ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

私も「四行教授」

2009年03月24日 | 社会福祉士
 日本学術会議の前会長の黒川清さんが、なぜ東京大学教授にノーベル賞学者が出てこないかについての考えを、朝日新聞に書いておられた。小柴昌俊さんのみが東大教授であり、それ以外は東大卒であっても、他大学や海外で活躍された方々である。余談であるが、南部陽一郎さんは我が大阪市立大学で一時期仕事をされ、その後アメリカのシカゴ大学で活躍され、本来であればもっと早くノーベル賞を受賞されるべき人であったが、今回の受賞となっている。

 黒川さんが言うのは、研究者は様々な他流試合を経て、学者として育っていくことを、自らの海外での経験もふまえて、書かれている。研究での他流試合をすることが、自らを高めるものであり、東大だけで育った者はか弱く、ノーベル賞に届かないということである。そう言えば、小柴さんが大阪市大で講演していただいた時に、よく長期にわたり市大にもこられ、研究について議論されたことを聞いたが、東大にあって、多くの人々と他流試合をしていると言える。

 そこで、「東京大学卒業、東京大学大学院修了、東京大学助手、講師、助教授を経て教授」という肩書きの教授のことを、履歴書に四行程度しか学歴・経歴を書かないため、「四行教授」と呼び、競争心の弱い研究者としている。

 実は、私も、「大阪市立大学卒業、大阪市立大学大学院修了、大阪市立大学助手、講師、助教授を経て教授」という東大とは比べることはできないが、一応「四行教授」の一人である。師の岡村重夫からは、履歴書での経歴はできる限りシンプルな方が、教育者としては良いと言われてき、それを守ってきた者からすると、黒川さんの論評にはショックを受けると共に、考えさせられた。

 確かに、同じ大学で学生時代から通算すると、18歳から60歳までの40数年間、すなわち人生の3分の2以上を大阪市大に在籍していたわけであるから、ある意味異常であり、研究での他流試合の経験も他の先生に比べると弱いと反省する次第である。さらには、他の先生との交流が弱いため、結構偏差値の高い学生に助けられ、我流の学生教育になっていたのではないかと危惧する。

 反省することも多いが、自らの過去をやり返すことは不可能であり、定年の間近に控え、他流試合をこなす環境を自ら作り出し、自らの能力をできる限り引き出していきたいと考えている。そうすれば、ノーベル賞とまでは到底いかないが、もう少しインパクトを与えられる論文が書け、学生の意欲を引き出す教育ができるかもしれない。心がけます。