私たちが宿泊した太陽館内には長谷川恒男氏の記念館があった。
ヨーロッパアルプス3大北壁冬季単独初登攀、南米アコンカグア南壁冬季単独初登攀など、数々の偉業と輝かしい実績を残したアルピニスト。
しかし1991年10月、パキスタンヒマラヤのウルタルⅡ峰で、雪崩に遭い亡くなられた……。
奥多摩全山縦走で有名なハセツネ杯は、彼、長谷川恒男氏の名前を付けた大会だ。
以前シンガポールに住んでいた時、マラソン大会で会った若いお兄ちゃんが、ハセツネ杯参加に日本へ一時帰国しますと言ってたが。
夜通しヘッデン付けて走ったりする日本山岳耐久レース、いわゆるトレランらしい。
奥多摩山域約71,5キロを走り抜ける過酷なレース、凄すぎる。
長谷川恒男氏が実際に使って登ったピッケルなどの道具類、彼の写真、愛用品、実際に着ていた羽毛服などなど。
実際に履いて登った二重底の靴なども展示されていた。
また2010年にピオレドール(黄金のピッケル)・アジア特別賞をもらったという記念の品も。
それから彼の書籍・出版物コーナーも。
彼の偉大さを垣間見た気がした。
この記念館の公開日:4月下旬から10月下旬の週末、土曜、日曜 午前10時から午後4時(要予約)入場無料
連絡・問い合わせ:アルパインガイド長谷川事務所 03-3370-8522
ヨーロッパアルプス3大北壁冬季単独初登攀、南米アコンカグア南壁冬季単独初登攀など、数々の偉業と輝かしい実績を残したアルピニスト。
しかし1991年10月、パキスタンヒマラヤのウルタルⅡ峰で、雪崩に遭い亡くなられた……。
奥多摩全山縦走で有名なハセツネ杯は、彼、長谷川恒男氏の名前を付けた大会だ。
以前シンガポールに住んでいた時、マラソン大会で会った若いお兄ちゃんが、ハセツネ杯参加に日本へ一時帰国しますと言ってたが。
夜通しヘッデン付けて走ったりする日本山岳耐久レース、いわゆるトレランらしい。
奥多摩山域約71,5キロを走り抜ける過酷なレース、凄すぎる。
長谷川恒男氏が実際に使って登ったピッケルなどの道具類、彼の写真、愛用品、実際に着ていた羽毛服などなど。
実際に履いて登った二重底の靴なども展示されていた。
また2010年にピオレドール(黄金のピッケル)・アジア特別賞をもらったという記念の品も。
それから彼の書籍・出版物コーナーも。
彼の偉大さを垣間見た気がした。
この記念館の公開日:4月下旬から10月下旬の週末、土曜、日曜 午前10時から午後4時(要予約)入場無料
連絡・問い合わせ:アルパインガイド長谷川事務所 03-3370-8522