太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

60をおばあさんと呼ぶな

2024-05-29 07:58:57 | 日記
呼ぶなシリーズ。


アンティと呼ぶな     (2つだけなのにシリーズ化)

自分は年寄りだと自覚し、素直に受け入れている人はどのぐらいいるのだろう。
私の父は、自営業のありがたみで82歳まで自転車で出社し(実家から会社までは1本道)、83歳でようやくリタイアした。
これで毎日好きな油絵が描けるはずが、時間がありすぎると描けないものらしく、暇つぶしに姉が近所のデイサービスに申し込んだ。
初日、父は

「まったくヨイヨイ(年寄り)ばっかしでつまらん!」

とぷりぷりして帰ってきた。
そのくせ、美術館などの窓口では「年寄りです。」と言って割引してもらっていたのだからゲンキンなもの。
いつも元気で威勢がよく、おしゃべりで明るい父は自分を年寄りとは思っていかった。
その父が初めて、年を取ったと言ったのは、亡くなる4日ほど前だ。
お世話になっていたグループホームの個室に夫と私が会いに行くと、静かに横になっていた。
どこも痛いところはなく、ただ力が入らないような感じだった。

「俺も年をとったなあ、って思う」

父はぽつりとそう言って、少し笑った。


もうずいぶん前のことになるが、映画監督の新藤兼人さんのインタビュー番組をみた。
当時、新藤氏は90歳近かったのではと思う。インタビューの中で新藤氏は

「人は年をとったら自然に枯れていくものだと思っていたが、自分は欲にまみれたまま年だけとって、いったいどうしたら枯れることができるんだろうって、この年になってもまだ思っている」

というようなことを言っていた。


年齢と戦わず、それでいて心も体も若々しく、
余裕たっぷりで、75を過ぎたら程よく枯れていく。


こんなふうに年を重ねられたらどんなにいいだろう。
読んでいた本の中に、

「それはいくつぐらいの人でした?」

「そうだなあ、60ぐらいのおばあさんだった」

という箇所があり、その先を読むのをやめようと思ったぐらい気分を害した。
60はおばあさんじゃないだろう。
この作家はどういうつもりで書いているのか。


60をおばあさんと呼ぶな


こんなことでキリキリ怒っている私は、きっと75を過ぎても枯れもせず、
老いを受け入れることもできず、若さにしがみついているのではないかと思う。




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