記するときも、番地と通り名のあとに、
ホノルルとかカネオヘとかワイパフとか地名が来て、郵便番号がくる。
だから、その区分のそれぞれが市なのかと思っていたのだ。
ホノルルは市ではなくて郡で、市だと思っていたカネオヘが町だったとは。

ハワイの住所を日本語表記する機会などなかったからなあ。
一般的に知られてることを、平気で知らないことが多い私は
目にいくらウロコがあっても足りやしない。







ツイてる、にしとこう

2020-07-20 08:00:54 | 日記
とうとう、というか、やっぱり、というか、
8月から医療保険がなくなってしまうことが判明。

アメリカと日本の医療システムは、天地ほどの差がある。
むろん、日本が天でアメリカが地。
国民保険がないアメリカでは、個人で医療保険に加入する必要がある。
フルタイムで働いていれば、会社がそれを負担する義務があり、保険のために働いている人も多い。

コロナウィルスによるパンデミックで、職場は一時閉鎖になったが
その間も従業員の医療保険を払ってくれていた。
それが3か月以上にもわたっていて、1か月前に再オープンしたものの、
地元客だけでは元の売り上げには到底届くはずもなく、青息吐息。
その間も、家賃やらなにやらはかさむし、とうとう社員の保険を払い続けるゆとりがなくなってきたというわけなのだ。

現在、ミニマムの従業員数で切り回しているので、法的には会社は保険を負担しなくていいのだけれど、
会社としてはできれば払って、従業員をつなぎとめておきたいであろうが、仕方があるまい。
会社が復活するかどうかは、旅行者に門戸を開くのがいつになるのか、にかかっている。
今のところ、8月末までは封鎖に近い状態であることがわかっている。



来月から保険がなくなる、と聞いて私が最初に何を思ったか。

「昨日、歯医者に行っといてラッキー!」

実はロックダウン中に入っていた予約が延期になり、つい先日、8月半ばに決まったばかりだった。
それがおととい、キャンセルが出たので明日来れるかという電話があったのだ。
キャンセルがなかったら、あるいはキャンセルが出ても私に連絡をくれなかったら、
8月に無保険で受診せねばならないところであった。


アメリカで無保険が、どんなに恐ろしいことであるかはアメリカに住んでみないとわからない。
肘のレントゲンを救急病院で撮っただけで、42万円請求が来る国である。
特に歯医者は異常に高い。
救急車だって、呼べば10万円以上かかるときいた。


さて、8月からどうするか。


ありがたいことに私は丈夫にできていて、歯医者以外の病院でお世話になることが滅多にない。
いつか職場が盛り返したら、また保険を払ってもらえるようになるのだし、
身体に気をつけて過ごすか、と気楽に考えていた。
なぜなら、自分で医療保険に加入すると、月に8万円ぐらい払わねばならない。
それって、現実的な数字じゃないと私は思う。

注)8万円というのは私が入っていたのと同じカバー率で計算した場合で
 高額なほうではない

今、アメリカでは無保険の人が何百万人にもなっている、というのもわかる。
{8万円 × 家族の数}
これを払える人のほうが少ないと思う。


そうしたら、シュートメが
「それは任意保険なしで車を運転するのと変わらないわよ」
と言う。
まあ、それは、そうだけども・・・・・
突発で何かが起きたとして、無保険だったために、何百万円も払わねばならないことを思えば、
月に8万円は妥当な出費だというのはわかる。
でもなぁ。

結局、夫の職場で、夫の保険に私を乗せてもらうことにする。
いくらかは払うのだけど、8万円ということはないはず。
と、思いたい。
アメリカのこのお粗末な医療システムは、次の大統領選の課題にもなっているらしい。
オバマさんがやろうとしてできなかったことだ。
日本はほんとうに良い国だったなあ、といくら思っても
これが私の選んだ生き方なのだから、「昨日歯医者に行っておいてラッキーだったなあ」ということにするのである。







ガーリックシュリンプのパスタ

2020-07-19 13:07:36 | 食べ物とか
ハワイではガーリックシュリンプが有名。
だということを、こちらに住むようになってから知った。
カフクという場所に、大きなエビの養殖場があるからだと思う。

ハワイ産のエビではないが、簡単ですごく美味しいので、うちでもよくガーリックシュリンプを作る。
使うのは、冷凍エビ。
下処理をしてあるので、解凍して殻を剥くだけでいい。
冷凍だから、あと1品、というときにいつでも作れるのもいい。


殻つきが好きな人は、殻つきのままで。
私は尻尾だけ残して、剥く。
お好みの量のニンニクを、細かく刻んだのと、
白ワイン(日本酒でもいいかも)をエビにからめて、冷蔵庫に入れておく。
夕食に食べるなら、朝のうちにやっておく。
それを熱したフライパンに全部あけて、中火で加熱するだけ。
強火にすると、ニンニクが焦げやすい。

失敗しようがない。
塩は、キモチ多めのほうが美味しいと思う。

普段はそのまま食べるけれど、今日はパスタにしてみた。



刻んだ玉ねぎとトマト、ケイパーを加えてある。
エビと、エビをマリネしたワインに塩味がついているので、味付けなしでもいける。
私はクリーム系やトマト系のパスタより、断然、こういうさっぱりした味が好き。
オリーブオイルと鷹の爪とニンニクだけのパスタとか、
アサリとオリーブオイルだけのパスタとか。


私が子供の頃は、パスタなんて言葉はなくて、スパゲティだった。
今みたいに、いろんな種類のパスタもなかったし、スパゲティといえばミートソース。
実家では、ポポロミートソースの缶詰をあけて、鍋で温めたのをスパゲティにのせて食べた。
粉チーズがあったりすると、レストランみたいだと思った。
大人になってから、本格的なミートソースのパスタを作ったこともある。
レストランで頼んだこともある。
けれど、私にとって1番美味しいのは、ポポロミートソースである。
それは記憶の味であろう。
缶詰のウィンナーが、武蔵丸のおふくろの味であるように。(おふくろの味の話はコチラ)

今、思い出したんだけれど、
前の結婚時代によく作っていた、タラコのパスタが食べたくなった。
うろ覚えだが、生のタラコにニンニクのすり下ろしたのを加えて、オリーブオイルでのばしたのを、パスタにからめたのではなかったかな。
当時、通っていたイタリアンレストランにあったメニューだ。
夫は日本食が好きだけど、魚卵系は苦手。
今度タラコが手に入ったら、ひとりぶんを作ってみよう。