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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「で」抜き言葉

2021-10-21 08:02:18 | 英語とか日本語の話
小説によっては、わりと頻繁に出てくる会話言葉が気になる。

「なんすか?」
「できないすよ」

「で」が抜けている。
だいたい、話すのは若い男だ。
私だって、その言い方は知っているし、聞いたこともある。
聞いたり、映画の中で話すのを聞くのは素通りなのに、文章になると引っ掛かってしまう。
なんか軽薄な感じ。
軽薄な感じの役どころなのだから、それでいいのだけど、いつもいつも「で」が抜けているとうんざりする。


言う人がいないので夫に言ったら、
「その感覚はよくわかんないけど、まあ、それは年をとったということなんだろうねえ」
と一刀両断。
あまりに図星で腹が立つ。

話し言葉は、時代につれて変わってゆくもの。
山崎豊子氏の「女の勲章」の中で、出てくる女性がみんな「ですわ、ますわ」を語尾につけて話すので参ったことがある。(その記事はコチラ
「女の勲章」は1961年。
私が子供の頃に読んだ漫画の中で、気取った女性が、
「私は知らなくてよ」
などとよく言っていた。
大人になってからは、「全然」のあとに肯定する言い方が増えてきて、
「全然大丈夫じゃん」
なんて今は普通に聞くし、使っている。

だから「で」抜き言葉も、気になるのは今だけで、
そのうち平気になってゆくのかもしれないけど。

ひらめいた。
英語の、あるのに消えてしまいそうな発音しかしない音だと思えばいいのか。
たとえば

Width (幅)

dは日本人の私の耳にはほぼ聞こえないから、Withと混同する。
「なんすか?」 
も、が聞こえないだけ。

「だからさー、そうやってこねくり回すの、やめたら?どうでもいいじゃん」

ばっさりと夫に切り込まれ、ぐうの音も出ない。






ふっれけえき

2021-09-16 07:50:34 | 英語とか日本語の話
同僚に聞かれた。

「Do you know where ふっれけえき is?(ふっれけえき、どこにあるか知ってる?)」

「は?」

「昨日、ここにあったんだけど。ふっれけえき」

ふっれけえき という単語が頭をぐるぐるまわり、アルファベットをあてはめてみるが、いっこうにわからない。
そのうち同僚が、

「あった、あった、この下に隠れてたわ」

といって出してきた段ボール箱には、ふりかけチップスが入っていた。
ふりかけふっれけえき。

「それは ふりかけ だよ」

私は正しい発音を教えた。
普通の「ふ」の発音が、なかなかできない。

「ため息つくみたいに、フーって言ってみ、フラのフだよ」

「ふ」が言えるようになっても、そのあとが ぅれけえき になり、「け」に大仰なアクセントがつく。

ぅれ じゃなくて 
それに、アクセントつけないで平たく言うの」

同僚は何度も練習し、言った。

「でもさ、Furikake だよ?シロの発音だとFじゃなくてHだよね」

それはそうだが、そんなことを私に言われても困る。
日本語に近く表記するならば、HULIKAKE にすべきだろう。
日本語のらりるれろの発音は英語にはない、と言われているが、
Lだったら、文章の中に組み込まれていればだが、まあまあ日本語のらりるれろで通じる。
単語だけになると、そうもいかない。
らりるれろは、舌が上あごの上の前歯に近いあたりに当たるけど、
Lは歯の裏の、先のほうに当てたほうがいいような気がする(個人的な見解)


とにかく、英語圏にあっても、私は日本語の単語に関しては迎合しない。

本土からのお客様が聞く。
ふっれけえき、って何?」
ふりかけは、海藻やゴマを粉砕して味付けしたものです」
「へえ、ふっれけえきなんて初めて聞いた」
「ハワイじゃふりかけは普通に食べられているんですよ」

カラオケは断じて キャリヲキ ではなく、空手は断じて クワァリ ではない。
照り焼きは断じて テぅリヤーキ ではなく、ふりかけもそういうことである。










相槌を打つのは日本人

2021-09-01 07:19:03 | 英語とか日本語の話
9月13日から、レストランや公共施設などに入るには、ワクチン接種した証明か、48時間以内に受けたコロナの陰性証明を提示することになった。
ワクチン適応年齢に満たない子供は例外。
ここのところの感染者数の急激な伸びで、政府もあたふたしているのだ。
とりあえず、60日間、それを実行してみるということらしい。


英語を話す人たちは、相槌を打たない。
それは夫と結婚して、しばらくして気づいたことだったが、
いまだに相槌無しに慣れないでいる。

夫が義兄と電話で話している。
私は他のことをしながら、聞くでもなく聞いている。
静かになったので、電話は終わったのだと思って振り返ると、まだ話し中。
相手が話しているときには、黙ってそれが終わるまで聞く。
どうもそれが英語流らしい。

しかし、私は違う。
LINEで会話をしている時ですら、我ら日本人は相槌を打たずにおれない。
長いメッセージを、何回かに分けて打電してくる相手に、メッセージの合間合間に

「ほうほう」とか
「へえ、それで?」とか
「あちゃー、それでどうなった?」

などといった合いの手を入れてしまう。
そうなんだー、のような意味で「Is that so?」みたいな英語もあるけど、
友達同士の会話で、そんな堅苦しいことを言ったら嫌味になる。
相槌にちょうどいい言葉が、英語にはないのだと思う。

確かに、「ふうん」とか「へえ!」は日本語特有である。
日本人のツアー客が、ガイドの説明を聞きながら、みんなで声を合わせて
「へえー!!」
と言うのを同僚が、
「いつもああ言うけど、あれはどういう意味?」
と聞く。

日本人の知人が、アメリカ人相手に日本語の乗りで相槌を打っていたら、
「ちょっと、話し終わるまで黙っててくれないかな!」
と言われてしまったという。
日本人の相槌は、私はあなたの話をちゃんと聞いていますよ、のお知らせであり、気配りだ。
相槌を打ち、打たれ続けて半世紀。
それは私の髄までしみ込んでいて、相手にうるさがられながらも英語で相槌を打ち、
「ちょっと私の話、聞いてんの?」
と、相槌を打たない夫に文句を言い続けるのである。






語尾が、変

2021-08-30 08:55:26 | 英語とか日本語の話
母国語が違う夫婦の多くは、暮らしているうちに独自の言語形態ができてくるのではないかと思う。
どちらかが相手の言葉を母国語並みに操ることができる場合は、その限りではないだろうけど。

ちなみに我が家の日常の会話はほぼ英語だが、日本語特有の単語は、日本語のまま。
「ただいま」とか「おかえり」とか、「いただきます」「ごちそうさま」「おつかれさま」といった単語がそれだ。

しかし、うちの場合、その英語の会話の語尾が時たま変になる。
同意を求める時、日本語だと語尾に「ね」をつける。

「今日は暑いねー

その語尾だけが、英語のあとにつくことがあるのだ。

「Its warm today ね~

「This is much bigger than I thought ね~」(思ってたよりずっと大きいよねえ)

英語にも「Isn't it?」といった同意を求める言い方があるけど、夫すらそれを使わず「ね~」と言う。



日本にいたとき、奥さんが日本人の夫の同僚がいて、ときどき夫婦でうちに遊びに来ていた。
奥さんは英語がペラペラで、英語はてんでダメだった私は3人の会話を呆然としながら眺めていた。
彼らはカリフォルニア州に移住することが決まっていた。
奥さんが、

「家だと、二人だけに通じる会話が確立されつつあって、あっちに行ってからそれが出ちゃったらって不安になるよ」

と言って、それがどんなふうに変なのかを説明してくれたのだけれど、
その説明すら私にはよく理解できなかった。
よくまあ、そんな程度でガイジンと結婚したもんだ。
それは勇気ではなく、向こう見ずといったほうがいいだろうが、人生にはそういう向こう見ずなことが必要なこともあるのだ。たぶん。


あれから15年。
あのとき奥さんが言っていたことは、こういうことかと腑に落ちた。
そして私は職場で同僚相手に、つい「ね~」がポロリと出てしまうことがあり、
あの人もカリフォルニアで冷や汗をかいているのだろうかなあ、と思ってみたりするのである。









頭と口がどんどん離れてく

2021-08-01 09:01:19 | 英語とか日本語の話
オリンピックの前のことだが、日本の高校生たちが、大型バス4台で職場にやってきた。
学校行事のひとつなんだろうけど、準備しなければならないことも多いこの時期に、よく来られたなあと驚いた。

100人近い学生が一度に店に入るので、店内は押すな押すなの混みよう。
ツアーバスは、似たような時間に重なって来るので、職場がそういう状態になるのはいつものことで、
試食のフロア内で立ち止まっておしゃべりしたりしている人たちを、他の人たちが試食できるように、うまく流れさせなければならない。

フロアは日本の高校生で大盛況。
「シロ、立ち止まらないで順に動いてくれるように日本語でアナウンスしてくれるかなあ?」
マネージャーが言う。よし来た。私の出番だ。

私は少し高い位置に立って、「はーい、みなさーん!」と言った。


が、そのあとの言葉が出てこない。


頭の中では、だいたい文章ができつつある。

「試食を取ったら、他のお客さまのために立ち止まらないで進んでください」

それが、口からするすると出てこないのだ。
日本語なら、文章を作らなくても自然に、言いたいことが口をついて出てくるはず。
友達とのおしゃべりなどは問題ないのに、改まって何かを話す、となるとそれができなくなる。
いったん声をあげたことで、高校生のみなさんの視線は私に集まり、緊張が増してますます混乱。
結局私は、

「動いてください、止まらないで、他の人が入れるように」

主語述語が英語文の、しどろもどろの日本語を尻すぼみに言っただけだった。


これはさすがにショックだった。
同僚たちは「さすがシロだね」なんて言うが、私がどんなお粗末な日本語を話したか彼らは知らないのだ。
日本語の本を毎日読み、ブログを書き、LINEでチャットしている。
でも、猫たちに向かって日本語を話すだけでは、ちゃんと話をする能力がさびてくる。

ハワイに来た頃、私は頭の中で英作文をしてから英語を話していた。
だから会話についてゆけず、無口な人になった。
それが今はどうだ。
英語を話すとき、単語しか出てこなくても通じれば良いと思っているから、私は何も準備しなくなった。
その代わり、ちゃんとした日本語を話すときは、しっかり準備をしないと言葉が出てこなくなった。

こんなとき、いつも思うことだが、
さびつく日本語のスキルを、英語がカバーできているわけじゃないということだ。
英語のスキルはとっくの昔に頭打ち。
だから私の危機感は、ちょっと笑えないぐらいなのである。