ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

「要介護認定」の本来の意味

2009年03月16日 | ケアや介護
 新たに要介護認定システムを4月から導入するとのことで、その内容が明らかになり、批判が高まってきた。そこで、要介護認定のあるべき姿についての私の思いを、数回にわたり披露してみたい。

 介護保険制度ができる際に、厚生労働省は、当時通称委員長の名前をとって井形委員会という厚生省高齢者ケアサービス体制整備検討委員会で、介護保険制度の具体的な枠組を検討してきた。その委員会のメンバーの一人であり、ここで要介護認定の枠組についても議論され、基本的な方向が決められていった。随分昔の話しを持ち出したのは、「要介護認定項目」についても、この委員会で現行の元となる内容が議論されたからである。

 委員会で発言した「要介護認定」項目についての私の考えは、今も変わっていない。当時どのような発言をしたか、発言内容そのものうる覚えであるが、以下のような内容であった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 要介護認定は、利用者がどの程度の介護を必要としているかを測ることであり、認定項目には、利用者の身体的な機能不全やADLといった身体機能面だけでなく、家族構成や住環境も要介護度に影響を与える以上、そうした社会的な要因を認定項目に含むべきではないのか。例えば、住環境で、トイレが室内でバリアフリーになっている人と、自宅の外にトイレがある人では、要介護度は変わることになる。

 さらに言えば、後者の自宅の外に出なければトイレができない人の場合には、概して所得の低いことが多く、所得の低い人ほど、要介護ニーズが高いのに、要介護度が上がらないのは、問題ではないのか。さらに言えば、介護保険制度も、利用者の所得の再分配制度に貢献するものであるとするならば、要介護度認定は、所得の逆再分配制度になるのではないか。

 そのため、何点かの社会環境的要素を要介護認定項目に追加すべきでないのか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 このような発言に対して、事務局を含め委員会全体が沈黙し、ひとり浮いている感がしたことがある。その後、現在の要介護認定項目が作られていったが、「在宅」の要介護者の認定には、このような認定項目が必要であるとの考えは、今も変わっていない。

 WHOでも、古くは1980年に障害の考え方としてICIDHを提唱し、その中で、障害に影響するものとして、ハンディキャップ(社会的不利)ということが含まれ、社会的な側面の重要性が指摘された。その後、介護保険制度が始まった翌年の2001年には、ICFの考え方が出され、社会的な側面が一層強調されてきた。

 以上のような状況にあり、現状の要介護認定は旧来からある「医学モデル」であり、とりわけ「在宅」の高齢者には、社会環境的な項目を入れた「生活モデル」の考え方に転換すべきであるという信念は、今も変わってはいない。

 それで思い出したが、その委員会での議論となったが、当時認定のための調査を行い、それを委員会で議論していたが、施設入所者の介護時間調査の結果から、要介護認定項目が抽出されてきた。その時に、在宅の要援護者についても調査したが、要介護認定項目が抽出できなかったとして、在宅調査の結果を含むことができなかった。

 そのため、要介護認定項目は、一定の社会的環境が制御された場合の、利用者の身体機能状況から生じる要介護の水準を測ったものであると考えている。そのため、多様な社会的環境にいる在宅高齢者にとっては、現在の要介護認定項目は適切でないというように思っているし、そのようなことをいくつもに論文にも書いてきてきた。

 ただし、「生活モデル」による要介護認定項目について、調査研究を介して対案をだすことが研究者の責任であると思っているが、そこまではできておらず、生活モデルを思想とする研究者は、是非こうした研究に実務者と一緒に取り組んでもらいたい。