夫が職場で、シェリルという盲目の女性のスピーチを聞いた話をしてくれた。
シェリルは40代後半で、シアトルに生まれた。彼女は生まれた時から目が見えなかった。
両親もきょうだいも、つらく当たることはなかったが、シェリルを世間から隠そうとした。「あなたは普通じゃないから」といつも言われて育った。
高校を出て、シェリルは生まれ故郷を離れるため、わざと遠い場所にある大学を選んだ。
家族は皆、「目が見えないあなたが、いったいどうやって生きていくっていうんだ?」と半ばあきれて反対したが、彼女の決意は固く、本当に一人で飛行機に乗り、シアトルを離れた。
大学の寮に入り、初めて家族から離れたシェリルは、人生で感じたことのない開放感に満たされた。
初めて、自分は目が見えないだけで、何でもできると思えた。実際、彼女は車の運転以外、何でも自分でできた。
或る時、ルームメイトが気を利かせて、シェリルのベッドカバーを変えてくれたことがあった。その晩、ベッドに入ったシェリルは、シーツの色が変わったことに気づき、
「赤いシーツに変えてくれた?」と聞いてルームメイトを驚かせた。
生まれつき盲目の場合、色というものがあるという概念だけ理解できると思ったら大間違いだ。
色にはエネルギーがあり、シェリルはそれを感じ取ることができる。
グリーンは見たことがないが、グリーンの持つエネルギーはわかる。
シェリルはスピーチしながら、ホワイトボードに文字まで書く。
赤や黒や青のマーカーを、触り、色を感じて使い分けてゆく。
故郷を離れて以来、あまりそこには戻っていないという。
「家族のことは愛しているけど、家族は私と話す時に、私を見下げている感じがするから・・」
今、彼女は自分の会社をもち、いくつかの社会組織に籍をおく多忙な身だ。
「目が見えないから何もできないと言った家族に感謝しているわ。私はそれを信じられなかったし、ほんとうにそうかどうか確かめなくちゃならなかったんだもの」
スピーチの最後に、シェリルはいたずらっぽく笑ってこう言った。
「もしあなたがたが失うものを選べるとしたら、どれを選ぶか想像してみて。視力か、聴力か、言葉か、手足の自由か」
本当に、自分で人生の設計をしてから生まれてくるとしたなら、何かを持たずに生まれてくるということは、すごく高度な挑戦だと思う。
自分が持っていないものにフォーカスするか、あるものにフォーカスするかで、全く違う人生模様になる。
それはすべてを持っている人にも言えることだろう。
もしシェリルの家族が、彼女を「普通じゃない子」として隠さなかったら、あるいはべったり甘やかしていたら、彼女はここまで来れただろうか。
「五体不満足」の著者は、両親にまったく普通の子として育てられることで、強さと聡明さを身に着けたように思う。
人が、すべてを設計して生まれてくることが真実かわからないけど、私はそれを信じたい。
私はこうしてああなるから、そのときにはこんなふうにしてね、と家族や友人になる存在に頼んで来るのだと、そうであったらいいと思う。
シェリルは40代後半で、シアトルに生まれた。彼女は生まれた時から目が見えなかった。
両親もきょうだいも、つらく当たることはなかったが、シェリルを世間から隠そうとした。「あなたは普通じゃないから」といつも言われて育った。
高校を出て、シェリルは生まれ故郷を離れるため、わざと遠い場所にある大学を選んだ。
家族は皆、「目が見えないあなたが、いったいどうやって生きていくっていうんだ?」と半ばあきれて反対したが、彼女の決意は固く、本当に一人で飛行機に乗り、シアトルを離れた。
大学の寮に入り、初めて家族から離れたシェリルは、人生で感じたことのない開放感に満たされた。
初めて、自分は目が見えないだけで、何でもできると思えた。実際、彼女は車の運転以外、何でも自分でできた。
或る時、ルームメイトが気を利かせて、シェリルのベッドカバーを変えてくれたことがあった。その晩、ベッドに入ったシェリルは、シーツの色が変わったことに気づき、
「赤いシーツに変えてくれた?」と聞いてルームメイトを驚かせた。
生まれつき盲目の場合、色というものがあるという概念だけ理解できると思ったら大間違いだ。
色にはエネルギーがあり、シェリルはそれを感じ取ることができる。
グリーンは見たことがないが、グリーンの持つエネルギーはわかる。
シェリルはスピーチしながら、ホワイトボードに文字まで書く。
赤や黒や青のマーカーを、触り、色を感じて使い分けてゆく。
故郷を離れて以来、あまりそこには戻っていないという。
「家族のことは愛しているけど、家族は私と話す時に、私を見下げている感じがするから・・」
今、彼女は自分の会社をもち、いくつかの社会組織に籍をおく多忙な身だ。
「目が見えないから何もできないと言った家族に感謝しているわ。私はそれを信じられなかったし、ほんとうにそうかどうか確かめなくちゃならなかったんだもの」
スピーチの最後に、シェリルはいたずらっぽく笑ってこう言った。
「もしあなたがたが失うものを選べるとしたら、どれを選ぶか想像してみて。視力か、聴力か、言葉か、手足の自由か」
本当に、自分で人生の設計をしてから生まれてくるとしたなら、何かを持たずに生まれてくるということは、すごく高度な挑戦だと思う。
自分が持っていないものにフォーカスするか、あるものにフォーカスするかで、全く違う人生模様になる。
それはすべてを持っている人にも言えることだろう。
もしシェリルの家族が、彼女を「普通じゃない子」として隠さなかったら、あるいはべったり甘やかしていたら、彼女はここまで来れただろうか。
「五体不満足」の著者は、両親にまったく普通の子として育てられることで、強さと聡明さを身に着けたように思う。
人が、すべてを設計して生まれてくることが真実かわからないけど、私はそれを信じたい。
私はこうしてああなるから、そのときにはこんなふうにしてね、と家族や友人になる存在に頼んで来るのだと、そうであったらいいと思う。
ちゃんと分かる人には分かるものなのだね
魂が望む経験をするためとはいえ、そんな選択を自らしてくる人たちは
どんな思いでそれを選択しているのだろう
そういう人を身近に知ることができるのも
勇気を与えてくれている気がしてありがたいよね
色にエネルギーがあるって言われるようになったのは最近のことだよね。
でも私たちは、色を見て感じようとするもんね。
生身の人間としては厳しいと思える選択も、あっちの(どっち?)世界では、たくさんある選択肢の一つにすぎないのかなぁ。
シェリルがいろんなところに呼ばれてスピーチするのも、彼女の生き方をシェアすることで、誰かに勇気を与えたり、深く考えたりするためかもね。