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続・知青の丘

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石光真澄と恵比寿ビール

2025-02-16 11:36:08 | ありがとう
よーこさん、
貴重な情報をありがとうございました!

これを受けて、私もネットで調べてみました。

石光真澄は、真清(慶応4年生まれ)の兄なので
ギリギリ江戸時代の生まれでしょうね。

熊本関連の記事から拾うと、
石光真澄は、熊本洋学校から三井物産社員になっているようで、
「恵比寿麦酒支配人になった実業家」という記載も見ました。

次に、恵比寿ビール誕生について
サッポロビールが
会社の歴史として出しているネット情報を拾うと、

当時泡沫の粗悪なビールが出回っていた、
1887年(M20)に、
東京・横浜の中小資本家がドイツ人醸造技師を招き、
ドイツ製の器具機械を取り寄せ、
本場の味を再現しようと有限責任の「日本麦酒醸造会社」を設立。

東京都公文書館所蔵の
「日本麦酒醸造会社」の「役員上任届」の写真があります。

この届出時の、「支配人」のところには、眞澄の名前はありません。

1889年(M22)10月、
     現・東京・目黒区三田にヱビスビール醸造場が完成。
     12月からビール醸造開始。

1890年(M23)2月 
     ヱビスビール発売。

1900年(M33)
     パリ万博で、金賞受賞(30か国出品中)というほどにまで、
     質を高めていたようです。

1893年
     社名変更して「日本麦酒株式会社」となる。

ちなみに、
漱石が「二百十日」を書く材料の阿蘇登山をしたのが、
1899年(M32)8/29~9/2のようです。


日本麦酒醸造会社設立届出時の文書の「支配人」欄には、
眞澄の名前はないようですが、
どの時点かで支配人になっていたのかもしれません。
あるいは、三井物産会社の幹部になっていて、
出資していたのかもしれません。

1889年4月の株主名簿に
三井物産の幹部らの名前が記載されているそうです。

三井物産の会社の社員名簿や
東京都公文書館で調べると、
何か分かると思います。

確かに、この時代に、
阿蘇の片田舎にまでヱビスビールが登場しているのには
そういう人の肩入れがあったことや
九州鉄道が1891年7月「春日駅」(現・熊本駅)にまで
南進していたからではないかなと思いました。

附記:九州鉄道
1885年(M18)大分との間に県道が開通し、
このころより豊肥線構想があったらしい。

1887年福岡・熊本・佐賀の各県令に呼びかけて創立。
1888年政府より設立認可。
1889年博多ー千歳川仮停車場間開業
1891年7月「春日駅」(現・熊本駅)まで南進
1916年(T5)肥後大津~立野間開通
1918年(T7)熊本駅~宮地開通(所要時間2時間半)

昨夜、私がざっと調べたところでは
こんな感じでした。
いろいろ調べていくと面白いですが
私も時間がないので
どなたか、
文献資料等で確認してエビデンスを提示してくださると
有難いですね。


(2月14日17時51分の南西の空)
配色がいいなあと思って
撮りました。
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