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ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

きへいたい!

2010-08-18 22:05:17 | 幕末

そんなわけで長州藩奇兵隊隊長クラスです。ウィキにも載ってる有名な写真から軍装を再現してみました。
あれは明治二年に帰還した下関で撮影された記念写真のようで、合印の類は付いてませんでしたので、絵では付け足してみました。

スロウチハットに日本刀というのがなんともスキヤキウェスタンしてます。
チェック柄のシャツは彼らのみならず薩摩藩士の写真や土佐藩迅衝隊の肖像などにも残ってます。
けっこうカッコいいのに、映画やドラマでは必ずと言っていいほど白熊に陣羽織で登場するのがどうも…
(派手な陣羽織が狙撃の的になって危険なことは、四境戦争で奇兵隊や長州藩諸隊の活躍によって証明されました。)
同様の軍装が忍藩士の記念写真にも残っております。流行の最先端ですね。

気になるのが左の方の軍帽。円筒型の短い帽体に短い鍔、そしてバックルっぽいものがついた白っぽいバンド。謎です。せめて現存していれば。

両方とも服は体にフィットしているわけでなく、外国製の古着にありがちなサイズの大きなものを無理に着ているようです。
そういえば、箱館政府陸軍奉行の土方歳三の写真のコートもかなりでかそうです。

襟のスカーフは流行ですが、中には洋装でも首に和式の手拭いを巻いている武士などもおり、微妙なファッションセンスをうかがわせます。

刀は一本差しで腰ベルトに銃剣吊りのようなサックを付け、そこに差してるみたいです。

拳銃はスミス&ウェッソンモデル2アーミーを持っているようです。(絵のはオーバースケールぎみですが)
この拳銃は奇兵隊の生みの親である高杉晋作や彼からプレゼントされた亀山社中の坂本竜馬が所持していたことで有名です。新政府旧幕府問わず遺品や古写真に多くみられ、かなりの数が日本に入っていたようです。

足元は描きませんでしたが写真では靴ひもが見当たらず、サイドゴアの短いブーツを履いていたみたいです。

この写真の後、奇兵隊は脱退騒動を起こし、維新に貢献したはずなのに逆賊として処罰された方々も多かったようで、なんとも報われない…。

12ポンド砲弾を喰らえ!!

2010-08-02 00:07:44 | 幕末
花火の季節ですし、大砲でもいかがでせう。


ボートホウィッツル。地味ながらも戊辰戦争でよくつかわれた大砲です。本来はランチの舳先に固定して撃ったり簡素な砲車に乗せ換えて上陸作戦時の火力支援に使うものです。
なんかチャリンコというか、人力車みたいな砲架です。
南北戦争の終結で放出され、日本ではその軽量さから野戦砲として多く使われとります。しかし見た感じ華奢な構造で、砲身も含めて寿命は長くなさそうです。

四境戦争時、井伊彦根の軍勢が芸州口で長州軍に大敗を喫し、赤備えの鎧かぶとや武器を放りだして敗走しました。その際遺棄された品の記録に「米利堅ボウドノ十封度砲」というのがあります。
古風なイメージのある井伊家でも何気に使ってたみたいですね。

「米沢の烏」米沢藩兵は戦闘の結果自体は振るわずに降伏しますが、三十匁の火縄大筒などで地味に北越戦争で活躍しております。
スネルが東北地方に持ち込んだ南北戦争時の装具は円形キャンティーン、一関に現存する胴乱(アメリカ北部のメーカー名の刻印入り)会津白虎隊の記録にある灰色の軍帽、トラウザウス(たぶん南軍の)などなど。

発射には通常の野戦砲と違い艦砲用の雷管を用い、拉縄を引くと砲尾の撃鉄が下りて雷管をたたきます。現在の野砲の方式に近いですね。

ようつべに実射動画があります。南北戦争リエナクトでは現役みたいです。裏山シス…。

※大音量注意!

http://www.youtube.com/watch?v=HhHTsx0p2Qg

http://www.youtube.com/watch?v=YZELtMH8LLo

慶応三年頃の幕府陸軍将兵(イラストレイテッドロンドンニュースより)

2010-07-24 00:09:17 | 幕末


謎多き歩兵組の軍装の中でもかなりカオスな格好。おそらくは火消し頭巾のなれの果てのようなヘッドギア。陸軍歴史には黒塗り革製、紺木綿シコロ付きとある。
正面の屯所番号は「日本近代軍服史」では朱、「日本の軍装 下」では金色とあり、前者を採用しました。
そもそも最終的には9個連隊に編成されるのでいつまで屯所番号で部隊を現わしてるのかも謎。
同時期に従来の筒袖ダンブクロ、韮山笠の兵士も別の絵で確認できます。やはり部隊も多いと同じ軍服が供給できなかったのか、部隊によってさまざまなバリエーションがあったことでしょう。

そして気になるのが背嚢!バンドをクロスさせて水筒のようなものを固定しています。
このタイプの背嚢はこのイラストにのみ確認できるもので、他のには少なくともバンド二つを垂直に留めてブランケットを一文字に固定するタイプが多いです。

このクロスバンドの背嚢は、南北戦争衣料品サイトにあるようなやっぱりアメリカ軍のお古なのだろうか…。
ちなみにカラーリングに関する資料はブリュネの彩色スケッチ一枚のみと組合銃隊行軍図などの錦絵です。

アキバの某所製 幕府陸軍羅紗製軍服

2010-07-01 23:04:33 | 幕末


幕府陸軍やろうと思って1年くらい前に買っておいた某所の歩兵隊軍服です。クローゼットの奥に入れたまま、紛失したものと早とちりしてあきらめてましたがこのたび発掘www
自分アホスwwwwwwwww

でも、例の赤い山形の伝習隊のものではありません。ふふふ…さぁて笠を作る作業へ移ろうか…。

余談ですが、この製品自体は北軍のサックコートの改造のようですね。

ちなみにwikipediaにものってるブリュネ大尉のスケッチした「日本陸軍歩兵」は当時太田陣屋で伝習を受けていた旗本の学生のようです(朱鞘二本差しで歩兵てのは考えられん)
が、どうも彼が着ている軍服。

(ブリュネのスケッチ100枚より)
丸い折襟の紺のジャケットですがどう見ても北軍のサックコートをそのまんま着ているみたいです。

(オスプレイ 南北戦争の北軍 より)
こんなところにも中古品の存在感。

慶応年間幕府陸軍笠/そぎ袖羽織階級表(今回ながいよ!!)

2010-06-25 22:52:58 | 幕末


できました!もうこのまま上げちゃるわ!Pixivのほうにもあげときました。
最初、マンガ機能を使って2ページにしようと思ったら、圧縮されててなに描いてるかわかんねぇでやんの!

せっかくブクマも評価ももらえたのに削除ですよ…orz

慶応二年には旗本の一部が奥詰銃隊に編成されましたが、その年の十一月に筒袖羽織に関する通達が出ています。そっちも描きたかったけど正直、誰得…?なんで省いた次第です。

そういえば奥詰銃隊が最新装備の精鋭部隊みたいなこと一部で言われてますが、んなプライドの高い連中を洋式銃隊に纏めて、はたして好成績が期待できただろうか…。

参考文献
太田臨一郎著『日本近代軍服史』雄山閣 昭和47年
笹間良彦著『図鑑 日本の軍服 下』雄山閣 昭和45年
近藤正純筆 『銃隊式沿革図』靖国神社遊就館蔵

もう一個、横浜で売られている地ビール『サムライビール(トミービール)』の表紙の立石斧次郎の傍らに藍叩き塗りの歩兵差図役頭取の陸軍笠の現物が写っております。意外な発見!

正解発表?(お呼びでない?)

2010-06-24 01:05:37 | 幕末


実はこんなのを作ってます。前回レスにおける桜丘さまの察しのとおり、幕府陸軍の階級章陣笠、陸軍笠の色つき資料です。陸軍笠の資料は複数の文献にあるのですが、
どれもモノクロなのでせっかくだからカラーで再現しちゃおうと思いました。色の記述も複数の資料が一致しましたのでこれを基にしようと思います。

いまのところ、レキション羽織の階級区分をどう表現しようか悩んでます。


 唐突ですが、前回の記事の桜丘さまへのレスをここにてさせていただきます。

絵の鉄鉢陣笠の原型はおそらく、火事場頭巾などを簡素にした形状のようです。初期の講武所の洋式調練は火事場装束などを流用して
行われていたのでその名残かもしれません。しかしこの陣笠も鳥羽伏見戦までに総勢9連隊近く存在した蘭式歩兵隊全土に行き渡らなかったものと思われます。
仏軍砲兵大尉ブリュネのスケッチには慶応三年時点で筒袖ダンブクロに韮山笠、背嚢を背負った歩兵の一隊が描かれています。(遠めなので正確ではありませんが)

仏式伝習歩兵は歩兵組とは別途に徴収した雇兵で計二大隊ほどの編成にとどまりました。緊迫した情勢では、従来の蘭式歩兵の方が手っ取り早く、多く雇用出来たんでしょうね。
その際には洋装の軍服ではなく、足袋職人を動員して型紙で量産できた筒袖上着にダンブクロを着用させたのでしょう。韮山笠も紙縒りと漆でできちゃいますし。

薩摩藩など、戊辰戦争期の新政府各藩兵は写真が多く残っていて参考になります。特に、薩摩藩士の記念写真には舶来のマンテル姿の藩士の中に
イギリス軍のベルトがキラリと光っていたり中古品の普及具合がなかなかに面白いです。

古写真に関する隠れ良資料があるのですが、大学時代に図書室で見つけた本なのですが
毎日新聞社の『決定版 昭和史』シリーズの中の「昭和前史・文明開化 幕末~明治18年」という図版があります。
比較的高解像度の幕府軍調練写真や仏軍士官と幕軍士官の集合写真に洋式化された八王子千人同心の軍装姿、薩摩藩士の集合写真などが載っています。調べてみてはいかがでしょうか。

本当に、手前のイラストで幕末軍装に興味を持っていただけて本当にうれしく思います。伝習隊のイラストは自分でも、もう一度描きたかったりします。桜丘さまもぜひ!
ぜったい現用軍隊よりも研究しがいがあると思うんだけど、なかなか火がつかないのが悩みです。
(まとまった資料もないですし、おととしに出版された『武器と防具 幕末編』が最新の資料とでも言いましょうか)

これからも進めていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

やったー!韮山笠でけたよー。あと短エンピール!

2010-04-18 01:07:14 | 幕末
出来ました。まあもっと煮詰めなければですがそれはもっと時間をかけてやるとします。
とりあえず完成。


そんでもってくぱぁ。この構造なら紐が汚れたら取り換えられます。


かぶり心地?すっげぇ…最悪です。ザラザラする、なんか。
こら、そんなこと気にしてねぇで洋式調練だウジ虫ども!俺の彼女はゲベール銃♪

そんなわけで、せっかくのデジカメ撮影なんで、武器屋さんで購入していたエンフィールドP1861短ライフル”短エンピール”銃を撮影してみた。

真ん中がそれね。上のは無可動実銃の中国製モーゼルスタンダード小銃です。比較用です。”短”とか言ってるくせに20世紀のライフルより長いです。
下のは短エンピール銃用の銃剣です。詳細は後述。

機関部アップ。このチェーンは火門を保護するためのもので、エンフィールド銃の特徴です。別売です。高いです。

短エンフィールド~マルティニヘンリー銃に対応するP1856ヤタガン式銃剣です。曲がってるのがわかるでしょうか。

着剣してみた。重い&長い!当時のスウォードバヨネットは横に刀身がきます。

着剣装置のアップ。ちょっと抜くときにコツがいります。

キャンバス製カバーはいつも軍服買ってる海外の南北戦争用品サイトで買いました。スプリングフィールド小銃用なので布があまります。
製品の都合上革製スリングがストックのスイベルリングに通らないので、同サイトから南軍のキャンバス製代用スリングを買いました。柔らかいので入りました。

じゃあこの辺で!って韮山笠よりエンピール銃のが写真多いじゃねぇか!

韮山笠リメイキング

2010-04-17 01:36:37 | 幕末
絵もろくに描かずに何をしてたかといいますと、こんなことをしてますた。




幕末特有のヘッドギア、韮山笠でござい。幕末/戊辰戦争リエナクメント用に以前自作しましたものの、いらんことにコストをかけすぎまして…。
最近、骨董品の韮山笠の裏面を見る機会がありました。どうやら色々間違えていたみたいなので
今回、修正をかけることと相成ったわけでございます。
具体的には固定式だった紐を外し、中に輪っかを四か所に取り付けてそこにアゴ紐を通して結び、実物と同じように後から調節/取り外し可能にしようというわけです。
良い機会なのでカシュー漆もリペイントしました。

この韮山笠がひとつあれば大体どこかしらの藩兵に対応できます。幕府陸軍から長州奇兵隊などほんとにいろいろと。ちなみに自分は土佐藩迅衝隊の軍装を楽しんどります。
実際には紙縒りを編んで制作されましたが代用品として麻布を切り出し縁を縫えば問題なしです。麻なんで少しけば立つけど。革製のものも現存していますので再現すると面白いかも。
サイズは資料館のデータをもとに長さ54cm、高さ28cmでつくりました。実際にはハンドメイド品なのでピンキリです。
麻布二枚とカシュー漆(粘度のある塗料ならなんでもおk)、紐があれば作れます。みんなもチャレンジだ!!

幕末、ミリタリーホビー!

2010-03-25 01:56:04 | 幕末
早合点調練双六というものがあります。
主に慶応三年頃に発行された、幕府陸軍の歩兵調練の内容を双六にしたおもちゃです。
韮山頭巾に黒い筒袖シャモ袴の兵士が一生懸命執銃動作をしています。

ただのおもちゃと侮ってはいけません。オランダ式歩兵調練を絵でかなり精巧に再現しています。



当時の執銃における基本姿勢「肩へ筒」です。親指と人差し指でトリガーガードを握りますが、

1862年式のアメリカ軍「Casey's infantry tactics」では

同じ姿勢が「Shoulder Arms!」としてイラスト付きで紹介されてます。また、フランス軍なども同様だったみたいです。

もうひとつ。

ほぼすべてのコマに描かれてる小銃はしっかりとミニエー銃特有の遊動照尺つきリアサイトまでしっかりと描き込まれています。良いクオリティだ。
トリガーガードが真鋳のようで、エンフィールドP1853小銃に見えます。

子供のおもちゃにこの気合の入れよう、これの原画をかいたひとは当時でも結構なミリオタだったに違いない!とか思ってなりません。