鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

聖句と教理

2021年04月02日 | キリスト教の正しい学び方
 前回、Biblicというのは、「聖句を最終権威として聖書に対する姿勢」を意味していると言った。
ここで聖句という言葉の特徴をみておこう。
 
 聖句というのは、聖書という書物に記されている言葉そのものをいう。
英語では スクリプチャー(scripture)といわれる。
 
<聖句の文章は記述的>
 
 現実は多様なものだ。聖句はその多様な現実を多様なままで、写真を撮るようにして文字に書いた文章でできている。
これを日本語では、記述的(descriptive) とか描写的とかいう。
 
<説明本能>
 
 記述的」と対をなす言葉は、説明的(]explanatory)だ。
「説明的」は、記述的で多様な聖句の間にある論理的なつながり、すなわち、筋道を見つけ出して書く文章だ。
 
 聖句はそのままでは「何を言ってるか」が理解しにくい。
だが人間は、そういうものを見ると、それが「何を言ってるのか」を簡明に知りたいと欲していく。
これは自然な本能だ。
 
 簡明に知る、というのは、簡単な文章に要約して知る、ということだ。
要約文に「置き換えて」知るといってもいい。
 
 そのために人間は聖句の間に論理的な筋道を見出そうとする。
そうして、聖句が「言いたそうなこと」を「理解」しようと欲していく。
 
 
 
<教理>
 
 こうして出来た文章(言葉)を、教理(doctrineまたはdogma)という。
人間は「言ってること」を理解しようとして、教理を自然に、本能的に作り出す。
 
 だから聖句と教理は一人の人間の心の中に併存するようになっていくのだ。
 
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