自分の人生に何の問題もなく、それはこの先もずっと問題のないまま続くのだと思っていた38歳の男性が、
坂道を転がるように状況が変わってゆき、死にたいわけではないが、生きていなくてもいいと絶望しているところに、
1台の車が近づいてくる。
その車は、彼の人生の「大切なポイント」に連れて行ってくれる。
あのとき、こうしていたら、ああしていたら・・・
今が幸せであれば、それは単なる空想にすぎないが、今が幸せではなかったら、それは後悔になるのだろう。
物語の中では、彼と和解できないまま、息を引き取ろうとしている故郷の父親が、
彼と同じ年齢になって現れる。
父親との確執もまた、彼の人生において、もっとどうにかできたであろうことの一つなのだ。
タイムスリップと違うところは、
過去の自分に出会うのではなく、肉体はその時点の自分で、意識だけが現在の自分だ。
だから歯痒い、だから悔しい、だからどうにかしようとジタバタしまくる。
映画「バック トゥ ザ ヒューチャー」では、過去に戻って何かを変えると、現実がどんどん変わってゆく。
あの映画は、きっとそこに良さがある。
しかし、この物語は違う。
過去に戻った時に、現実を変えるために彼が何をどうしようが、現実は変わらない。
不幸な事実を書き換えるのが、この物語の主旨ではなく、
一瞬一瞬を、できるであろう精一杯のことを本当に一生懸命やって生きる、という、つまり「自分のありかた」に後悔を残さない生き方をする。
それが一番大事な部分なのではないかと思う。
実際には、絶望していても、大切なポイントに連れていってくれるワゴンがやっては来ない。
けれども、誰でも、自分ひとりで、その大切な場所に行くことができるのだ。
自分の世界の中で、自分のありかたを書き換える。
そうすると、今の自分が変わってくる。
自分が変われば、その先の現実も変わってゆく。
それは嘘ではないと思う。
物語の中で、変わったのは現実ではなく、彼自身だ。
だからきっと、彼のその先の人生は、明るく変わってゆくのだろう、と予感させつつ話が終わる。
『明日死んじゃうとしたら』と思って、毎日生きよう。
それは私の理想で、なるべくそう思って生きているけれど、それでも、明日や来年を宛にすることも一杯ある。というより、それがほぼ日常。
今、全力を傾けずに生きている瞬間が、私の大切なポイントでないことを願いつつ。
「流星ワゴン」 重松清
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坂道を転がるように状況が変わってゆき、死にたいわけではないが、生きていなくてもいいと絶望しているところに、
1台の車が近づいてくる。
その車は、彼の人生の「大切なポイント」に連れて行ってくれる。
あのとき、こうしていたら、ああしていたら・・・
今が幸せであれば、それは単なる空想にすぎないが、今が幸せではなかったら、それは後悔になるのだろう。
物語の中では、彼と和解できないまま、息を引き取ろうとしている故郷の父親が、
彼と同じ年齢になって現れる。
父親との確執もまた、彼の人生において、もっとどうにかできたであろうことの一つなのだ。
タイムスリップと違うところは、
過去の自分に出会うのではなく、肉体はその時点の自分で、意識だけが現在の自分だ。
だから歯痒い、だから悔しい、だからどうにかしようとジタバタしまくる。
映画「バック トゥ ザ ヒューチャー」では、過去に戻って何かを変えると、現実がどんどん変わってゆく。
あの映画は、きっとそこに良さがある。
しかし、この物語は違う。
過去に戻った時に、現実を変えるために彼が何をどうしようが、現実は変わらない。
不幸な事実を書き換えるのが、この物語の主旨ではなく、
一瞬一瞬を、できるであろう精一杯のことを本当に一生懸命やって生きる、という、つまり「自分のありかた」に後悔を残さない生き方をする。
それが一番大事な部分なのではないかと思う。
実際には、絶望していても、大切なポイントに連れていってくれるワゴンがやっては来ない。
けれども、誰でも、自分ひとりで、その大切な場所に行くことができるのだ。
自分の世界の中で、自分のありかたを書き換える。
そうすると、今の自分が変わってくる。
自分が変われば、その先の現実も変わってゆく。
それは嘘ではないと思う。
物語の中で、変わったのは現実ではなく、彼自身だ。
だからきっと、彼のその先の人生は、明るく変わってゆくのだろう、と予感させつつ話が終わる。
『明日死んじゃうとしたら』と思って、毎日生きよう。
それは私の理想で、なるべくそう思って生きているけれど、それでも、明日や来年を宛にすることも一杯ある。というより、それがほぼ日常。
今、全力を傾けずに生きている瞬間が、私の大切なポイントでないことを願いつつ。
「流星ワゴン」 重松清
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