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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ハワイの年明け

2025-01-03 13:39:09 | 日記
クリスマスから、あっという間に年が明けてしまった。
これから盛り上がる日本と違って、クリスマスが終わると急に冷たくなった恋人みたいに何もかもフツーに戻ってしまうのには、もう慣れた。
慣れたけど、毎年物足りなさは感じている。

晦日に鬼の霍乱か、この私がダウン。
4時頃に早退し、大晦日はとうとう仕事に行けなかった。
この8年余、コロナの時以外はほぼ皆勤賞だったのに。

元旦は休みで、2日からは仕事。
元旦は家から一歩も出ずにゴロゴロしていた。
ハワイは大晦日に人々が花火をあげるのが慣習になっているが、その音の凄まじさといったらない。
我が家の近くの空き地や道路であげる花火は、大晦日の夕方から始まり、12時に向けてエスカレートしていく。
おなかに響くほどの衝撃と爆音で眠れない。気の毒なのは猫たちで、右往左往している。
打ち上げ花火もすごいけど、爆竹の音は耐えられない。
毎年怪我人がでるのだが、今年は4人の方が亡くなった。

そんなに花火をあげて、何が楽しいんだろうと私などは思う。
花火をみるのは好きだけど、あれは遠くから見るからいいんじゃないか。
昔は家の前で線香花火なんかやって楽しかったけれど、でかい打ち上げや爆竹をやって楽しいと思う気持ちはわからないんだなあ。

2日、今一つの体調で仕事に来てみたら、猛烈に忙しくて体調不良なんぞぶっとんだ。
あまりの忙しさに、今日が誕生日だということも思い出さなかったほどだ。

そして3日の今日。
諸事情で今日は職場を閉めることになり、私だけがデリバリーの受け取りのために一人で店に来ている。
手が回らなかった仕事を片付けて、外のベンチで本など読んでいる。
天気はよく、いい風が吹いている。
なんとなく、いつもと違う年明け。




ハレ ケ

2024-12-27 09:38:39 | 日記
読んでいた本に、「ハレ」と「ケ」について書かれていた。
大まかに言うと、ハレとは非日常で、ケとは日常のことであるらしい。恥ずかしながら私はこの年になるまで知らなかった。
晴れ着、晴れ舞台、の晴れはまさに「ハレ」である。
「ケ」の方は明治頃までは普段着のことを「ケ着」などと言っていたが、使われなくなったということだ。

その本の著者は、日本からハレが失なわれつつあるといっている。
例えば大晦日、普段は子供は寝ていなくてはならない夜中に堂々と起きていられて、その上、夜中だというのに初日の出や初詣に家族で出かけるとなれば、子供にとってそれはまさに「ハレ」である。
それが今では子供らは夜更かしで、夜中でもコンビニの前にたむろする子供もいれば、遅い時間に塾から帰ってくる子供もいる。
大晦日の夜更かしなど、別にたいしたことではない。

誕生日など特別なときだけに食べていたデコレーションケーキだっていつでも食べられるし、お正月を待たずとも良い服を着て、欲しいものを買い、そうやって生活からハレがなくなっていく。

それを読んで、はたと気づいた。

姉も私も日本の年末年始が大好きで、一番好きな季節はと聞かれたら、「年末年始!」と答えたいぐらい。
クリスマス前からの、町のあわただしい感じ、人々が嬉しそうに見える感じ、仕事納めや大掃除、お正月の準備など、忙しいけれどワクワクする。
それは「ハレ」だからだ!

子供の頃、元旦の朝は朝風呂で、家族が集まってお屠蘇で乾杯し、お雑煮を食べる。
叔父叔母やいとこたちがやってきて、ご馳走を囲んで駅伝を見る。
そのどれもが非日常で、ワクワクしまくりだった。

姉も私も、あのワクワク感が深く染み付いていて、今の子供にはハレではなくなっていようが関係なく、年末年始がくれば自動的に気持ちが高揚してくるのではないだろうか。

ハレの記憶がある私達は幸せだ。



老いる

2024-12-26 08:29:00 | 日記
昔から決めていたことがある。
年寄りになっても、私は老人会なんていうものには絶対に入らない。
こっちで言えばシニアクラブか。
老人とつるんで、なにが楽しい。
つるむなら若者のほうがずっと楽しいに決まっている。

あの頃は若かった。

今だって老人会に入りたくない気持ちは変わらないが、老人の入り口がチラチラみえはじめてみると、老人とつるみたい若者などいないと気づいてしまう。
若者はやはり若者同士がいいにきまっている。

父が83歳でようやく退職して(自営なので好きなだけ会社にいかせてもらえていた)、家にいるようになった時、母の病気がわかって、口うるさい父の世話が大変になった。
そこで姉が近所のデイサービスを探して来て、父に行ってもらうことにしたのだが、初日、

「ヨイヨイの年寄りばっかだ!」

とプリプリして帰って来た。

父は60年余りも油絵を趣味にしており、サークルにも入っていた。毎日暇ができて思いきり絵が描けるはずが、そういうものでもないらしい。忙しい合間を縫って時間を作るから描ける、ということはある。それは私もアーティストの端くれなのでよくわかる。

何十年も仕事一筋で会社を盛りたて家族や社員たちを養い、仕事に趣味に活躍していた父が、いきなりデイサービスで折り紙を折ったり歌を歌ったりしているかと思うと、私も悲しくなった。

かといって、もともとマイペースな母が病気でますますのんびりになり、スーパーせっかちな父と顔を付き合わせるのは辛い。
同居しているとはいえ、姉にだって生活があり、わがままな父の相手をするのはストレス。
けれど離れて暮らしている私にはどうすることもできない。

結局、父はそうこうしているうちに転んで大腿骨を折り、手術したあとはリハビリテーション病院、グループホームと、とうとう家に戻ることのないまま亡くなった。
リハビリテーション病院から毎日のように家に電話をかけてきて、今から迎えに来てくれ、と母を困らせていた。


マイクがやっているビックルボールは、平均年齢が65歳以上、義父が所属しているツーリングクラブも似たようなもの。
シニアクラブじゃないのに、中身はシニアクラブ。
始めた頃は若かったメンバーが年をとっていくから仕方がないんだよ、と義父はいう。
いつまでツーリングできるか、ヨーロッパ旅行に行けるか、先週80歳になった義父は残された時間のことを思っている。

できていたことができなくなり、やりたいことができなくなる時がヒタヒタと迫ってくることに恐れを抱きながら生きるのが、老いるということなんだろうか。


父はわがままを言っても、いつも明るかった。
グループホームでも、みんなを笑わせていた。
けして、年寄り臭いことは言わない人だった。
亡くなる二日前、夫と私が会いに行くと、横になったまま、

「俺も年をとったなぁ、って思う」

とポツリと言った。
その何日か前から、たくさんの人が部屋に来てこちらを見てる、と言っていた。お迎えの人違なんだろう。
木が枯れていくように、自然に命を閉じた父は、あんなに帰りたかった家にようやく帰ってきた。

家に帰してあげられなくてごめんね

姉と私はその時泣いて謝った。


年寄りが集まるところなんか行くもんか、と思っている私は父に似ている。
それでいながら、美術館や映画館では

「年寄りです」

と率先して言って割引してもらうところも、そっくりである。












クリスマス2024

2024-12-25 16:50:54 | 日記
今日はクリスマス。
晴れて穏やかな天気は、静岡のお正月に似ている。
日本の年末から年始にかけてのあわただしい雰囲気が大好きで、それがないハワイの年末年始はつまらないと思っていたのだけれど、昨日のイブは仕事が4時で終わりで(普段は5時)、いつもより早めにクロージング体制にはいり、みんな嬉しそうにパキパキ働いて、4時とともにタイムカードを押して「メリークリスマス!」とハグをしあいながら足早に帰って行くのをみて、嬉しくなった。
なんだか日本の仕事納めに似ているのだ。
休みなのは25日だけなんだけど。
14年近くハワイに住んでいて、こんな風に感じたのは初めてだ。

クリスマスの朝は、目覚ましをかけずに、猫の妨害にも負けずにゆっくり起きる。
義両親と朝食をとる約束をしてあるので、コーヒーだけ淹れて飲む。
シュートメが起きてくるのを待って、プレゼントを開ける。
毎年、山のようなプレゼントをもらう。
いくつになってもプレゼントを開けるのは楽しみなもの。

小さなダイヤのついたネックレス
保冷保温のカップ
手触りのいいTシャツ二枚
クッキー
ロミロミのギフトカード
好きなレストランのギフトカード
手書きのポーランド製のティーポットとカップのセット
ロクシタンのラベンダーシリーズのセット
車のバッテリーチャージャー

プレゼントをあけたあと、エッグベネディクトを作って4人で食べた。

午後、夫の叔母の家に行き、早めのクリスマスディナーを食べる予定だ。
叔母の家でもプレゼント交換がある。

アメリカ人のクリスマスプレゼントにかける情熱は凄いと思う。
夏の頃からプレゼント選びは始まっていて、一人に対して4つも5つも用意される。
クリスマスツリーの下にどれだけプレゼントの山ができるかが、幸せの象徴みたいなところがある。




海にはたくさんボートが浮かんでいる。
海の上でクリスマスか。

叔母の家にいたら今年はオープンハウスで、次から次へとたくさんの人がやってきて、多くの知らない人に会うのが苦手な私と夫は、プレゼントをもらって、食べるものを食べたら早々に退散。
こういうところが似ているのは助かる。
これでどちらかがパーティ好きだったら、ちとツライ。

静かな我が家に帰ってきてホッと一息。
熱いコーヒーを淹れて、バスケットボールの試合をテレビでみる。
なんと平和なクリスマス。


クリスマスといえば

2024-12-24 22:33:16 | 日記
日本はクリスマス。
クリスマスに必ず思い出すクリスマスがある。過去に記事にしたかもしれないけど。

あれは中3か高校1年ぐらいだったろうか。
クラスメートにアイリーンというハーフの子がいて、お父さんは牧師さんだった。
そのアイリーンがクリスマスに家の教会に誘ってくれたことがあった。
私を含めた三人は興奮した。

「本場のクリスマスだよー」
「本物の七面鳥が食べられるかも」
「なんかロマンチックな出会いとかあったりして」
「ぎゃーー!ど、どうしよーー!」
「何を着ていく?」
「プレゼント交換しないのかな、何も言ってなかったけど」

クリスマスまでその話題ばかりで、我々の妄想はどんどん膨れ上がっていき、いよいよその日を迎えた。

アイリーンの家までは、静鉄電車という3両ほどしかない小さな電車で行く。
電車の中でも私達は浮かれていて、今夜の楽しいパーティーを思い心は弾み、はしゃいでしゃべりまくっているうちに駅に着いた。

「私だけ彼ができても仲良くしてよねー」
「やだー」
「でもさー、一人だけ彼ができなかったらツライよね…」
「大丈夫だよ、彼の友達とか紹介してもらえるよ」

妄想もここまでくると情けないを通り越して、頭の具合を心配したくなる。

駅から数分歩くと、こじんまりとした、でも温かい感じの教会が見えてきた。

「良くきてくれたねー、ありがとう。さ、中に入って」

アイリーンがでてきて、教会の中に案内してくれた。
中はたくさんの蝋燭と、天井にある控えめな照明だけの明るさで、正面にキリストの像があるのは学校の礼拝堂と同じだ。
既に十数人の人達が正面に向かって座っていた。
静かなオルガンの曲が流れて、話している人は誰もいない。
私達は足音を忍ばせて固い木製のベンチのような椅子に腰かけた。

オルガンが止み、アイリーンのお父さんが前に出てきて、静かに話し始めた。
聖書の一節を読み、人々がそれを繰り返し、讃美歌を歌いキリスト誕生を讃えた。

「ねえ、パーティは?」

ヒソヒソ声で誰かが言う。

「きっとこの後なんじゃない?」

この期に及んで、まだパーティがあることを疑わないアホ3人である。

厳かなサービスはつつがなく終わり、人々が立ち上がり教会から出ていく。
アイリーンがやってきて、

「今日はほんとに来てくれてありがとうね。気をつけて帰ってね!」

と私達一人一人の手を握った。

「こちらこそ、よんでくれてありがとう」

私達はどんな顔をしていただろう。
七面鳥は?
ロマンチックな出会いは?
プレゼント交換は?
本場のクリスマスは?
心の内はそんな叫びが渦巻いていた。
カトリック系の学校に通っていながら、本場のクリスマスがどんちゃんパーティだと思っているお粗末さ。

帰り道、誰も一言もしゃべらずに駅まで歩いた。
アホ3人を乗せた電車は、ガタゴトと大袈裟な音をたてながらクリスマスの夜の中を走りだした。