天使論の続きだ。
イエスの教えを解するには、天使に関する知識がたくさん必要だから仕方ない。
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天使はイエスと同一化するほどに愛した人間にはその「力」としても働く。
伝道者パウロはこういっている~。
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「御使いは皆、仕える霊であって、
救いの相続者となる人々に仕えるためにも遣わされているのではありませんか」
(ヘブル人への手紙、1章14節)
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~ここで「救いの相続者」とはイエスを愛し同一化した~そうすると「救い(罪からの)」を受けられる~人間を言っている。
この人々には、天使は随行してその人の権能として仕え働くのだ。
<「しるし」で証拠付けよとの命令>
だからイエスは宣教するものに、教えを述べ「しるし(目に見える奇跡)」で証拠付けよ、命じている。
「マルコ伝」に記録されたイエスの次の言葉は、それを言っている~。
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「全世界に出て行き、すべての創られたものに福音を述べ伝えなさい。
・・・・(中略)・・・・。信じる者には次のしるしが伴います。
すなわち私の名によって・・・(中略)・・・病人に手を置けば病人は癒やされます。」
(マルコによる福音書、16章15-18節)
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~ここで「信じる者」とは「イエスを愛し同一化した」人間を言っている。
そういう人間は、父なる創造主からみたら愛する御子と同じだ。
だから、御使いを随行させ仕えさせる。
彼に随行する天使が(手を置けば)癒やしの働きをするのだ。
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ちなみに、人間自体に癒やしの超能力がないのは明らかだ。
それが癒やすなら、その現象は力を持つ天使によるものでしかない。
こうして、イエスと同一化した者には、天使が彼の権能として働くことが明らかになる。
<ニッポン教会の病根>
余談である。
このこと、すなわち人間が超自然な力を発揮しうる、ということは、最初はだれでも受け入れがたい。
「まさか・・・」いう気持ちになるのは自然なことだ。
けれども、だがらといって、そこにとどまって、この人間の持ちうる権能にまで、聖書解読を進めないのは問題だ。
日本の牧師さんや神学者さんは、その状態にあり続けてきている。
その結果、日本の教会はあらかた「力のない」教会になっている。
そして、倫理道徳をたくさん説教する場になってしまっている。
(続きます)