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ミリオタ、エルンストによるブログです。
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ディクテイター・オブ・ピータースバーグ

2010-12-17 19:11:56 | ミリタリーな話題

映画などでは戦列戦闘が有名なアメリカ南北戦争ですが、いっぽうで新兵器も多く出現しました。海や河には装甲板に旋回砲塔を積んだ軍艦が現れ、地上では鉄道兵器が出現しました。
1864年、ピータースバーグ包囲戦で北軍が使用した、13インチM1861沿岸用臼砲(The Dictator)を木製台車に搭載した列車砲です。でかい砲弾は約100kg、砲弾だけでも4人係りで輸送します。

また、要塞/軍艦用パロット砲を木製装甲で囲んだ本格的な列車砲や複数の装甲列車まで登場しました。もちろん兵士の高速輸送にも鉄道は活躍しました。
早い段階では1862年、サベージステーションの戦闘で南軍が32ポンド海軍砲を転用し、鉄道レールを張り合わせて突撃砲のような使い方で戦ったのが最初といわれています。
南軍ではコットンを装甲代わりにしたものまで出現したようです。
残念ながら多くの車両は写真やイラスト、伝聞だけで詳しいスペックが解らないのが残念でなりません。

このころ、戦争は塹壕の戦いになり、戦列戦は姿を消しました。なかなか戦線を破るのが難しかった時代、その為に大口径の要塞砲を野戦で使うという発想から列車砲という兵器が産まれたようです。新兵器、戦争の規模といい、後の第一次世界大戦を思わせますね。

1864年は日本では元治元年。池田屋事件や天狗党挙兵などの時代です。ようやく洋式歩兵がデビュー戦を飾ったくらいでしょうか。


ディクテイター、と聞いて真っ先に「ブルー・スワット」を連想するひとは…いねぇか。

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5 コメント

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桜丘です (桜丘)
2010-12-17 20:46:26
 どうもこんばんは。御無沙汰いたしております。

 近代戦を語る上で、「鉄道の発達」という項目は欠かせませんね。日清戦争でも日露戦争でも、開戦の直接的な要因として必ず文脈にあがりますし。

 また列車砲・装甲列車って、じつにロマンがありますよね。宮崎駿なんかが好きそうなイメージです。さきの大戦でも、支那戦線では現役だったというからすごいw

 しかし南北戦争の軍装いいですなァ。『グローリー』を観て以来、なにかきっかけがあれば描いてみたいと考えてます。でもまずは資料探しから始めんと……。


 幕府陸軍コレクション、毎回ブクマしていただきありがとうございます。
 最後の1体は、某将軍親衛隊の軍装にしようと思っとるんですが、“鳥羽伏見時”を想定してる関係で、どうもよい資料が見当たらず……。まあ筒袖・だんぶくろをまだ描いてないんで、これで行くことになるかなァ……。とりあえず明日また図書館行ってきますw


 ブルースワット……観てましたねェw 内容はまったく記憶にないですが、子供心に「シブイなァ」と思ったおぼえがありますw
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おひさしぶりです (Ernest)
2010-12-17 22:56:46
おひさしぶりでございます。

装甲列車の最盛期はロシア内戦や中国の北伐とか言われていますが、その辺の戦史ファンの方には悪いが…地味だぁ…。
大陸では日本軍も奉天軍からの鹵獲物のほか、独特で個性的な(陸の軍艦みたいな)ものを使用してますね(軌道を走れる装甲車もいましたっけ)。

南北戦争関連って、洋書も和書もなんか散乱してて集めるの難しいんですよね…。決定版!ていうのがなくて困ります…。
自分が主に参考にしているのは和訳のオスプレイ本の二冊です。やっぱり日本語が一番ですねw。

>某将軍親衛隊
おお、もしかしてあの…鳥羽伏見では大坂から出てこなかった黒革頭巾の御家人集団ですか?w。あの人たち、笹間氏本では三斎羽織姿ですが、着てたのかな…。
この調練双六の兵士、大小差してるからもしかして撒兵隊かもしれませんね。歩兵と同じ筒袖ダンブクロみたいですね。
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/19/7cc4518591b3b308a231f00fb67a401b.jpg

彼らの頭巾ですが、実物っぽいのが各所の博物館にありますが、どうも「陸軍歴史」の図とちょっとディティールに違いがあるみたいですね。
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/af/5d68cb7cb497a976b024b7fe9553612b.jpg
(ああ、ずれたorz)小の字でなく輪抜き紋がありますが、もしかして奥詰銃隊のかな?後ろに回って見てみると後ろにも垂れがついてます。
同じデザインのものを板橋や埼玉の博物館で2、3個見ました。手書き失礼します
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/85/62ca8c5aca82e16f8479a46ca43e92f7.jpg
当てはめると、下図みたいな感じかな?
というか、既に知ってる情報だったらすみません。
長くなってしまいましたが、桜丘さまの幕府陸軍コレクション、楽しみにしております!それでは~。
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毎度お世話になってすみません(_ _) (桜丘)
2010-12-17 23:25:29
 おお!! 素晴らしい情報ありがとうございます!! じつはアテになる資料がなくって、けっこう困ってたところだったので……(『陸軍歴史』は撒兵隊や砲兵組なんかの帽章の記述はあるのに、肝心の奥詰銃隊の記述がスッポリ抜けてますよね……)。 

>三斎羽織
 『銃隊式沿革図』でも、筒袖・だんぶくろに三斎羽織を着た銃卒が描かれてますよね。やっぱ士分っぽさ、エリートっぽさが出せるようになってたんですかね。

>頭巾
 実物ってこんなんだったんですね。イラストもこの金輪で行こうと思います!
 差し支えなければ、所蔵している博物館の名前を教えていただけないでしょうか? どうせなら明日ついでに行って確認してきたいと思いまして。

 なんとか御期待に添えるだけのものを御提供できるよう、頑張ります! 生温かい目で見守っていただければ幸いです(笑)
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黒革頭巾の紋の謎… (Ernest)
2010-12-17 23:36:26
頭巾の件ですが、たしか板橋の郷土資料館と埼玉県立歴史と民俗の博物館なのですが、前者は深川での特別展に提供されたものを見たもの・後者は特別展で博物館所蔵のものを一度見ただけなので、常設ではいまだ確認しておりません…すみません。一応板橋の方が有力なはずです。
私が深川で見た板橋区所蔵のものは、なんか自分紋っぽい家紋が正面に描かれていました。
輪抜紋は個人蔵のものと埼玉県所蔵のものに描かれています。
撒兵は御持小筒組からの改称後、「小」を廃止したのか…うーん…。
徳川家の伝統で言うと、輪抜=奥詰隊に編成された小十人組かもしれません。
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Unknown (桜丘)
2010-12-18 00:01:38
 さっそくのご返信ありがとうございます。明日とりあえず板橋の博物館に行ってみたいと思います!

 しかし、よく考えてみたら、士分なわけだから自分紋を刻印した可能性も高いわけですね……。くそ、結局は文献資料調査が必要なのか……!

 毎度毎度の情報提供、本当に感謝しています! 今後も何かとお世話になるかもしれませんが、そのときはどうぞよしなにお願いいたします。近々お時間あれば、またチャットのほうもぜひ。

 ではでは。 
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