ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

学部レベルでの社会福祉専門職養成教育における達成課題について(3)

2008年11月11日 | 論説等の原稿(既発表)
3.基礎教育と社会福祉士の基礎科目の関係での課題
 社会福祉士養成カリキュラムでの基礎科目とされるものは、旧カリキュラムの場合は「心理学」「社会学」「法学」「医学一般」であったが、新カリキュラムでは「人の構造と機能および疾病」「心理学理論と心理的支援」「社会理論と社会システム」「現代社会と福祉」「社会調査の基礎」となり、社会福祉士受験資格の基礎科目は、より社会福祉士が実践する上で必要な知識に収斂した科目名なりシラバス内容に変更された。

 このことは、確かにメリットとデメリットがある。メリットとしては、よい専門性と関連性の深い教育となり、社会福祉専門職教育の専門性を高めることに役立つ。一方、デメリットとして、広く人材を育てる側面が弱くなったことも確かである。

 これについての見解は、社会福祉士資格試験に関わる科目としては、社会福祉士の実践に近い領域での知識の習得であり、基本的な知識については、個々の大学の特色を活かしながら、独自の教育をしていくことが基本方針である。そのため、個々の大学で独自の基礎教育が求められる。それは、日本学術会議が言う「社会思想・社会哲学」「社会史」「社会学」「経済学」「経営学」「政治学」などの社会科学、「生命倫理」「人権思想」「文化人類学」などの人文科学、「社会計画論」「社会運動論」「社会起業論」「福祉経営学」、さらにはスピリチュアリティやホスピスなど現代社会が抱える人間科学的な内容やユニバーサルデザインなど行動科学であろうか。こうした科目を単に羅列するのではなく、そうした基礎として、どのような社会福祉専門職像を築いていくかのコンセンサスが求められ、そこから基礎教育の内容が明確になってくる。

 この具体的な展開は、一般教育科目や一・二回生等のゼミナールで確保することになるが、ここでは、この一般教育科目の位置づけが単に社会人になるための必要な素養と、さらに社会福祉専門職養成に求められる素養は全て重なるわけではない。但し、前者を目的とする素養についても、かっての教養教育という視点が弱くなり、今回、日本学術会議でも「教養教育のあり方」をテーマにして提案を準備している。後者については、旧カリキュラムにおいては、基礎教育科目は多くの大学では一般教育科目で出来る限り賄ってきたのが実情であるが、今回の新カリキュラムの名称通りの教育を実施するとなると、どのような専門職像を捉え、そのために一般教育科目の位置づけを明らかにし、具体的に必要な科目の設定が求められることになる。

 ここで最も重要な社会福祉専門職像については、今後の議論であり、社会福祉の実務者と研究者との総意で創り上げていかなければならない。


学部レベルでの社会福祉専門職養成教育における達成課題について(2)

2008年11月10日 | 論説等の原稿(既発表)
2. 社会福祉専門職としての養成の課題
 学部段階から社会福祉専門職業人を養成していくためには、基礎教育と専門教育に分かれ、それら両方のウイングに教育の幅を広げていくことが課題となる。日本学術会議の「近未来の社会福祉教育のあり方について―ソーシャルワーク専門職資格の再編成に向けて―」においても、基礎教育として、以下のような提案を行っている。

「社会福祉士養成教育に偏りすぎるきらいのある福祉系大学教育の是正には、社会思想・社会哲学・社会史、社会学、経済学、経営学、政治学などの社会科学や、生命倫理、人権思想、文化人類学などの人文科学等、幅広いカリキュラムで編成できる教育体制の構築が求められる。社会福祉制度の多元化に対応するためには社会計画論、社会運動論、社会起業論、福祉経営学など研究・教育内容を広げる必要があり、スピリチュアリティやホスピスなど現代社会が抱える人間科学的な内容やユニバーサルデザインなど行動科学的な内容にもリンクしたカリキュラム改革も必要とされる」

 一方、社会からのニーズに応えられる人材の育成のためには、現状の実践能力を有した人材が輩出できてこなかったという反省からは、専門教育へのウイングを広げていく必要がある。同じ提案の中では、以下のように言っている。

 「幅広く学際的に活躍するには修得すべき教育内容のウイングを広げる必要はあるが、学際的実践チームの一員として認められるには、社会福祉学およびソーシャルワーク実践の固有性をあわせて追究しなければ適切なポジションは得られない」

 以上の結果、基礎的な教育と専門職教育の充実の両者がバランスよく教育されることが必要となっている。しかしながら、限られた時間数の大学教育の中でこれらの両面を充実していくことは至難の業と言える。そのため、一般教育科目でのリベラルアーツ等で工夫を凝らすことが求められる。一方、学部内での専門職教育については、ジェネリックな専門職教育とスペシフィックな教育をいかに整理し、社会のニーズに応えられる人材が輩出していくかが問われることになる。


学部レベルでの社会福祉専門職養成教育における達成課題について(1)

2008年11月08日 | 論説等の原稿(既発表)
 昨日開催された「日本社会福祉教育学会」のシンポジウムで、「学部レベルでの社会福祉専門職養成教育における達成課題について」というテーマで報告をした。そこで、そこでの内容を再掲する。

問題提起
 日本では社会福祉教育は行われているが、社会福祉専門職教育が必ずしも十分に行われているわけではないのではないか。なぜならば、専門職教育であれば、卒業生は一般的に専門性を活かした職場に就職していくことになるが、決してそうした状態になっていない。また、社会福祉士や精神保健福祉士といった国家資格を出しているが、合格者が低いことでも、教員・学生の両者ともに、医師や看護職のような、この資格がなければ仕事ができないという真剣さや厳しさが欠けている。そのため、社会福祉教育を超えた社会福祉専門職教育への舵を切っていくことが必要不可欠と考える。但し、この専門職養成教育は、単に知識や技術を身につけさせるだけでなく、ひとりの人間として社会で生活していく上で必要な素養を身につけた上での専門職養成教育を目指すべきである。

1. 社会福祉教育の現状
 日本の社会福祉教育の現状をみると、情況はこの20年間で大きく変わった。社会福祉士の国家資格制度発足以降20年が経過したが、この間社会福祉士を養成する大学は急増した。国家資格制度発足前の昭和61年には、日本社会事業学校連盟への加盟校数は僅か48校に過ぎなかったが、平成20年9月現在の日本社会福祉士養成校協会の会員数は大学が190校、大学院1校、短大・専修学校が47校、一般養成施設が38校、合計276校になっている。

 こうした急激に増大してきたため、社会福祉士を養成する大学は、大きく二分されているといえる。国家資格ができる前から社会福祉教育を実施してきた大学は、リベラルアーツを基礎とした社会福祉を強調し、文学部や社会学部系に位置づけられる傾向が強く、アドミッションポリシーも必ずしも社会福祉士を目指す学生を集めているのではない。一方、国家資格ができて急増してきた新設大学は、当初から専門職業人教育を目的にし、保健・看護やPT・OTといった医療系の学部・学科と並立して新設される傾向があり、アドミッションポリシーは社会福祉士を取得させ、専門職として社会に送り出すような学生を募集することになっている。もう一方、社会福祉士は社会からのニーズもそれなりに高かったことと、教員定数等容易に設置可能なため、多くの他の既存学部が学部・学科名を変更し、社会福祉士資格取得を目的にする学部・学科に移行してきた。

 社会福祉系学部・学科はこのように多様な出自をもっているが、今回のカリキュラムの変更や実習・演習の充実、さらには、数年前から始まった社会福祉士合格率の公表以降、多くの大学は社会福祉専門職教育の方向に舵は切られ始めたと考えている。


朝日新聞の広告欄「実践的な福祉の専門家を育成」でのコメントの続き

2008年11月07日 | 社会福祉士
 10月31日の朝日新聞全国版で、日本福祉大学、東北福祉大学、淑徳大学、金城大学の4大学が大学プロジェクトの広告欄で、「実践的な福祉の専門家を育成」というタイトルで一面広告を出した。そこに、朝日新聞の広告担当者から、社会福祉士に対する期待感を話して欲しいと言われ、電話でコメントをした。

 その内容が、この広告欄に出ているので、社会福祉士やソーシャルワークをどのように認識し、どのように方向付けていくかの私の気持ちが表れている気がしたので、以下に再掲しておきたい。
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『実践的な福祉の専門家を育成』
●高まる社会福祉士への期待
 社会福祉士(ソーシャルワーカー)とは、国家資格で認められた福祉の専門家で、生活上の問題をもっている人々に対して生活の質を高めるための支援を行っている。これまでは、高齢者・障害者・児童向けの施設を中心に活動していたが、近年ではニーズの多様化・高度化が進み、学校や、病院、市町村など、多様な職場で社会福祉士が持つ知識や技術が求められている。
日本社会福祉士養成校協会の白澤政和さんは、その背景をこう語る。

「医療ソーシャルワークや、不登校・虐待といった子どもの課題に対応するスクールソーシャルワークなど、社会福祉士のニーズは日ごとに高まっています。働く場も増えており、行政にも社会福祉士が数多く配置されるようになってきました。今後は、一般企業のメンタルヘルスなどにも、活躍の場が広がると予測されます」

●実践的な人材育成が進む
社会からのニーズの高まりを受けて、社会福祉士には、これまで以上に生活を支えるための高い実践力が必要となる。昨年行われた社会福祉士の制度改正では、実践力を高める教育内容が義務づけられており、各福祉系大学では、少人数でのきめ細やかで、充実した実習・演習体制が整えられた。

「法改正や教育機関の取り組みによって、胸を張れる教育基盤が整ったといえます。誰もが快適に暮らせる社会にしていくために、各福祉系大学の特性を生かした教育のもと、社会に貢献しようという気概をもった人材を育みたいですね」

 白澤さんの言葉は、社会福祉士の教育体制への手応えを感じさせる。これからの日本を支えるうえで欠かせない福祉の専門家を―これから社会へと羽ばたいていく若き社会福祉士に、大きな期待を感じずにはいられない。』

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 こうした期待を推し進めていくためには、大きくは、ソーシャルワーカーのレベルを高めることと、それぞれの職域でソーシャルワーカーが入ってくることを承認してくれることが必要である。この社会的承認(social sanction)は、国から得たり、職能団体や養成団体から得たり、雇用する団体や機関から得たり、国民から得ることになり、その結果として職域が拡大していくといえる。

 養成団体である(社)日本社会福祉士養成校協会の会長としての個人的意見としては、養成教育の充実に加えて、ソーシャルワーカーである社会福祉士の社会的承認を得ていくために、多くの仕掛けをしていくことが喫急の役割であると考えている。後者の仕事は今まで経験がほとんどないことであるが、今回の「ソーシャルワーク」教育課程の原案も、雇用する学校側から承認(sanction)を得ていくものになっていってほしいと構想しているものである。そして、学校で活躍する社会福祉士の養成を目指すことを目的にしている。

 ただ、これは一例であり、新たに他の領域での職域開拓や、既存の領域での社会的承認を強化するために、前進あるのみという思いがある。

 

 

障害者自立支援法への違憲提訴(2)<保険でも「違憲」議論ができるのか>

2008年11月06日 | 社会福祉士
 一昨日のブログを書いていて、1つの問題点が浮かんできた。それは、障害者自立支援法の応能負担制度が「違憲」であるとの提訴を地裁にしたが、これは租税で実施しているためにできるのではないかと思った。保険の場合は、提訴できても、勝訴することは極めて弱いのではないのかと思った。

 保険の世界では、被保険者が保険料を出し合った、被保険者間で相互扶助するものである以上、提訴される主体が「国」ということは成り立たないのではないのか。

 ある意味、介護保険制度ができる時に、介護を租税でやるのか、保険に変えるのかの大議論があったが、どちらもメリットとデメリットがあるが、その中に、保険になれば、国家なりの責任が弱くなるということが主張されていた。これは、提訴そのものが考えにくく、提訴をしても勝訴する可能性が弱いことにつながっていると思った。

 将来、障害者が介護保険制度のサービス対象者になる可能性もあるが、その意味では、今回の提訴の意義は大きい。租税で実施している時代に、決着をつけておく良いタイミングであると思う。同時に、将来は消費税議論があるが、これとても10%程度の消費禅であれば、恐らく、年金の補充に当てることがメインであり、介護や福祉サービスには回ってこないであろう。そうすれば、現状の租税での福祉サービスが保険でのサービスに移行していく可能性は大きい。それは、保険料の方が
国民に出してもらいやすいからである。

 そうしたことを想定すると、保険の仕組みにおいても、国の責任が弱いのであれば、どこの誰が大きな責任をもっているのであろうか。そうした議論も考えてみる必要がある。

 その意味で、今回の障害者の提訴は「違憲」についての審議であるが、今後の社会福祉のあり方を問うものであり、社会福祉の研究者や実務者はここから目をそらしてはならないと考える。

障害者自立支援法への違憲提訴(1)<「応益負担」原則について>

2008年11月05日 | 社会福祉士
 2005年に成立した「障害者自立支援法」では原則1割の自己負担を取る、応能負担制度が導入された。それまでは、本人の所得に基づく、応益負担制度であり、所得の低い人は無料や安い利用料を負担し、所得の高い人は高い負担料になっていた。当然、応能負担の時代には、多くの障害者は就労へのバリアがあり、所得が低く、無料で利用する人も多かった。

 このことに対して、10月31日に、障害者自立支援法は最低生活を保障する憲法に反するとして、30名の障害者が8つの地裁に提訴した。これについて、私の基本的な思いを述べておきたい。

 障害者同様に、高齢者についても介護保険制度が始まった2000年より、保険制度となり、障害者に先立って応能負担から応益負担に変わった。その時も、施設入所していた者の負担は、低所得者世帯は増え、高額所得世帯は下がった。ただし、保険という元来の仕組みは、保険料を払う被保険者間での相互扶助の仕組みであるため、被保険者間で負担も原則平等であることはやむを得ないと思った。一方、保険といいながら、公費が半分投入されている以上、低所得者が1ヶ月ごとにさほど高い負担をしなくて済むように1か月に利用者が支払う利用料の上限を決めておく高額介護サービス費制度の充実を図ることを願っていた。できる限り多様な低所得者別に分け、さらに上限額を抑えることである。一応、この制度ができているが、十分かどうかは議論の分かれるところである。

 今までの発想では、保険では応益負担になり、租税では応能負担になると考えていたが、障害者自立支援法で応益負担制度を導入し、その考え方を転換した。これは、介護保険制度という保険の世界に応益負担を導入したのとは異なり、租税の世界に導入したことである。ただし、保険=応益、租税=応能といったことは幻想であり、多くのサービスを考えた場合、税金で行う多くの行政サービスを応益で実施していることも確かである。そのため、租税に基づくサービスに応益負担を導入すること自体は否定するものではない。

 一方、障害者の場合には、租税でもって様々なサービスが提供されているが、これは児童領域も同様であるが、児童領域での例えば保育所の保育料の自己負担は応能負担が今も続けられている。ここに、児童福祉のサービスは応能負担で、障害者福祉は応益負担であるのかの説明がつきにくい。これは、障害者のサービス利用は契約によると説明すれのであれば、児童領域でも保育所の利用については契約の仕組みとなっており、説明理由にはならない。

 保育所に子どもを入所させている世帯は共働き世帯が多く、こうした世帯に比べて、障害者の所得が相対的に低いことを考えると、租税で実施する福祉サービスの中で、障害者に特化して応益負担を導入するのには、配慮が欠けているのではないかと思う。理論的には、児童領域も含めて、応能負担から応益負担の議論をすべきであると考える。

 さらに、福祉サービス制度を応能負担から応益負担に切り替えていくとするのであれば、増加する負担分を払うことができるよう、基本となる低所得者の所得を補償していくことが前提である。障害者の場合には、障害者手当なりの充実により、誰もが一定の所得をもつことの実現を前提にして、応能負担の仕組みが議論されるべきであると考える。

 私の思いは、社会保障財源をできる限り抑制しなければならないという社会状況については理解できるが、困っている人にやさしさをもった社会を国民すべてで作り出していくべきであると思っている。その意味では、障害者への応益負担は、社会の側での配慮が欠けるものと思っている。

 

社会福祉領域での教育の目指すべき方向(下)

2008年11月04日 | 論説等の原稿(既発表)
3 「ソーシャルワーカー養成教育」と「社会福祉教育」の関係
 第2の問題 は、「ソーシャルワーカー養成教育」と「社会福祉教育」との関係はいかにあるのかである。「両者は一緒のことなのか」、「後者が前者を包摂したより広い教育なのか」、あるいは「後者は前者の一部を含む別個なものなのか」である。ほとんどの社会福祉の研究者や教育者は、このような質問に対して一瞬返事に窮するのではないだろうか。
 
 その原因は「社会福祉教育」の内容の曖昧さにある。ソーシャルワーカー養成教育と比較して、社会福祉教育を狭く捉える場合には、これを教養教育的なものとして認識していることになる。また、ソーシャルワークを社会福祉そのものとして捉える場合もある。一般的には、社会福祉教育の方を広く捉えることが一般的であり、ここでは、そうした視点から言及してみる。そのため、「社会福祉教育」を仮に社会福祉学の理論体系にもとづいて学生を教育することとしておく。

 社会福祉学の理論体系でのソーシャルワークの位置づけについては、歴史的には大いに議論されてきたが、必ずしも決着がついているわけではない。私見ではあるが、社会福祉学とソーシャルワークとは必ずしも同一ではないが、社会福祉学は確かにソーシャルワーク的視点を中核にしたものであるが、利用者を支えることになる資源論に関する内容も包含されている。逆に言えば、ソーシャルワーカー養成教育では十分でない資源論教育を、社会福祉教育によって十分補えると考えている。そのため、「社会福祉教育」がカバーする範囲を、ソーシャルワークを中心にした科目に加えてヒューマン・サービス(human services)なり社会福祉政策(social welfare policy)を含めた範囲とすることが妥当であるといえる。具体的に、社会福祉系の大学では、「医療保障論」「高齢者政策論」といった科目が追加的に実施されている。

 しかしながら、現実には、海外でも、例えば、イギリスではソーシャルワーク教育とソーシャル・アドミニストレーション教育を分離して実施しており、アメリカは両者を一体的に教育している大学とそうでない大学に分かれている。韓国や中国では、社会保障論を中心とした教育とソーシャルワークを中心とした教育が別個の教育体系のもとでなされており、そのことが体系的な教育の歪みになっているとの議論もある。

4 社会福祉領域での国際性のあるコア・カリキュラムの確立に向けて
 以上のような社会福祉領域での教育内容についての議論を急ぐのには、それなりの理由がある。文部科学省中央教育審議会大学分科会が『学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)』(平成20年3月25日)を刊行し、その中で国際的に通用する分野別のコア・カリキュラムを作っていくことが提案されている。この報告を受けて、日本学術会議は大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議依頼を受けて、審議が始まっている。今後の大学教育は、社会福祉系学部・学科だけでなく、全ての分野において学習成果や到達目標の設定や、コア・カリキュラムの策定に進んでいくものと考えられる。

 こうした際に、社会福祉系の学部・学科では、必要となるコア・カリキュラムについて一定のコンセンサスが求められており、同時にこうしたことを支える理論的整合性が求められる。そこには、優秀な人材を輩出するために、社会福祉学を中核科目としたコア・カリキュラムの確定が急がれる。その際には、海外の動向だけでなく、2004年に国際ソーシャルワーカー協会(IFSW)と国際ソーシャルワーク教育連盟(IASSW)が合同で作成したGlobal Standards for the Education and Training of the Social Work Professionでのソーャルワーカー養成でのグローバルスタンダードは1つの基準となろう。この具体的に基準は、①大学の目的なり使命の明示、②課程の目的とその成果、③実習を含む課程のカリキュラム、④コア・カリキュラム(ソーシャルワークの分野、ソーシャルワーカーの分野、ソーシャルワークの方法、ソーシャルワークの枠組)、⑤ソーシャルワーク教職員、⑥ソーシャルワーク学生、⑦機構、管理、統制および資源、⑧文化的・人種的多様性、⑨ソーシャルワークの価値と倫理的行動綱領について基準を遵守した教育、としている。

 さらに社会福祉領域でも国際化が進む中で、国家試験がある日本、韓国、中国との間においてさえも、資格の互換性が議論されていない。さらには、認証制度(アクレデーション)であるアメリカやイギリスの認証ソーシャルワーカーとの互換性も当然無く、国際化に中でこれらの互換性を作り出していくためには、上記のような国際的な一定の基準でもって共通した科目履修や実習を整え、国際的な資格制度を指向していかなければならない。

5 まとめ
 以上のような問題提起は、ソーシャルワーカー育成を一体的なものとすることであり、ソーシャルワーカー全体としてのアイデンティティの確立を教育の側から目指すことであり、それに寄与する一つの個人的な意見である。教育、就労、司法領域等の社会福祉六法以外の領域でもソーシャルワーカーに対する期待が高まりつつあり、これに応えていくためには、社会福祉士養成教育の見直しを契機に、社会福祉領域の教育全体での見直しをしていく好機にある。この絶好の機会を生かすタイミングを逃がせば、また「空白の20 年」を生み出すことになるのではないかと危惧する。また、これらの改革は、外からの力ではなく、大学等の自らの力で創造していくものであることの自覚がなければ、この改革は進まないであろう。(完)

社会福祉領域での教育の目指すべき方向(上)

2008年11月01日 | 論説等の原稿(既発表)
 日本学術会議が編集協力している『学術の動向』から原稿の依頼を受け執筆した。タイトルは「社会福祉領域での教育の目指すべき方向」ということであり、社会学コンソーシアムを立ち上げるキックオフ・シンポジウムで報告した内容を文章化したものである。そこで、今後の社会福祉教育の方向についての私の思いを、2回に分けて再掲することにする。


1 はじめに
 昨年11月に「社会福祉士及び介護福祉士法」が20年ぶりに改正され、国家資格である社会福祉士教育内容も大幅に改革された。この改革を進める過程で、現状の社会福祉領域で行っている教育内容が3種類に分かれることが分かった。それらは、「社会福祉士養成教育」「ソーシャルワーカー養成教育」「社会福祉教育」である。今回の改正は、当然「社会福祉士養成教育」についてであり、実践能力のある社会福祉士を養成していくことが改革の主題であった。これについては、現在各社会福祉系大学でカリキュラムや演習・実習の見直しに向けた作業が行われており、「産みの苦しみ」の時期にある。この苦しみこそが、優秀な人材を輩出することで、いつかは必ず報われるものと信じている。
 
 この「社会福祉士養成教育」は、残りの「ソーシャルワーカー養成教育」や「社会福祉教育」と一致するわけではない。この小稿では、これら3つの教育の違いや関係を明らかにすることから、今後の目指すべき社会福祉領域での教育内容について検討してみる。

2 「社会福祉士養成教育」と「ソーシャルワーカー養成教育」の関係
 まず第1に、「社会福祉士養成教育」と「ソーシャルワーカー養成教育」の関係はいかにあるのかについて見てみる。「社会福祉士養成教育」は厚生労働省所管の国家資格である社会福祉士の養成を目的にした教育てあり、大学には一定のカリキュラム内容や実習・演習に関わる規定がある。こうした要件を整えた大学等で定められた科目を学生が履修すれば、社会福祉士国家試験の受験資格が得られる。ただ、このようにして養成される社会福祉士の養成教育は、ソーシャルワーカー養成の中核ではあるが、全てではない。社会福祉士養成においては、基本となるジェネリックなソーシャルワーカーの養成を目指すものであり、そのような教育のみでは、専門特化したスペシフィックな専門性を十分に得ることができない。そのため、「ソーシャルワーカー養成教育」は、ジェネリックな側面に追加した、スペシフィックな領域でのソーシャルワーカー養成教育を行うことである。
 
 この「ソーシャルワーカー養成教育」は、教育分野、司法分野、労働、保健医療、社会福祉施設等の分野で求められる専門特化したソーシャルワーカーを養成することである。現実に、各大学ではこうしたスペシフィックな人材を養成すべく、社会福祉士受験資格に必要な科目に加えて、「スクール・ソーシャルワーク論」、「医療ソーシャルワーク論」、「司法ソーシャルワーク論」、「ケアマネジメント論」等を追加的に科目設定し、実習時間・領域を広げる努力をすることで、ソーシャルワーカー養成教育を行っているのが現状である。特に、ソーシャルワーカー養成教育が求められる背景には、従来は職域としてこなかった教育や司法等の分野で、専門性の高いソーシャルワーカーが求められていることが挙げられる。

 以上の結果、社会福祉士養成教育を包括してソーシャルワーカー養成教育があり、ジェネリックを基礎にしたスペシフィックな養成教育の充実が社会的にも求められている。こうした両者の連続する教育は大学教育に収まりきれない部分が多く、大学院での専門職教育として位置づけられなければならない内容も含まれることになる。同時に、大学院教育と合わせて、職能団体等による生涯教育でもって養成していく部分もある。そのため、ここでは、「社会福祉士養成教育」の連続性のもとで「ソーシャルワーカー養成教育」が位置づけ、学部教育でどこ程度「ソーシャルワーカー養成教育」を取り入れるかが課題となる。

 ソーシャルワーカーの教育・養成を充実するために、日本では(社)日本社会福祉士養成校協会と(社)日本社会福祉教育学校連盟の2団体があるが、「社会福祉士養成教育」は前者が担当し、「ソーシャルワーカー養成教育」は幅広い教育であるため、後者が担当するといった棲み分けのもと、別個に活動してきた。そのため、例えば、(社)日本社会福祉教育学校連盟が大学院の専門職カリキュラムを検討する場合には、必ずしも社会福祉士養成教育を土台にした検討ではなかった。一方、現実の大学では、必ずしも社会福祉士養成教育のカリキュラムに終始しているわけではなく、各大学がリベラルアーツを含め独自のソーシャルワーカー養成教育を行ってきているが、(社)日本社会福祉士養成校協会は社会福祉士養成の視点のみから大学を捉えがちであったとの反省がある。こうした現実を考えると、両団体が共同で、「社会福祉士養成教育」と「ソーシャルワーカー養成教育」の連続した教育の体系化を図っていかなければならない。(続)