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官軍の精鋭ぜよ!

2010-12-04 23:27:59 | 幕末


戊辰戦争へ参戦した土佐藩兵で、その中でも主力を担った迅衝隊の軍装を描いてみました。
薩長土肥と新政府軍の三番目に入る土佐藩も、実は戊辰開戦時、ミニエー銃はあっても軍装が整っておりませんでした。
京都進発時にようやく筒袖の上着が揃えられた程度で、甲州勝沼・江戸開城以降になって舶来の洋装が取り入れられたみたいです。

ひとりは徒士小隊司令大砲係だった方の、慶応四年四月に江戸で撮影された写真を参考にしました。上着は詰襟のフロックコート、下は縞の切袴、足元は脚絆に革靴です。足元がスコットランドのハイランダー連隊っぽく見えるの自分だけ?
手にはP1861短エンピール銃を持っています。
母成峠の戦闘でスペンサー騎銃を使ったのが有名ですがどうも土佐藩自身が購入したものでなく、作戦時に限って特別に貸与されたものと思われます。
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/30/393623fa68bafc98809830833b5e3348.jpg
↑参考元の写真です。縞のデカパンみたいに見えますが、ひざ下丈の切り袴ですねw。かっこいい!
おそらく今市や母成峠などの北関東の戦闘では下も動きやすいズボンに履き替えていたものと推測されます。

士官の方は会津の博物館に現存する、鶴ヶ城攻防で戦死された迅衝隊3番隊長、小笠原謙吉の遺品より再現しました。胸ポケットつきのフロックコートにズボンです。
拳銃も残っており、フランスかベルギー製のルフォーショー拳銃のダブルトリガー型を装備してたようです。
被りものは遺物がなく、韮山笠は明治期の絵巻や堺事件を報じたフランスの絵新聞を参考(ただし、描者は現場をみておらず)。
士官の陣笠は以前に専門家の先生に聞いたものを参考にしております。(こればかりは私の記憶頼りでございます…)
肩印は遺品や写真などに多くみられる土佐藩の合印です。アメリカ軍の階級章みたいですね。この肩印はどうも江戸開城以降に改定された識別章で、それ以前は肩に短冊状の合印を錦切れと一緒に下げていました。土佐は京都進発以降、結構ころころと合印や身分章階級章などが変わっており、この白い肩印が最終的なものと思われます。
戦時に小荷駄裁判役として従軍した樋口真吉の写真も残っていますが、彼は肩印と錦章以外なにも付けていないようです。

「龍馬伝」終わりましたね。個人的にはその後の海援隊士や龍馬の関係者のことをちょっとさらってもいいんじゃないかって思いましたが、良い作品でした。

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