西洋式調練の午前のレッスンを終えて屯所に戻るやよいと伊織。いおりんは射撃訓練、やよいはブリキ太鼓の稽古。
大河ドラマなどの鳥羽伏見(千両松の戦闘あたり)で錦の御旗と一緒にトンガリ陣笠の官軍兵が太鼓と横笛で行進してくるシーンがありますね。
「なんで銃隊に太鼓持ってるヤツがいるの?」と疑問に思う方もおられると思います
平安神宮の時代祭で官軍・丹波山国隊に扮装した方々も鼓笛隊の演奏する行進曲で練り歩いております。一方、奥羽越列藩同盟軍に加わった現・山形県上山市にもよく似た音楽を演奏する
幕末期の鼓笛隊が伝承されてます。
それもそのはず、最初にこの音楽を習得したのはオランダ軍から軍楽を学んだ幕臣だったからです。
当時のヨーロッパでは戦列歩兵の指揮・号令に太鼓は無くてはならない存在でした。当然日本でも洋式調練でそのまま導入されてました。
安政年間、長崎で始まったオランダ海軍の軍楽伝習には、趣味で馬鹿囃子を嗜んでいた幕府御家人などが選抜されて行ったそうです。
もどった彼らが開いた私塾には洋式兵学を学ぶ各藩から伝習生が訪れ、この軍楽は全国に広まっていきました。
日本のマーチングバンドの始まりのようなものですね。つまり、戊辰戦争では官軍だけでなく、佐幕諸藩など両陣営でほとんど同じ行進曲が演奏されてたわけです。ちなみに楽譜は太鼓のしかなく笛は口伝だったため、各地に残る同じはずの曲はそれぞれ、微妙に違う曲として伝承されてるみたいです。
靖国神社にある「銃隊式沿革図」には、講武所の学生と思われる武士二人組が、ゲベール銃に胴乱や太鼓をぶら下げて担ぐ姿が描かれています。
伊織が担っているのは七六五隊の標準装備であるオーストリア製M1854「ロレンツ」ライフルマスケット銃です。原産国からアメリカ南北戦争の需要で輸出され(北軍で22万・南軍で10万挺。ちなみに南軍では海兵隊の標準装備だったみたい?)、
その中古品が日本の戊辰戦争で使われた数奇な運命の小銃です。なぜか全長や口径が他国の同時代の小銃と比べてやや小さいのが特徴です。
しかし当の本国では普墺戦争で、ドライゼ銃を装備したプロイセン軍と対峙せねばならず、結果はお察しのとおりでございます。
伊織の姿勢が当時のオランダ・フランス・アメリカ北軍などにおける「担え銃」です。現在とは違いますね。
ちょんまげいおりんは結局カチューシャ装備ですが、ぱっつんにすると誰だかわかんなくなるしなぁ…。あとこの半端丈の野袴は切り袴の裾にビロードを張ったものです。
戊辰戦争に興味があり、まだまだ駆け出しです。
ブログの一ページだけでも内容が濃くて自分の知識の無さに泣けました。
幕末・戊辰戦争史は調べれば調べるほど面白い(自分は西洋史から転がったクチ)分野ですね。自分もまだまだ勉強中です。
幕末系記事に関してはちょっと余所と嗜好が違う感じですが、なるべくわかりやすく書こうと国語の知識を日々絞っております(誤字脱字多くて申し訳ありません)。
これからも色々ダラダラと変な記事を描くとは思いますが、楽しんでいただけるよう脳を絞ります故、よろしくお願いします。
幕末の洋装を調べていたら
このブログを見つけました(^^)
かなり詳しいのでおもしろいです♪
更新頑張って下さい!
幕末期の武士の洋装は別のどの時代にも当てはまらない独特で楽しい着こなしがいっぱいなので、自分も見ていて飽きません。
また写真付きで特集っぽいことをブログでやってみたいですね。
面白い記事を提供出来たらいいなと、日々模索しております。今後とも、温かい目で見てやってくださいませ。