時差は3時間半しかないのに2時間おきに目が覚めた。
5時にはホテルの庭をひとり散策したが、ホテル入り口には鉄柵があり守衛も。
聞いた事がない鳥の鳴き声がたくさん聞こえて、別世界に来た感じ。
6時半に朝食、やっぱり相棒が言ってた通りカレー。
その後デリーからベナレス(人口430万人)へ飛んだ。
空港内はさすがIT産業の進んだインドらしく。
ベナレスまでは1時間程の空の旅だった。
大都会デリーから地方のベナレスへと空の上から見てたら変化が分かった。
インド人はまず遅く来るしトランクを機内に持ち込むし、出発が30分遅れる事はザラだった。
何でもカレー味にしてしまうインド食。
豆を潰して揚げた揚げパンにカレールーをかけたもの。
今日の観光はサルナートと夕方のガンジス河でのお祈りの様子を見学。
満席だったのでトランクが出てくるまで空港内を散策。
バスに乗車しベナレスからサルナートへ移動した。
車窓からはタイでも多かったトゥクトゥク(三輪バイク)とバイクだらけ。
ランチをしてから観光で、ビリヤニという壺で4時間かけた炊き込みご飯。
ヨーグルトとカレーをかけて食べるというが、甘辛がマッチした味。
シンガポールでもよく飲んでいたマンゴーラッシーと共に。
狭い道に露店がひしめき合っていろんなものを売っていた。
絶えずクラクションが鳴り響き、騒々しい事この上なかった。
ムルガンディー寺院から見学。
この寺院は仏陀の生涯を描いた壁画が有名。
日本人の野生司香雪(のうすこうせつ)作だという。
サルナートは仏陀の初転法輪の地、仏陀が初めて説教した場所。
なので仏教徒の聖地で観光客以外、インド人もたくさん来ていた。
淡い色彩で巨大な壁画の中で描かれていた仏陀。
もう2度は来ないからとたくさん撮った中で厳選して。
内部の見学を終わって出たら子供達が珍しそうに私たちを見てた。
寺院としても美しいフォルム。
仏陀の生涯を描いた壁画と仏陀が悟りを初めて開いたという地。
仏陀が説法した地は鹿野苑と呼ばれていて、今でも鹿がいた。
次の観光はダメーク・ストウーパ。
ストウーパとはサンスクリット語で「土を盛り上げたもの」という意味。
つまり仏塔の事で日本の卒塔婆(そとば)の起源という。
まるで古代遺跡を見て歩いているような……。
61mの塔もあったそうだが今はない。
殺風景な乾いた大地に潤いを与えていた木々の緑。
人が集まる場所には必ず露店があった。
見とれて歩いていたらバイクやトゥクトゥクに引かれそうになるから注意!
シルクの店にも立ち寄った。
未だにこんな手作業をして作っていたとは……。
夕方6時頃にガンジス河の方へバスを下りて歩いて行った。
すでに多くのインド人や観光客が続々と集まり露店も賑やか。
ガンジス河へ私たち13人貸切で乗り込んで船出。
初めて見るガンジス河、2525kmもの長い距離をとうとうと流れる大河。
現地名はガンガーのガンジス河、河そのものが女神として崇められている。
流域にある数々の聖地の中でも私たちが行った一帯は最も神聖な地。
日が暮れて来る頃続々と船が集まって来て船や人の数がハンパじゃない!
沐浴している人もチラホラ、泳いでいる人も。
ただでさえ人口14億はいるというのに観光客も押しかけて。
みんなアールティを見る為、つまりガンジス河でのお祈りを見る為に集まっていた。
煙が出ている場所は火葬場で、ここで骨にしてガンジス河に流すという。
1年中フルタイムで火葬場の火が消える事がなく。
誰もがここで火葬されガンジス河に流される事を願っているという。
罪人はそういうわけには行かないらしい。
日没時に僧侶が火を掲げ、ガンジス河に祈りを捧げる儀式が始まった。
人の多さと遠目だったから、どの人が僧侶で何をしてるのかさっぱりんこ不明。
ただコンサートライブのような熱狂と熱気の中見守っていた。
5つの輪っかの下にいる僧侶5人が火を捧げているのが分かった。
5つの傘の下にも僧侶がいてステージが2か所あり、それぞれから祈りが聞こえて来ていた。
こんなお祭り騒ぎは毎日で毎日これ位の人が集合するという。
多い時で10万人がガンジス河にアールティを見る為に来るという。
私たちも信者と同じように灯篭流しをした。
火を付けてガンジス河に流したがすぐに消えてしまった。
2時間余り見物しようやく船で岸まで戻って、9時過ぎの夕食になった。
長~い1日だった。
今回のツワー毎日1万歩以上歩く日ばかり。←みんなが言ってた