ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

介護関連雑誌も勝ち組・負け組が決まる時期(上)

2009年03月07日 | 社会福祉士
 最も早くの1990年に刊行し、保健・医療・福祉の連携の基盤を作ることに貢献してきた『総合ケア』(医歯薬出版)が、1年少し前の2007年12月に休刊に追い込まれた。この雑誌は17年間続いたが、編集には、極めて見識が高く、この分野の編集者のモデルとなっていた岸本舜晴様がおられた。岸本さんは最後は医歯薬出版の役員をされ、現在は退職されていると聞いている。最終号にも「後書き」を書かれておられ、この雑誌と共に職場を離れていったといっても言い過ぎでないように思う。

 この雑誌で、岸本さんとの関係でも最も印象に残っている号がある。1997年7月号である。

 1997年という12年前の介護保険制度が始まる前の時期であった。私の40歳代半ばの年であった。当時、竹内孝仁先生は医歯薬出版の『総合ケア』を中心に、私は当時から中央法規出版を核に仕事をしていた。岸本さんから竹内孝仁先生と「ケアマネジメントは何か」について対談してくれないかとの依頼があった。対談の返礼として、私の提案で、中央法規もかませるということで、その後、竹内先生、橋本泰子先生と私が編者となり、ケアマネジメントの3部作『ケアマネジメント・シリーズ』を刊行することになった。

 竹内孝仁先生とは当時さほど懇意ではなかったが、いくつかの著書を読んでおり、その当時刊行されていた『医療は生活で出会えるか』(医歯薬出版)は医療者に生活を理解してもらう上での好著であると思っていた。対談場所は、東京の愛宕にある青松寺であった。ここの精進料理を頂いて、お寺の一角で対談をすることになった。

 竹内先生が先にお見えになっておられたが、何か宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での戦いのような雰囲気で、緊張感が漂っていたことを覚えている。この対談では、どのような視点でケアマネジメントを行うかでの激論であったと総括しているが、私流で言えば、利用者のニーズを原因因果論と相互連関性論、ある意味では、ICIDHとICFの議論であったのではないかと思っている。今読み返してみると、ストレングスといった概念を駆使して、もっと適切にニーズを説明できたと思う。逆に言えば、この10数年間にそれなりの成長をしたのかもしれない。

 その対談の雰囲気をその当時『月刊誌 総合ケア』編集長であった岸本さんは以下のような名文の「あとがき」を残している。

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 東京では、一時の桜花の乱れ咲きもおわり、新芽に明日を託そうというころだった。ときおり聞こえる隣の禅寺の鐘の音以外は、ひっそりとしている愛宕山下界隈のお昼前。

 今をときめく東西の両雄は、茶の間会いもなく姿をあらわし、直ちに精進料理に向かうが、脱世間の話題もものかわ、庭前の小枝はさざめきあう。

 忽ちにして修羅とかした大広間に、対座する両雄の呴哮がピィーンと緊張を漲らせる。<ケアマネジメントとは何か>

 白熱の対論は4時間半。(岸本舜晴)

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 医歯薬出版に依頼して、この対談の原稿を頂いた。この対談の「ケアマネジメントとは何か」を近々このブログで読めるようにしたい。20数ページにのぼる対談であり、よくも4時間半も真剣に議論できたものと我ながら感心する。

 このような思いで深い雑誌が休刊になることで、お世話になったということで、休刊前号の17巻11号で、思いを込めて、「介護予防ケアマネジメントの課題と展望」という論文を書かせていただいた。この時に思いは、10数年前の対談では書けなかったことを書いてみたいと思い、介護予防という視点でのケアマネジメントを取り上げた。

 この『月刊誌 総合ケア』が休刊になった時、今後について何か悪い予感がしていたが、それが吹き出してきた。それは、次回のブログに続く。