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河太郎隊兵士ができました~。

2010-04-25 22:38:10 | お絵かき

唐突にも丹波山国隊!どうもハッキリと軍装の詳細を描きたくなったのです。
彼らは戊辰戦争に参加した農兵部隊でもかなり好成績の部隊として有名ですが、今では平安神宮維新祭くらいでしか主に知られることはありません。
行進だけでなくてちゃんと戦闘リエナクメントをやってほしいよう!!(ムリだっつぅの)

ほんとは山国隊が「魁」の名の通りに一番乗りを果たした上野戦争にしたかったんだけど、あの時は雨天だったんだよね…。

ヤクの熊毛陣笠も今見ると違和感しか覚えませんが、元々が四川省産の高価な輸入モノだったゆえに当時は陣笠(黒熊毛付きの韮山笠も見たことがあります…なんか不思議だった)につけたり、ズラっぽく簡単な台座だけでかぶったりとかなりリッチでオシャレなスタイルだったようです。

 熊毛といえば官軍将校の「薩摩は黒、長州は白、土佐は赤」という区別は誤りだそうです。太田臨一郎著「日本の軍服」では薩摩藩士の遺品の白熊毛が掲載されています。
上野戦争の錦絵では赤熊の兵士が黒門口に描かれてますが、上野戦争に土佐藩兵はいませんでした。だいたい黒熊毛陣笠を一隊で揃えた山国隊は鳥取藩兵所属だし。

元々は幕軍将校のかぶり物だったという説がありましたが、「え?幕府陸軍にそんな軍装あったっけ?」とか思ってたら、これも同氏の著書で「日本近代軍服史」によると
一時期幕府軍で歩兵組のほかに「組合銃隊」制度というのがあったんですが、旗本の複数の家から禄高に合わせた人数分の兵隊を差し出させて一個の部隊を編成したんですが、各家で軍服を調達したためちょっと制服がフリーダムになっちゃって派手さだけが競われちゃったんです。
その折に銃隊の将校がそういうかぶいたものをかぶってたんじゃないかという説がありました。ちなみに組合銃隊はすぐに廃止されました。

すみません、話の収集がつかない。とにかく、熊毛陣笠を揃いで被ってた山国隊ははかっこいいんです!
山国隊は戊辰戦争の出兵で多額の借金を抱えましたが、引き換えに勤王の士としての名誉を手にしました。その成果が、かの時代祭なのでしょう。

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