続・知青の丘

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『鈴木しづ子100句』(武馬久仁裕・松永みよこ共著、黎明書房)

2022-10-20 13:26:02 | 俳句

俳句短歌『We』同人の松永みよこさんから
『鈴木しづ子100句』というご本が送られてきた。

「はじめに」のところで武馬久仁裕さんは次のように記す。

彼女(鈴木しづ子)の伝説を追って、その俳句を鑑賞し、紹介するものではありません。
とかく、スキャンダラスな衣装をまとわされてきた彼女の俳句から、
その衣装を取り去り、自由に読もうとするものです。

ここで、述べてある通り
伝説的背景を排除して
句を静かに見つめた客観的な筆致で
抑制のきいた読みだと思いました。

お二人の読みと自分の読みとは
共感するところと、ちと違うなあ
と思うところとありました。
「解説ー鈴木しづ子の世界」(武馬久仁裕)も
「滴る花・鈴木しづ子ーあとがきにかえて」(松永みよこ)も
面白く読ませてもらいました。


手入れの行き届かない我が家の狭庭
に咲くゲンノショウコ


10/18 ブロッコリーの生育状況と
法蓮草2種の発芽(奥と右側)

ショウリョウバッタとカメムシ退治に
精を出しつつここまで育てた大根葉!
間引きもして、たべました。

実は、私も鈴木しづ子には
一時期入れ込んでいまして
拙句集『櫨の実の混沌より始む』(2017年)には
「しづ子忌」15句を収録していました。

しづ子忌           加藤知子
海霧やさまざまの声湧き上がる
海溝にマリア沈めて青水無月
しづ子忌を立夏と決めて立ち泳ぎ
しづ子忌のこの夏みかん蹴りあげよ
青あらし娼婦であろうとなかろうと
青魚のなみだ滴るセミヌード
しづ子句を春画とおもふ目借時
からたちの棘の明るさ花弁の昏さ
鵙鳴くや舌やけるほど別れ際
兵士に麻薬しづ子に小石逝く春の
白ブラウスの中の薄暑よ師としづ子
白鳥の呼吸激しく羽たたむ
天の河眠れぬ森の墓を抱く
しづ子句とわが水位測りつつさみだれ
書くという憑神さまや鵙の声


また、現代俳句協会HPのコラムにも書きました。

一つの屍茫々霧をへだてけり
       鈴木しづ子(未発表句)

俳人鈴木しづ子(1919-?)は、「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」や「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」で余りにも有名。
昭和27(1952)年1月1日。それら代表句が収載された第二句集『指環』の発行日。奇しくも、彼女はその日に恋人アメリカ兵の訃報を受け取っている。そしてそれは、母親の墓建立という願いが成就した頃でもあった。
掲句は、清純なイメージの<コスモス>や<夏みかん>に対し、それを否定するかの如く斜に構えた開き直り、または自棄のふうを装ったつぶやきとは、趣を異にしている。川村蘭太氏が取材で遭遇した未発表大量句約7300句の「昭和27年1月2日」条の一つである。
昭和25(1950)年、しづ子31歳。同僚との結婚生活を短期間で解消し、叔母を頼って岐阜に向かいダンスホールダンサーとなった。当時、進駐軍のキャンプ岐阜はアメリカ軍兵士で賑わっていた。同年6月には朝鮮戦争(1950-1953)勃発。10月に恋人の「黒人」の「軍曹」(しづ子句に添えば)と同棲。ようやく掴んだ(と思った)陽だまり。負の幸福感。それは、精神的ギリギリの生活者同士の共鳴だったろうに、それも束の間。彼は朝鮮戦争へと送られる。女にとっての戦争は、いつも愛する人間を戦場へと送り出すこと。
「好きことの電報きたる天の河」(『指環』)。戦場から電報をくれるような優しい恋人。だが、恋人は麻薬中毒によって廃人同然の姿となり、日本に一時寄港するも米国へ帰還、別離。そして、二度と会えなかった。ぼんやりと霧で繋がっていたのが断ち切られてしまい、独り取り残されてしまったのだ。「落暉美し身の係累を捨てにけり」(『指環』)の覚悟で選んだ境涯だったのだが。
しづ子は、自分の体を張って経済的自立を果たした女性ではあったが、その一方で俳句という強靭な表現手段を手にもしていた稀有な女性でもあった。風俗嬢やAV女優、ダンサーなど女の性が商業化されるのはいつの世も同じ。だからと言って、何も悪いことはない。俳句を詠むほどに、のめり込むほどに人は強くなっていけるのだ。とはいえ、普通の主婦に納まり切れない女のさみしさやむなしさを感受するしづ子の感性は人一倍鋭かったことを思う。
俳句はいつも傍に在り、味方だったはずなのに。ふたりを包んで隔てた霧に侵食されてしまったか。しづ子の消息は、昭和27年9月15日付け大量句以降不明のまま。
評者:加藤知子
出典:『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』川村蘭太著、新潮社、
(現代俳句協会HPトップページコラム2017年9月15日UP)

評をするときに、
句が書かれた背景や事情を書きすぎるのは
良くないことは知っていましたが
掲句の場合、この句だけでは
なかなか読みも鑑賞も難しいと思われ
わたくし的には
やはり時代的背景を書いておきたかったので。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ついでにUPしようとしていて忘れていました。

明石家の軽羹を
鹿児島の義姉から送ってもらって
美味しくいただきました。
新自然薯になったそうです。
やはり、軽羹は
明石家のものに限ります。

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