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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

電話一本、の続き

2025-02-26 20:00:31 | 日記
高齢で独り暮らし、持病持ちの友人マイクに誕生日メッセージを送ったが、返事がなかったことで嫌な予感しかしない。
電話してみればいいだけのことが、電話に出なかったらと思うと怖くてそれもできず…
もしマイクに何かあったとしても、私にそれを知らせてくれる人がいない。

そんな悶々としている記事を書いた。

その数日後に、もう一度メールを送ってみた。
最近どう?
というシンプルすぎる内容で。
果たして二日後、返信がきた。


こっちはすべて順調だよ、聞いてくれてありがとう。ところで今度はいつ美容院に行って、そのハリネズミの頭にカールをつけるの?そのときはピクニックをしようよ、わかった?


いつものマイク節に、思わず
「生きてたーーー……」
と脱力した。
誕生日メッセージは、うっかり見逃していただけのようだ。


来週、マイクに会うことにした。
家からは遠いから、美容院のついでに会っていたけれど、いついなくなるかわからないのがわかっているなら、もっとちゃんと会いに行けばいい。
今回のことで改めてそう思った。
あとで後悔しないように。

マイクに会って別れるときはいつも、これが最後になるかもしれないんだ、と心のどこかで思う。
それはまだ両親が健在だった頃に、帰省してハワイに帰るときに思ったのと同じ。
両親とは年に一度会えればいいほうだったが、マイクには会おうと思えばいつでも会えるのだから、会っておけばいいのだ。






電話一本

2025-02-21 07:54:14 | 日記
電話をかけるだけのことを、できずにいる。
先月、マイクの誕生日にメールを送ったが、返事がないのだ。

マイクはワイキキのはずれに住んでいて、そこは私が行く美容院に近いので、美容院にいくたびに会っている。
ここのところ忙しく、美容院の予約をキャンセルせねばならなかったりで、最後に会ったのは11月の終わりごろ。

84歳になったマイクは一人暮らしで(猫二匹)、6年前に心臓のバイパス手術をした。
昨年、再び調子を崩してピックルボールを禁止されてしまったが、見た目は普通に元気だった。
メールに返信がなかったことはない。
それも誕生日祝いのメッセージを、見逃すはずがない。
ジョーク好きのマイクなら、おどけたメッセージに喜んで乗ってくるはず。

嫌な予感しかしない。

万一、マイクに何かあったとしても、それを私が知る術は、本人が知らせてくる以外にはない。

ふと、思う。
もし私がこの世を去ったとしたら、私の友人に誰が知らせてくれるだろう。
姉妹が知る友人であれば姉妹が知らせることができるけれど、私しか知らない友人には無理だ。
夫が、私の携帯電話に登録されている番号を調べるとはあまり思えない。
仕事関係の名前も登録されているし、仮に夫がそうしてくれたとしても、相手が日本人であったら伝えられない。

最近音沙汰ないなあと思っていたら、既にこの世にいなかった。
そういうことになる。
そんなことをいえば、このブログだってそうだ。

私がこうして生きて存在していること、人とかかわって暮らしていること、それは私にとっては重大な価値のあるものだけれど、
実は薄氷の上に作られたもののように、はかないものなのかもしれない。


ただマイクに電話をかけてみればすむことだ。
でも、もし応答がなかったらと思うと怖い。
先週美容院に行ったのだが、とうとう電話できないままで、マイクの住むコンドミニアムの前を、マイクの部屋があるあたりのバルコニーを見ながら通りすぎた。

マイクは私の恩人で、友人だ。
なんでも話せて、マイクの前では威張ったことも言えてしまう。
年齢と持病を思えば、そうは遠くない未来に別れがくるのはわかっているが、それと、それを受け入れられるかということはまた別だ。

誕生日から一月余りも過ぎてしまった。
きっと電話したら元気で、うっかりメールみてなかったよ、なんて言うのかもしれない。
ちょっと入院しててさ、でももう大丈夫なんだよと言うのかもしれない。
でももしそうじゃなかったらと思うと恐ろしくていまだできずにいるのである。





成長したなと思うこと

2025-02-20 13:01:28 | 日記
昨日の晩、テレビを見ながらネイルをしようと、2階のバスルームにある引き出しから、ネイル類が入っている四角いポーチを出して1階の居間に持ってきた。
ポーチをカウチの袖机に置いたら、何かが飛んだ。
居間の照明は普段は間接照明のみで、薄暗い。
アメリカ人は煌々と部屋を明るくするのを好まないのか、大抵の家は薄暗い。

その薄暗い中、何かが飛んだほうに目を凝らすと、ガレ風のスタンドの笠に  せせらぎ が止まっていた。

(注)せせらぎとはゴのつく虫のことで、名前を言うのも憚られるほど嫌いなので、せせらぎと呼んでいる

何かが飛んだ瞬間、実は私にはそれが何かはわかっていた。こんな動きかたをするものはひとつしかない。
名前を言いたくないほど嫌いなせせらぎを、それも私の手に負えない大きさのやつを乗せたポーチを持って歩いていたなんて。
昔はどんな小さなせせらぎでもダメだったが、最近は2センチぐらいまでなら何とか対決できるようになった。
しかしそこにいるのは、ゆうに5センチは超えている。

猫がいるからか、生ゴミをしっかり蓋つきのゴミ箱にしているからか、年に数回しかせせらぎに出会うことはない。
でも奴らは庭のアガパンサスの下の土の中の巣にいるのを知っている。以前、義両親と夫が庭仕事でそこを掘ったら、わらわら出てきたそうだ(恐ろしすぎる)
で、埋め戻したというのだ。
彼らにとってはせせらぎはカブトムシと同等のところにある。


さて、私はキッチンタオルを掴み、そのデカイせせらぎに向けて、思い切りスナップをきかせて叩きつけた。

この失神スナップはハワイに来てから考案した武器である。
踏んだり叩いたりすると潰れて、さらに恐ろしい状況になるから嫌だ。
洗剤をかけると、あとの掃除が面倒だ。
日本で、泡で包んでしまうという殺虫剤がでたとき、これだと思って早速使ってみたら、泡の中に閉じ込めたはいいが、まだ中で動いている。ホイホイですら恐ろして回収できない私が、動いている泡をどうにかできるはずもなく、途方に暮れた。
タオルでスナップ一撃して失神させ、動かなくなったところで潰れないよう止めをさす。
そして、ペーパータオルを何枚も重ねたのを乗せて、DAISOで買ったマジックハンドでつまんで捨てる。
これが私のやり方。

私の失神スナップはかすかに的を外れて、やつは袖机の下に逃げ込んだ。
袖机をずらしてみても、いない。他に逃げた様子もない。
物音で猫のコーちゃんが駆けつけてきて、一緒に探す。
袖机の脚部分は格子のように縦に何本も棒がある。その脚の裏側のどこかにいるのではと思い、懐中電灯を持ってきた。
見たくはないが、このままにしておくのも困る。
案の定、角の内側の部分でじっと身を潜めているのが見えた。
頭が黒い、キモいやつ。
格子の隙間が狭すぎてものが入らない。
コーちゃんも見つけて手をいれようとするので避難させて、夫を呼ぶ。
夫がガレージから蟻の殺虫剤を探してきて、反対側の角から吹きかけた。

命中し、あわてて出てきたところに再び噴射。
ひっくり返ったせせらぎに、私の失神スナップ。
そのままどこかに行こうとする夫に、片付けるように頼むと、
「Pick it up(拾えばいいじゃん)」
と言いながら、素手で触覚をつまもうとするのでダッシュでペーパータオルを掴み、投げた。
これだから油断も隙もありゃしないんだ。

スナップに使ったタオルは、床をふいてからゴミ箱に。
騒いで逃げるしかできなかった私が、よくもここまで成長したことよ、と思う。
そういえば子供のころ、祖母は飛ぶせせらぎを素手で捕まえたっけ。
どう考えても、今生のうちにそこまで到達する気はしない。








2月も後半

2025-02-20 12:08:45 | 日記
忙しい、忙しいと言っているまに2月も終わりそうでおののく。
何が忙しいといって、先月終盤からずっと来客続きであわただしいのもあるし、職場が超のつく人手不足で1日中やることに追われているのもある。

シアトルから来ていた叔父叔母とその友人夫妻が帰り、インディアナの叔母が帰るのと入れ違いに日本から妹が友達と来た。
ロミロミの短期セミナーを受けるためで、場所がワイキキなので今回はワイキキのホテルに泊まった。
たった四泊なので、迎えに行った日に半日ほど観光に連れて行っただけで、あとは2晩ディナーを一緒にしたらもう終わり。
ワイキキにいながらビーチも見ずに、もったいない。せめてもう1日、遊びの日を作ればよかったのにと思う。
妹は11月に来ているからいいとしても、友達は初めてのハワイだというのに。

妹たちがいる間に、シアトルから義兄がやって来た。
義兄が帰り、今週末は夫の友人がテキサスから来る。
人が来ると、外食が増える。
気をつけていても、身体が重くなる。
たまに家のシンプルな食事をすると、ホッとする。

久しぶりに会う親戚たちとは楽しい時間を過ごせたし、
シアトルの叔母からは作品のコミッションももらえたし、叔母の友人夫妻は何枚もマット入りの作品を購入してくれた。ありがたや。

今週、二人面接をして、両方とも採用した。
一人はとても明るくて勘が良い若い人で、もう一人はスペインの血を引く、落ち着いた感じの人。
だいたい第一印象が良ければいいということが多いので、面接時間は数分で終えた。
これで少し余裕ができてくるはず。
文字通り、あっという間の2月であった。





断る難易度

2025-02-07 14:14:21 | 日記
足の痒みから、砂糖断ちをして一月以上になる。
人に指摘されるほどに肌がきれいになり、ムチムチパンパンだった昔のパンツが履けるようになって(断捨離しなくてよかった)、いいことづくめなのはいいのだけれど、甘党だった私は、甘いものの頂き物が多いのが困る。

中でも、義両親がマメにお裾分けをくれるのを笑顔で受け取るときに心が痛む。
特に義父は自分も甘党なので私に仲間意識があり、
ブラウニーを焼いたとか、デンマークの美味しいクッキーだからといっては分けてくれる。

「砂糖を食べないようにしてるって言えばいいじゃん」

夫は言うが、それができたら悩みはしない。
そういう自分だって、いつか移動車で肉を売る人が家に来た時、さんざん話を聞いていながら、買う気はないのは目に見えている。
それならさっさと断ればいいものを、どうする?と私に聞いてくるのだ。自分で断れ光線も空しく、結局私が断った。

昔の日本にいた頃の同僚が、タケノコをたくさんもらったので近所にお裾分けにいったら、うちにもたくさんあるからいらないわ、と言われて持って帰ってきた、という話をしたことがあった。
私はその時、断るのもすごいけど、「断られちゃってさー、あはは」と全然気にしない同僚もすごいなと思った。

私だったら、タケノコがたくさんあっても、嬉しいふうにして頂くだろうと思う。
相手はあげたくてあげるわけで、その好意を受け取るべきだと思うからだ。

もらいものを断る、あげたものを断られることについて、昔の同僚のように平気な人もいるだろうが、私はそうじゃない。
どんなものでも、あげようとしたものを断られたら、ちょっと傷つく。


義両親にもらった甘いものは、職場に持って行けば誰かが食べてくれる。
でも他でもらったものは、持って行き場がない。
親しい友人には砂糖断ちしていることを伝えてあるけれど、同僚や知人からいただいてしまう。
それらは持って帰り、心で手を合わせてから捨てる。またまた心が痛む。

あっさりと断って、ものを無駄にしないのと、
嬉しいふうにしてもらって陰で捨てるのと、
果たしてどちらがいいのか?という疑問にぶつかるとき、陰で捨てるほうがヒドイように思えてくる。
断りたくないのは相手に嫌な思いをさせたくない、という裏で、自分が悪者になりたくないからだと、もう一人の私が言う。
たぶん、正解。


「砂糖控えてるって(義両親に)言っておいたよ」

おー!やっぱりノーといえるアメリカ人だな。
これで義両親の件は一件落着と思いきや、なぜかそのあとも変わらず甘いものの差し入れは続いているのである。