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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

HALA TREE CAFE

2025-03-09 06:46:44 | 日記
隣村にカフェができた。
HALA TREE CAFE

HALA TREE という名前の木が、ハワイのそこらじゅうにある。
幹の下半分がタコの足のように伸びていて、葉は先端がシャープで黄色と黄緑いろのストライプ。
1階はラボになっていて、ここでコーヒー教室をやっている模様。


家から海岸沿いに車で走って25分。
7時の開店とともに入店。



目の前は海。
風があるけど温かいのでテラス席に座った。
朝日に空が染まっている。

オーバーナイツオーツ

コナコーヒーとビスケット

ビスケットには卵と、とろけたチーズがはさまっている。

私たちがいる間に、どんどんお客が入って来た。
こんな田舎にもおしゃれな店ができて嬉しい。
いつまでも営業してくれるように、月に2,3回は来よう。



値札を見ないで買い物をする

2025-03-07 04:12:47 | 日記
タイトルの通り。
値札を見ないで買い物をする訓練を人知れずやっている。
理由は二つ。

1.自己愛と豊かさ

美味しいけど高い豆腐と、それより安いがまあまあの味の豆腐。
別にまずいわけじゃなし、こっちでいいか。と安い方を買う。これ、やりがち。
値段を見たら、そうしたくなる。
でも、自分の価値ってそれだけ?ってことになる。
安い方を安いからといって買う行為は、「私はじゅうぶんなお金がありませーん!」と宇宙に向かって宣言しているようなもの。
これじゃあ、自分を大切にしていることにはならないし、50円かそこら節約したつもりが、実は豊かさの流れをみずから堰き止めている。


2.単に物価高

今、ハワイは卵1パックが1600円。特別な卵じゃないやつ。
ハワイの物価高には慣れたけど、1600円の卵はビビる。
値段をいちいち見ていたら、心臓に悪い。自己愛も吹っ飛ぶ。


夫はよく仕事帰りに買い物をしてくるが、そのレシートは私は絶対に見ない。
ケチがしみついた私に比べて、夫はなんでもたっぷり買ってたっぷり使う。
それでいて、ちゃんとものの値段を把握しているらしいところがすごい。
毎月のクレジットカードの支払いも、完全に夫任せ。
いくら使ったのか、私は知りたくない。
たぶん私の収入以上であるその支払いを、平気で小切手にして平然としている夫は、やはりすごいと思う。


職場で、同僚が私を呼びに来た。
お客様が、アロハシャツを持ってレジに来た。
20着ほどある中の、なぜかその1着だけが10ドルほど安い値札がついていた。
こういう場合、こちらのミスなので、一応説明したあとでその値札どおりで売る。
中には正規の値段でいいですよ、と言ってくださるカミサマのような人もいるが、このお客様は違った。
それとは違うデザインのシャツが欲しいが、それをこれと同じ値段にしろとおっしゃる。
同僚が断ると、マネージャーを呼べ、ということになり私が呼ばれた。
お客様とは喧嘩せず。
どんなときでも、お客第一。
作り笑顔で、その欲しいというシャツを安い値段で売った。
お客様はドヤ顔でそれを買い、店を出て行った。
私は見送りながら心で思う。

「あんたは今、私はじゅうぶんなお金がありませーん、と宇宙に怒鳴ったのだよ。得したつもりがご愁傷様です。チーン」


自分への戒めでもあった。





電話1本 ~まとめ

2025-03-06 21:42:56 | 日記

元気なのかどうか、モヤモヤするだけで確認すら怖くてできずにいた自分を反省し、昨日、マイクに会った。

天気がいいので、マジックアイランドでピクニックをすることにした。
アラモアナで待ち合わせて、それぞれ食べ物を買い、マイクの車で向かい側のマジックアイランドへ。
雲一つない青空に風が吹き抜けて、どこまでも広い芝生の上で太極拳をする人たち、ハーモニカを吹くグループ、ひとりでエクササイズをする人、私たちのようにランチを食べている人たち。
海に目をやれば、サーフィンをする人たち、レガッタを漕ぐ人たち、浅瀬で泳ぐ人たちがキラキラと太陽の下で輝いて見えた。

「僕がハワイに来たとき、1960年頃だけど、ここはまだ埋め立てされて間もなくて、一面の泥だったよ」

マジックアイランドは埋立地。
泥だった地面に、今はどっしりとしたモンキーポッドがたくさん伸びて、涼やかな木陰を芝生に落としている。

「私たちはココで結婚したんだよ」

18年前、私と夫はここで結婚式を挙げたのだ。

マイクは風邪をこじらせて肺に炎症が起きているらしく、咳をしている。
調子が悪いなら日を変えればよかったのにと言うと、
だいぶよくなっているし、こうして外に出たほうがずっと気分がいいのだと言う。


マイクはまた少し痩せたみたい。太っているより健康にはよほどいいけど。
誕生日のプレゼントを渡した。

「84だよ、驚くね。同窓会の通知が来たけど、半分以上はアッチにいっちゃってた」

心臓の持病はあるけれど、84歳にして一人暮らしで、出歩くことも車の運転もできて、頭もシャープで、日本人ならともかく、アメリカ人としては上出来じゃないかと思う。
私の義両親はともに80歳だが、彼らの友人たちのほとんどは旅行などおろか、もう助けなしでは生活できない。
平均寿命が短いアメリカでは、それが普通なのかもしれない。

足が痒くなって、砂糖をやめたら治ったという話をしたら、

「え!!!!ボクもそう!!あれは砂糖だったのッ!病院に行こうかと思ってたところだよ」

数か月前に新しい住人が3つ隣の部屋に越してきた。
フランス人の女性で、夫を亡くして一人暮らし。
車がないので、たまにマイクが車に乗せてウォルマートなどに行くようになり、お礼にパイやクッキーやドーナツを作って持ってきてくれるのだそうだ。
これがまたほっぺたが落ちるほど美味しい。
もともと甘いものが好きなマイクは、それで足が痒くなったというわけ。



何かあったら知らせてね。

と言いたかった。

でも、突然倒れたりした場合は・・・
そのまま搬送されて、連絡する暇も状況もなかったら。
フランス人がいてくれれば、ひとりで倒れて何日も発見されず、お腹をすかせた猫二匹が部屋をうろうろしている、ということにはならないで済むかも。
悪い妄想は深みにはまってしまう。

もし、アッチにいってしまったら、どうにかして知らせてね。

と言いたかった。
ジョークの感じで、「夜はやめてよ」などと言って。
けれど、言えなかった。言えないよなァ。


父が元気だったころ、電話で
「死んだら飛行機にも乗らずに一瞬でハワイに来れるね」
「おお、そうだなあ。そしたら必ず行くよ。楽でいいなあ、ワッハッハー」
などと話したことがあった。
あの頃、父はまだ80にもなっておらず、だからそんなことが言えたのだ。


家に帰り、しばらくするとマイクからメールが届いた。
今日は来てくれてありがとう、とても楽しかった。いい友達でいてくれてありがとう。

こちらこそ。

両親をなくしたとき、私は思ったよりも元気でいられたと思っていた。
けれども、身近な人との別れがくるのがこんなに恐ろしいと思うのは、いつかは来るとわかっていたことが、まさかの本当になってしまったことが少なからず私の心に跡を残しているのかもしれなかった。

きっとまた会える。
会えなくなるまで、会える。
さばさばと、それでいいじゃないかと自分に言ってみる。






便利に慣れたら戻れない

2025-03-06 04:42:15 | 日記
昨年の7月に買ったラップトップを、ほぼ毎月のように修理に持ち込んで、
挙句の果てに機械自体を直さねばならないといって、アメリカ本土に送ることになった。
あれからほぼ1か月。
もうパソコンがないことすらも忘れてた。
車の任意保険の支払いはいつもネットでやるから、そのつもりでいたのにパソコンがない。仕方がないから小切手を切った。
私のアート関係の確定申告も、用紙を打ち出そうとしたらパソコンがない。
シュートメのパソコンを借りたら、シュートメのプリンターの調子が悪くて印刷できず、夫の叔父の家まで行って借りねばならなかった。おかげで叔父特製の美味しいコーヒーを2杯も飲めたけど。

今日、用事があってホノルルにいるときに修理終了の電話があり、すぐに予約をとって、そのまま受け取りに行ってきた。
久しぶりにブログをパソコンで書いている。
もし今度おかしなことになったら、もう買い替えだ。

パソコンがない間、スマホがあったから特段に不自由はしなかった。
実際、ラップトップを受け取るのに予約をするのだって、スマホがなかったらできなかったし、レストランの予約もスマホでできたし、ちょっとした調べ事もできた。
そうしてみると、今、なくなったら困るものはスマホということになる。
スマホの能力の1%ぐらいしか使えていない私ですら。

初めて携帯電話を持ったのは、34,5歳の頃だ。
友人間では私だけが携帯電話を持っておらず、方向音痴で早とちりで人の話を聞いていない私とすんなり待ち合わせができないから、頼むから電話を持ってくれと懇願されて、自動車ディーラーで電話を買った。
昔はなぜか、自動車ディーラーで携帯電話を申し込んだのだ。
持ったはいいが、電池がもったいないからといって、夜は電源を切り、朝はそのまま忘れて電源なしで持ち歩くので、結局連絡がとれないことに変わりはなく、周囲は呆れかえっていた。

若い頃に携帯電話があったなら、恋愛だってもっとスムーズに展開したり終わったりしただろうし、
仕事に遅刻するのも、待ち合わせに遅れるのも、ヤキモキせずに済んだ。
メールと違って、今この瞬間の相手を拘束する電話は、電話をかける前の躊躇が半端ない。
しかもそれが、家の電話なら、相手が家にいるかもわからなければ、家族の誰が出るのかわからない。
友人にしても、子供がいる人であれば、この時間は食事時だろうかとか、お風呂だろうかなどと想像し、結局かけそびれること多し。
でもあのモヤモヤやじれったさを知っていることは、貴重じゃないだろうか。

パソコンを買ったのはもっと後だ。
同僚が、インターネットで何でもできると話しているのを聞きかじって、
「じゃあそのインターネットを私に買って来てヨ」
と言って相手を凍らせた。
今、その時点よりはいくらか成長したが、ブログが書けるのが不思議なくらいで、たいしたことはない。

そうは言っても、もうあの頃には戻れない。
近所のスーパーの入り口の脇で、ひっそりと蜘蛛の巣に覆われて佇んでいる公衆電話の前で、
「なんか、ごめんね」
と言ってみる。
私はハワイで1度も公衆電話を使ったことがない。







昔のテレビはよかった

2025-02-26 21:08:42 | 日記
いつからだろう。
テレビがただのテレビじゃなくなったのは。
地デジの頃か?
双方向ナンとかができるようになった頃か?
ブラウン管じゃなくなった頃か?

夫の叔母の家でキャットシッターをしていたとき、テレビの使い方を一応教えてもらったのだが、それはテレビというより大きなコンピューターで、何をどうしても番組ひとつ見られずに諦めた。
かくいう叔母も、叔父の留守に姉(うちのシュートメね)を誘って家で映画を観ようとしたが、とうとう見られなかった。

昔はよかった、と言う人にはなるまいと思っていたけれど、あえて言ってしまおう。
昔のテレビはよかった。
テレビの上にアンテナを乗せていたりして、まさに電波を受信して映像にするシンプルな受像機だった。
映りが悪くなると叩けば直ったりした。

それがどうだ。

今朝、テレビをつけたらチャンネルは変えられるのに画面は真っ暗。音も出ない。
ハワイでは、音だけ出ないとか、一時的に受信できないことがたまにあるが、時間をおいて試せば元通り。
だから夜になれば直っているだろうと思ったが、夜もやはり真っ暗なまま。
ケーブルテレビの不具合であれば、隣の義両親側のテレビも同じはずなので聞いてみたら普通に映るという。

私も夫も機械に疎い。
私はどうせ何もわからないのがわかっているから、すぐに「買い換えか」と思うが、夫はわからないなりにコツコツ試してみるタイプ。
リモコン操作でいろんな画面が出てくるのを、私はボーっと眺めている。
まるでパソコン。
「ねえ、なにやってンの」
「わからない」
なんだ、わからずにやってるのか。
そのうち、パッと画面が出てきた。

「どうやったの?」

「設定があったから、そこから再起動をしてみた。スマホでもパソコンでも再起動するとよかったりするよね」

子供の頃のテレビは、国営放送のほかに2つか3つしかチャンネルがなかった。
それが今は、何百というチャンネルがあり、私のような人のために英語の字幕までつけられる。
テレビまで歩いて行かねばチャンネルひとつ変えられなかった。ダイヤルがボタンになっただけでも便利になったなどと思ったものだ。

確かにテレビは娯楽性が半端なく爆上がりしたことは認めるけれど、
どうしてこんなに複雑にする必要があるのか。

できればチャンネルの数は今のまま、英語の字幕もそのまま、ただ昔のテレビのように、合わせたチャンネルの番組が映るだけのテレビもあって、選べたらいいのに。

そんなことを思うのは、スマホの実力の1%しか使わずに終わる私のような人だけだろう。