続・知青の丘

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『社会科・地歴科・公民科指導法』って、なんだ?

2022-03-21 21:51:45 | 俳句以外

大学時代の文学科の仲間(ミニ同窓会メンバー)の手島純から
『社会科・地歴科・公民科指導法』
(2022年2月、星槎大学出版会発行、かまくら春秋社発売)という、
いかにも面白くなさそうな本が送られてきた。
私が、俳句短歌誌『We』をいつも送っているから、
そのお礼ということだそうだ。

読んでくださいとは言いません、
私のところだけでもながめてください
という、お手紙が入っていたので、
仰せの通り、ながめていた。
正直、高校と中学の社会科免状を取得はしているが
教員をしているわけではないしあまり読む気はしない。
が、
予想に反し、面白い箇所があった。
それで、少し紹介しておこうと思う。

まず、この本は、
「新学習指導要領の研究と実践的展開」ということで
現役の社会科教師と研究者の合計12名が執筆(編者:手島純)し、
高校の新学習指導要領実施がこの4月に迫っているのにあわせて、
学生と現役の教師にむけて制作されたものらしい。

面白かったのは、
8人の執筆者のコラム欄(他からも好評だったとか)と
井上恭宏のソクラテスについての授業実践の記述。

井上のコラムは、簡単に述べるとこんな感じかな。
哲学はギリシャ語では「フィロソフィア」、
ソフィア(知)をフィロス(愛)するという合成語だそうで
このフィロスは「友への愛」すなわち、対等なものへの愛
だから、哲学とは「知と友だちになること」なのだそうだ。

そして、哲学は、
「自分が愛しながら愛について考えるといったタイプの学問であり」、「哲学はどのようなテーマであっても、いつでも、だれもが『初心者』であり、『当事者』となるような営みなの」だという。

ただ今現在生きている「この社会」についても、「初心者」のように学び続け、「当事者」の一員として創りあげていくのだ、ということのようだ。

そうして、井上の公民科「公共」の授業実践の要は、
・ソクラテスの「悪法もまた法なり」の意味を探って
現代社会に生きる人間としての在り方生き方を考える。
・「先人の取組や知恵に触れる」ことが、「いま」につながらなければ意味がない。

ソクラテスは、脱獄をすすめられてもそうはせずに、
「悪法もまた法なり。不正を不正で返すのはよくない」として、
毒ニンジンを飲んで刑死した。

井上によれば、
ソクラテスは、「自分さえよい思いができれば、正しさなんてどうでもいい」という考えが社会をダメにするのであり、人間にとって大切なのは「みんなに共通する本当の正しさ」を探求することだと考えたのである、
という。

私は、このくだりを読んで、
この、自分が生きている社会で普遍的な真理を探究する姿勢が大事、
あるいはそのように努力すことが大事だと言ったのだと思った。
そして、このことが、「公共的な空間を作り出」す上で重要なことかなと。

上手く要約できなかったかもしれないが
ご容赦ください。

手島純は、
以前は神奈川県で35年間高校教師をしていて
今は星槎大学で教鞭をとっている。
小田実(おだまこと)の『何でも見てやろう』に影響を受けたそうで
世界を旅して教材を手に入れ、
それらを授業で生徒に見せて対話する、
のが社会科教師の喜びだったという。

(文中敬称略)

これから、高校の社会科教師になろうと思っている人には
必読の書かと思います。
問題意識をもって、この異色の書に触れてみるのもいいかもです。

実は、私には、ソクラテスの句があります。
2015年頃だったか、不本意なことがあったのでした。

杯あおりあおりつつ羽化ソクラテス  知青



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