太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

おおいにチクチク

2012-01-17 08:42:22 | 日記
自分が欲しくて、でも手に入らないものを誰かが持っている時、心のどこかがチクリと痛む。

恋愛対象がいないとき、仲が良さそうなカップルを見るとチクリ。

みんなツガイでいるのに、私だけ一人のような気がして切なかった。


まだまだある。


恋愛がうまくいかないとき、結婚する人を見てチクリ。

流産したとき、妊婦さんを見るとチクリ。

車の免許が取れない時、運転している人すべてを見てチクリ。(まさに今じゃないか!)



これは他人と自分を比べているからで、私は私、人は人なのだから、心が痛んではいけないのだ。と思った時期があり、

チクリとする自分に対して、またチクリとして、チクチクしてたまらなかった。



或る時、むかし姉に言われた言葉を突然思い出した。

それと同時に、いつのまにか、チクリとする自分を許していることにも気づいた。



「人として自然な感情を押し殺さないでね」


押し殺さないでね、か、無視しないでね、か忘れたが、ハンパにスピリチュアルなことに頭を突っ込んでいた私が、

姉には不自然に見えたのかもしれない。

当時、私は離婚直後で、今までとは全く違う生き方をしようとしている自分の心のバランスをとるためにあがいており、スピリチュアルはそんな私の支えとなった。

親に反対されることをやり通すために、親を喜ばせてあげられない自分に言い訳するために、

そのあと始まる惨めな恋愛に耐えるために、

そして突然の失恋のあと、人生を諦めない自分でいるために、スピリチュアルや、それを分かち合える仲間が、なくてはならないものだった。



きっと私は、普通の人が感じることを感じない人になりたかったのだ。

普通の人なら痛いところを、「痛くない」と言い、それはこういう理由があるから痛くないのだと講釈を述べ、

手放しで泣けばいいときに、泣くべきではない理由を探していた。

だから、人と比べてチクリとするなんて言語道断だったわけ。



がちがちのスピリチュアルも、よくしたもので、時間がたてば飽きてきて、どんどん力が抜けてゆく。




今ならわかる。

思い切り背伸びしてスピリチュアルにしがみついていたから、波乱の時期を乗り越えられた。

今だって波乱はあるのだけど、あの当時の体験が私の中にある。

それはまるで、自分は100m泳げることを知っていることが自信になるようなもの。


誰かが羨ましくたって、人を責めたくなったって、自分が情けなく思えたっていいじゃん。

憎んだって、冷たくたっていいじゃん。


今はそう思っている。


「あーんな危ない運転して、ほんとにあの人免許持ってンの?私によこせー!」

我が未熟さを棚に上げて・・・

そんなアホみたいなことを含め、日常の中にはチクチクすることがいろいろある。

そのたびに、あぁ今、心のここんところが痛いんだなー、うんうん、痛いぞ、生きてるゾ。と思う。

安心して、おおいにチクチクすればいいのである。






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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひなた)
2012-01-18 21:17:25
あ~
うんうん何かわかるわ
色々な事があって色々な感情を体験して
色々な感覚や感情にふれて人って
変化してゆくんだよね
ひなたちゃん (シロ)
2012-01-19 04:14:44
そうそう。
悲観的になったり、人が憎く思えたり、自分を愛せなかったりしちゃいけないんじゃないんだね。

そういう、いっけん良くないと思えるようなことも体験して、初めてその対極にあるものが理解できることもあるだろうし、
それを「ダメ!」としてしまうと、けっこう辛いよネ。

変化しているときは、なんだか同じ所をぐるぐるしているようにしか思えないけど、変わろうという意図さえあったなら、ちゃーんと変わってゆくのよねぇ。

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