太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ダメな自分と向き合う

2024-07-03 14:52:34 | 日記
半世紀以上も生きていれば、自分のダメなところは嫌というほどわかっている。
そのために、数えきれないほどの失敗をし、そのたび気を付けようと思うのだけれど、それを繰り返しながら今に至る。
直そうと思ってもどうにもならないこと、それはもう短所というよりも、DNAに組み込まれた動かしがたい性格なのではなかろうか。

詰めが甘い

これは私の、最も出番の多いダメ部分である。
たとえば先週、コリンに作品のコピーを頼んだ。
欲しいサイズは2種類で、メールにサイズや枚数を明記して送信し、電話をかけて改めて発注した。
翌日、一つのサイズが小さすぎたことに気づき、電話でサイズを訂正。
今日、できたものを受け取って、帰宅して確認してみたら、訂正したあとのサイズが微妙に小さすぎて、手持ちのマットに余白ができてしまった。
訂正したサイズが、再び間違っていたのだ。
コリンは発注どおりにやってくれたのだから、今さら言えるわけもなく、やむなくそのサイズに合ったマットを別に発注した。

なぜこんなことが起こるのか。
マットのサイズは決まっていて、それに合わせたコピーの大きさを書いておけば、毎回それを見て発注すればいいだけのことじゃないか。

私だって、そう思って書き留めてある。
しかし書き留めたものが間違っていた、書き留めた場所を忘れた、そんなような理由でうまく機能しない。

それなら実際のマットのサイズを確認し、サイズを確かめてから発注すればいいじゃないか。
私だって、そうやった。
そうやったはずなのに、なぜか間違う。

パッと表面だけ見て、すぐに「あー、わかったわかった」と流してしまう。
筋道たてて考えて、後先も考えて、ものごとに当たるということが、どうしてもできないのである。

人を当てにしてフワフワ生きている

先週、義両親がヨーロッパ旅行から戻ってくる日は、私が休みで、空港まで迎えに行くことになった。
夫が仕事の帰りに寄ってきてくれたらいいんだけれど、夫の車はバンで、二人しか乗れないので無理。
休みだし迎えに行くのはやぶさかでないが、渋っていたのは行き方がよくわからないからだ。
え、13年も住んでいて?と、私もひとごとなら思う。
だから、行き方がわからない、などと言えるのは夫にだけで、
夫にしても伊達に18年も私と一緒にいるわけじゃなく、特に驚きもせずに、予行練習をしようと提案してくれた。

夫の運転で、何度も空港に迎えに行ったことがあるが、助手席にいると、私はてんで道を覚えようとはせず、ぼんやりと座っているだけ。
実際に迎えに行く日の数日前、私はメモとペンを片手に車に乗り込む。
フリーウェイに乗ったら、右から2つ目の車線にいる。
45マイルの表示が見えたら、左に移る。
EXIT15で降りて、左車線にいる。
そんなふうに、メモをしていく。
フリーウェイは5車線ぐらいあるところもあるので、どの車線にいるかは案外大事。グーグルマップでは、車線まで教えてくれない。

空港の手前に、セルフォンスタンドという、迎えの車の待機箇所がある。そこで待っていれば、義両親から荷物を受け取ったという電話が来たら、数分で迎えに行けるのだ。

当日、フリーウェイを走っていたら、案外早くに義両親が荷物を受け取ったらしく、電話とテキストが入ったが、緊張しながら運転しているので出ることができない。
そのまま空港に行けばいいのはわかっているが、予習したとおりにしないと迷うかもしれないので、わざわざセルフォンスタンドを通って無事に迎えに行くことができた。

10年以上前、姉一家が訪れたときも、彼らを連れていく場所への行き方を、同じように事前予習した。
ごちゃごちゃと行き方が書かれたたくさんのポストイットが、車のハンドルの横などに貼られているのを見た姉が、

「・・・だ、大丈夫?」

と聞いたっけ。
私は運転中、うっかり考えてしまうとアクセルとブレーキがわからなくなることがあり、

アクセル 右
ブレーキ 左

と書いた紙があるのを見て、姉は心底車を降りたくなったと思う。
私だってそんな紙を貼った、走る霊柩車には乗りたかない。




詰めの甘い私が、方向に関しては「あー、わかったわかった」というふうにはならない。
練習して、納得しないと動けない。
こうして覚えた空港のお迎えも、自宅以外の場所から空港に行くとなると、振出しに戻り、最初から教えてもらわなければならない。
まったく応用がきかず、バカの一つ覚え。


どうにも治らない、自分のダメな部分と向き合うとき、
私は自分を責めたり、反省したり、落ち込んだりしてきたが、もうそれはやめようと思う。
責めて、反省して、落ち込んで良くなるのならいいが、これが不治であるならば、落ち込むだけ無駄であろう。
開き直りではなく、諦め。
詰めが甘くとも、人に頼ってフワフワ生きていても、人に恵まれてそれなりになんとかここまで生きてこれた。
人の命を預かるような職業に就かないだけの思慮もある。(就きたくても無理だろうが)
あとどのぐらい人生が残っているかわからないが、「ありゃ、やっちゃったぁー」と言いながらいくしかなさそうである。






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