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鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

バーミングハム日本人教会

2006年04月30日 | キリスト教活動の歴史

(写真はクリックすると拡大します)

アラバマ州バーミングハム市の日本人教会です。
米国の日本人教会は礼拝後に軽食の会を持つことが多いです。
愛餐会とよんでいます。
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Vol.137『創主の子には良きしるしが現れる』(10章:最終)

2006年04月30日 | ヨハネ伝解読


~~久しぶりに「ヨハネ伝解読」をいたしましょう。
聖句を考えることは、鹿嶋春平太チャーチの主柱です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「もし私が父が欲せられるわざを行わないならば、私を信じなくてもいい。だが、私が行っているのなら、たとえ私を信じなくても、最低限私のわざは信じなさい。父なる創造主が私のうちにおられ、私が父の内にいることをはっきり悟るために」(10章37~8節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 「自分はその創主のメッセージを与えられた者だ、創主が選んで世に送った存在なのだ」(36節)とイエスが言っても、ユダヤ人たちは「あほか」と信じませんでした。

 そこでイエスの口から出たのが、本日の聖句です。それは~~

 「そのわたしの言葉自体を直接信じられないのなら、信じなくてもいいだろう。けれども、私がしているわざは創主が望まれるものだよね。諸君(ユダヤ人たち)はそのことは信じられるはずだから、信じなさい。そうしたら(その筋道から)創造主と私とは一つであることをはっきり悟るようになるだろうから」(37節)

 ~~という主旨ですね。

+++

 すごい論理ですね。もし真理なら、素晴らしい論理でもありますね。福音を学ぶ者は、この点を見逃してはなりません。特に、牧師、伝道師などの教職者の人は、この論理を無視してはならないのです。この辺を「しるしばかり求めて・・・」と、誤解した屁理屈付けて否定する人が日本には多いのですが・・・・。

 しるし「ばかり」求めているのではありませんよ。しるし「も」も必須要素だ、と言っているのです。

 「愛と救い」が福音の必須要素であることを否定しているのではない。それに「プラス霊力」で、福音は十全となるといっているのです。それを否定したら、そうなりうる道を自ら断っていることになるのです。

+++

 だがイエスのこの論理を、ユダヤ人たちは受け入れることが出来ませんでした。それで、イエスを逮捕しようとします(39節)。イエスはこれを逃れて、エルサレムの神殿を去り、ヨルダン川の東側の岸に滞在します。

 「多くの人がやってきて彼を信じた」、とヨハネは記しています(42節)。同時に、その彼らの口から出た言葉の一つも記録しています。

 「(バプテスマの)ヨハネは何のしるしも行わなかった。けれども彼がこのかた(イエス)について語ったことは本当であった」と(41節)。

 つまり、彼らはイエスのしるしを見て、「しるし → その語ることは創主からのメッセージ」という論理を素直に受け入れたのでありました。

 これで10章は終わります。
 深い、すごい章でしたね。


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ジュネーブアカデミー学生名簿

2006年04月29日 | キリスト教活動の歴史
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 「ジュネーブアカデミーの当時の学生名簿はありますか?」
と尋ねると、司書さんは「ある」と応えました。

 「内部を観たいのですが・・」というと、自らの手で(鹿嶋には触らせないで)開いて見せてくれました。

+++

 カルヴァンはある時、自らのプロテスタント神学を欧州の若者に伝えるべく、ジュネーブ共和国に神学校を設立しました。それがジュネーブアカデミーです。

 彼はそこで育成した若者を、全欧州に放ちました。

<長老派教会国教に>

 英国の卒業生たちは、英国スコットランドでカルバン神学を広め、教会を設立していきました。それが長老派教会と呼ばれるようになりました。

 彼らは英国教会が国教だった英国において、これと戦い長老派教会をスコットランド地区の国教にまで仕立て上げました。英国の北半分が、カルヴァン主義教会を国教にするようになったのです。

<オランダ独立運動>

 オランダではカルヴァン神学思想は、独立戦争を引き起こしました。
当時この地域は、カトリック宗主国スペインの属領になっていました。これにたいして人々は80年間という気の遠くなるような長期にわたり、カトリック勢力と戦い続けました。

 この根気はどこからやってくるのでしょうか?

 昔のカトリック軍隊は、ブッチャー(屋)ともいうべき存在で、異教徒を魚を料理するように殺していきました。あちこちで大殺戮を受けながら、オランダ人はとうとう独立を勝ち取りました。その理念の種は、ジュネーブアカデミー卒業生がまいたものでした。

 カルヴァン派の教会は、オランダではオランダ改革派教会、と呼ばれるようになりました。


<ユグノー戦争>

 フランスでも、カルバン神学は卒業生たちによって広められ、改革派の教会が各地に出現していきました。これを絶滅させようとしてカトリック軍隊が動き、宗教戦争が始まりました。

 フランスのカルヴァン派は「ユグノー派」と呼ばれました。それでこの戦争は「ユグノー戦争」とも呼ばれています。
 
 フランスでは、カトリック勢力が強固で、途中二転三転しながらも、最後はカトリックが支配権を手中にしました。けれどもジュネーブアカデミーがこの国で巻き起こした渦は、やはり強烈なものがありました。

 それは後のフランス革命の理念地盤になっていきます。

<気宇の大きい人物だった>

 一般に、「ルターはドイツにプロテスタント運動を開花させ、カルヴァンはそれを全欧州に拡散させた」といわれます。まさに彼の働きは人類史船の舵をぐいと切り変えるものでした。

 インク手書きの名簿には、入学生の名前と出身国が列挙されていました。初年度からかなりの数の留学生を受け入れ、2年目にはその数は二百数十名に達していたように記憶しています。

 これには春平太は驚きました。
普通、新しい学校を始める時我々は、「小さく産んで大きく育てる」というようなことを考えます。でも、カルヴァンにはそんな観念は毛頭なかったようです。

 自分の寿命の残っている間に、全欧州に宗教改革を根付かせねば、と考えたのでしょうか。最初からすごい数の学生を受容していった。どうやって面倒みたのだろうか、その費用の捻出は? 鹿嶋のような凡人は考えてしまいます。

 カルヴァンは気宇の大きな人物だったんですね。大物官僚の器。
 手書きの名簿は当時の空気をなまなましく発散し、またしても唖然と口を開ける春平太でした。

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カルヴァン古書室

2006年04月27日 | キリスト教活動の歴史
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カルバン関係資料の古書室です。
カルバン資料館の中にあります。

カルヴァン当時の彼の著書や、使用図書、草稿など、ジュネーブにあったものをかき集め保存した一室ということでした。
そこだけは鉄格子のついた扉で区分されていて、鍵がかかっていました。

貴重な古文献が多いようで、中は、湿度温度が調整され、書類の劣化がなるべく進まないようにされていました。

案内の方の計らいで特別に、古書類司書(写真の女性)の方と同行で入室させてもらいました。背表紙にカルバンの手のあとと息吹が残っているかのようで、唖然として口を開け眺めている春平太です。

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カルヴァン資料館

2006年04月26日 | キリスト教活動の歴史
(写真はクリックすると拡大します)

 カルヴァンカレッジの中にあるカルヴァンに関する資料を集めた資料図書館です。

 上部に書かれている名前は、おそらく寄付者の名でしょう。
 米国では寄附控除制度がとても進んでいて、資産家はよく寄附します。
大学の建物には、人の名前が付してあるものが多いのですが、ほとんどは寄付者の名です。

 ロイス・ホールはロイスさんが寄附して建てた建物、と言うが如くです。

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カルヴァンカレッジ

2006年04月26日 | キリスト教活動の歴史
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米国ミシガン州にあるカルヴァンカレッジ(大学)の看板前。

宗教改革の立役者、ジャン・カルヴァンの神学を研究・教育する神学校から始まって、現在大学に発展していますが、大学の中核は依然として神学校です。

設立・維持・運営しているのは米国のオランダ改革派教会です。

宗教改革時代、カルヴァン神学で運営される教会は、本部のジュネーブでは「改革派教会」と呼ばれていました。

 それが英国では「長老派(プレスビテリアン)」と呼ばれ、
 フランスでは「ユグノー派教会」と呼ばれ、
 オランダでは「オランダ改革派(ダッチリフォームド)教会」と呼ばれるようになりました。

 呼び名は異なりますが、ルーツはカルヴァン派で同じです。

 そして、カルヴァン派の諸活動はいまでは米国で中心的に行われています。欧州はほとんど「もぬけの殻」といった印象です。

 そのうちでカルヴァン神学の研究・教育の本山が、このカルヴァンカレッジとなっています。

 向かって左側の方は日本人の神学者で、この日鹿嶋のためにキャンパスを案内してくださいました。

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さわやかで洗練された広告

2006年04月23日 | キリスト教活動の歴史
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 1998年に米国でバス旅行したときに、長距離バス会社グレイハウンドバスの駅内部の壁にあった広告ポスター。

  「一緒にいたい人と一緒にいなさいよ」というキャッチコピーと、暖かくもさわやかな写真。下方に小さく(そっと、さりげなく)「グレイハウンドで行こう」の文字。洗練されたクリエイティブセンスが印象的でした。

 これって、このままたとえばチョコレートの広告にも使えそうではありませんか? もちろん、長距離バスよりはつながりは薄くなりますけれど。

 広く奥深いイメージ世界を提示すると、ブランドとのつながりもまた奥深いところでそっと柔らかに形成することが出来ます。すると効果の持続する広告が成立します。

 「ベニーヒンクルセード」ボルティモア聖会に向かう途中でした。

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自由な聖書解釈に価値をおく人の輪を広げたい

2006年04月23日 | この教会の基本理念
 トラックバックというものが、歳のせいかむずかしく、これまで出来ないで来ました。これでいいかどうか・・・。
 とにかく「聖書に真理有り」と信頼し、それを「自由に解釈することに価値をおく」方々と、出来る限り交流したいです。
 雄作さん、東京バプティスト教会の皆さん、期待していますよ。
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Vol.136『聖書には総論と奥義が併存』(10章)

2006年04月22日 | ヨハネ伝解読

~~「ヨハネ伝解読」です。
前回、聖書の論理には総論と奥義とがある、と申しました。
今回、そのことを今少しはっきり考えておきましょう。前回と重なる部分も出てきますけど。

 総論は概論です。奥義はそこから更に踏み込んだ論理です。
 そして、そのどちらも間違いではない。
 これを知ることは大切です。

~~この知識がありませんと、自分が思いめぐらせたことのない領域の奥義的解読をのべられると、動転してしまうんですね。

 「こんなのに影響されたら異端者になるのでは!」「地獄に堕ちるのでは!」と。総論は総論、奥義は奥義。共に共存できるもの~~これを悟っていませんと、聖書に関する「自由な」思考など出来ません。奥義に触れたら、反射的に顔が引きつってしまいます。

~~聖書は創り主が霊界、物質界の双方にわたって解き明かすメッセージということになっています。だったらそれは、広大で深いものにならざるをえないでしょう。

 そういうものを受信する人間の理解は、まずは概論的、表層的なところから、となるしかないでしょう。そして、後に奥義に入っていくのです。
これは自然なことなんですね。聖書の論理に、総論(概論)と奥義が出てくるのは不思議なことではないのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「創り主の言葉を与えられたものを、創主は神々(gods)と呼ばれていることを我々は知ってるよね。だったらその創り主が選んでこの世に送られたこのわたし(イエス)が、『自分は創主の子だ』といったのが創主を冒涜することにどうしてなるんだ?」(10章35~6節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「創り主の言葉を与えられたものを、創主は神々(gods)と呼ばれている」というのは奥義を語る聖句です。
 ユダヤ教では、「ゴッドはお一人」というのが常識なんですね。ユダヤ教は旧訳聖書を教典としています。ところがその旧訳聖書の中に、「神々と創主(いと高き方)に呼ばれる人がいる」と言う聖句があるんですね。

 これは何だ? 聖書は矛盾を含む本なのか?
 そうではないんですね。「ゴッドはお一人」は、総論です。「概して言えば・・・」の論理です。
 「創主に神々と呼ばれる人間がいる」というのは、奥義です。
 両者は矛盾してはいないのです。

+++

 いまそれを、キリスト教のなかで示しましょうね。旧訳聖書はキリスト教の教典でもありますから、上記の聖句をそこで考えてもいいでしょうから。

 キリスト教だって総論は「創造主はお一人」ですよ。その際ゴッドは「父なる創造主」を言っています。

でも、一歩奥義にはいると、「ゴッドは三つ」となる。父なる創造主と、子イエスと聖霊です。そして、それらは「三つにして一つだから三位一体」ということになります。
 これだって難しいですから、通常人はそこまでだと思っています。

 ところが、もう一つ深い奥義があった。
イエスが本日の聖句であげている聖句はそれに相当するんですね。
人間でも、創り主の言葉が内に留まったものはゴッドである、という。

 どうしてそうなるか?
 聖書では創造主は常に被造物(この場合は人間や天使)の霊のあり方に関心を当てているという思想です。
 霊のあり方は思い、意識の状態で決まりますので、問題は意識だ。そして、意識は言葉に凝固しています。
 
 創主の思いは創主の言葉になっている(それが聖句だというのが聖書の思想ですが)。その言葉が内に留まっているというのは、創主の意識が内に留まっていると言うことです。そして、そうなれば、その人は“その分”創主と同質になっているという道理になる。それを言い換えれば、その分ゴッドになっている、ことになるのです。

 こういう原理が奥義です。聖句の奥の方に、そういう論理構造があるのですね。

 +++

 新約聖書の福音書では、上記の他にもその奥義をちらりと示す聖句がありますよ。
「マタイ伝」を開いてみましょう。

 「行って私の兄弟たちに言いなさい。ガリラヤに行け、そこで私に会えるであろう、と」(マタイによる福音書、28章10節)

 これは、十字架死した後に復活したイエスが、イエスの墓にやってきた女たちに言ったとされている言葉です。ここで「兄弟たち」というのはイエスの弟子たちのことです。イエスは、この時点ですでに弟子を兄弟と呼んでいるんですね。

 なにげなく読み流しがちですが、よく考えてみればこれは大変な言葉なんですね。イエスは「創り主の子」でしょ。で、その兄弟となれば、これもまた「創主の子」と言うことになります。イエスの使徒たちを、この時点で創主の子とイエスは扱っているんですね。

 どうしてそんなことになるのか。それは、創主の言葉を受け入れているからだ、という論理です。そういう論理の根拠が、すでに旧訳聖書の聖句(イエスが引用した詩編82章6節の聖句)にあるというわけです。

<「格」は違うが「質」は同じ>

 もちろん「創主の子」となってもイエスとは「格」は違うでしょう。弟子たちは「事後的に子となった」タイプの創主の子です。創主の懐から出て、はじめから子であったというイエスとは同列にはならないでしょう。

 けれども、創り主の言葉を与えられ受け入れている点では、イエスと同じなんですね。
人間ではあるが質的には同じ創主の子なのであります。

 そういう奥義を持ち出して、イエスは「だから私が自分を創主の子だと言ったって、それだけで創主を冒涜したことにはならない」と反論したんですね。


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バプテスト風のペンテコステ教会

2006年04月17日 | キリスト教活動の歴史
(写真はクリックすると拡大します)


 バプテスト色を持ったペンテコステ教会です。
米国ミシガン州グランドラピッツ市にありました。

元警察官の牧師が開拓した教会で、急成長しているとのことで訪問しました。
この牧師さんは社会的情熱の豊かな方で、世の中の人々の幸福に貢献しようと警察官になり、働いていました。そうしたある時、仕合わせへの真の貢献は福音を伝えることによる、と実感し、8年ほどの入念な準備期間を経て牧師になりました。

 そういう人ですから、教会運営も自らの実感と確信に沿って行っていました。
まず霊的な力がないと人々の日々の生活における問題を解決してあげることは出来ないと、ペンテコステスタイルの礼拝を始めました。

 しかし、続けていると新しいことがわかってきました。聖句を深く理解するのが霊的な深い力の源になる、ということです。そこで、バプティスト派の聖句探求的な方法も取り入れました。写真はその礼拝風景です。
 
 全員立ち上がって聖歌、賛美歌を歌い続けるのはペンテコステ風なのですが、そうした途中で聖句を引用して創主を信頼するショートメッセージを挿入します。そして「真理はこの書物にある!」と聖書を掲げます。写真はその場面です。


 バプティスト派とペンテコステ派とのいいところを組み合わせた教会を待望して、「バプテコステ教会」が必要という声が米国にはあります。これなど、それを体現した例かも知れませんね。

 舞台で聖書を掲げている人の中で、向かって右から2番目がその牧師さんです。元警察官だけに大柄で胸の厚い体格のいい方でした。礼拝の途中で「汚れた霊」や病・貧困に対して「出て行け!」と彼が舞台から叫ぶと、教会堂を貫くように響き渡り、はじき飛ばされたようになっている聴衆(鹿嶋も若干そうなった)もいました。

 礼拝後のすっきりした気分がとても印象的な教会でした。


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コメント:聖書は調べるもの、聖句は探求するもの

2006年04月16日 | ヨハネ伝解読
~~SAITOHさんからは、他にも興味深いコメントをいただいてきています。「ヨハネ伝解読」のVol.128『救いの条件は実は聖句探求の維持?』に対するものもその一つです。ここに表示いたします。


                    


(SAITOH)

「聖書の中のイエスの教えを調べ続ける、というのは、罪許される条件となる」というのは、非常に勇気づけられる言葉です。

 いろいろな人が自分なりに考え、聖書を読み進めていくと、当然、中には、トンチンカンな解釈もでてくるし、一笑に付したくなることもある。でも、その解釈はともかく、自分で調べて、考えようとする姿勢には敬意を払うべきであると、改めて反省させられました。

 それこそが、地の塩ですね。 そもそも、創り主から見れば、皆、五十歩百歩であることを肝に銘じたいです。

 私にしても、まだまだ、聖書そのものに当たって、調べる習慣が身に付いたとまではいえませんけど、そういう人を増やすように働きかけたいですね。

                    
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コメント:信仰の自由

2006年04月15日 | キリスト教活動の歴史
~~SAITOHさんよりコメントをいただきました。

                    

信仰の自由 (SAITOH) 2006-04-15

クェーカーの礼拝風景の画像は初めてみました。興味深いですね。 

ところで、アメリカの自由な信仰のあり方について聞くと、私たちはただ、うらやましいと思うのですが、これとて、決してタダで得られたものではないのですね。

 信仰の自由を求めて新天地に渡った人たちが理想とした社会は、信仰の自由など認めないものだった! クェーカーやアナ・バブテスト(再洗礼派)は絞首刑にあったりしましたし。

 あとから来た人たちは、あまりの狭量さに唖然としつつも、自分達のコミュニティを築いて行く。やがて、ロジャー・ウィリアムスとか、ウイリアム・ペンといった人たちが出てきて、信仰の自由を打ち出していくのですが、理念主導の戦いを続けなければならなかった。

 だから、もともと自由な風土だったとか、なんとなくそんな社会になったというのでは決してない。アメリカ史を学ぶ上で、最も重要なことではないかと思います。

                    


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クェーカー教徒の礼拝風景

2006年04月13日 | キリスト教活動の歴史
(クリックすると写真が拡大します)

クェーカー(Quaker)教徒の日曜礼拝風景です。
(鹿嶋が訪問した時のもので、写真も春平太撮影です)
輪になって座り、瞑想するのがこの人たちの礼拝です。
聖句は口に出さず、聖書も持参しません。

瞑想によって、霊的な啓示を得ようとします。
啓示を受けたと感じた人は、立ち上がってその啓示を語ります。
語り終えると静かに座ってまた瞑想します。
この状態で40~50分の時間を過ごす。これが彼らの礼拝です。



クェーク(quake)とは、「ふるえる、振動する」、という意味です。
ものの本には「激しく体を揺すって礼拝することからその名がついた」とされていますが、
実態はどうもそうではないようです。

彼らは、創造主からの啓示の霊感を得ることをとても重視し、
それには言葉はじゃまになる、として、
敢えて聖句も持ち出さないようにする。これが方法論なようです。

この方式が始まった頃、他の教派の人から「君たちはどうしてああいう礼拝をするのだ」と質問されることが多かった。
宗教裁判で尋問されることもあったそうです。
で、自分たちの方法論を語るのですが、それを語っているときにぶるぶると震えることが多かった。
それで「あいつらはクェーカーだ」のニックネームで呼ばれるようになったそうです。




ふるえることが多い理由は、おそらく次のようだと春平太は考えます。
つまり、霊感を大事にし、言葉を使うことを避けようと普段していますと、
議論するとき(言葉を使う時)にも、やはり感覚(霊感)が先立ちがちになります。
多感になって感情が先立ち、言葉にならずふるえてしまうのでしょう。

物事に感激しやすい人も、自分の気持ちを伝えようとするとき、
感動がよみがえってしまって震えてしまうことがありますよね。


                    


聖書を用いないキリスト教なんて・・・、という声も出そうですね。
でも、キリスト教の核心を「霊感」に置くというのは、間違っていないと思われます。
で、「ならば、そのために言葉はじゃまになるから」、と聖句そのものも敢えて持ち出さないようにする。
これも一つの論理です。

こういう風に、みな各々まじめに考えて、その思想を実行する。
すると、賛同する人もいて、一つのグループが出来上がって存続する。

聖書をもとにして自由に考え実行できる、この精神風土はとても貴重に、春平太にはみえます。
写真は米国で撮ったものですが、多くの国では、いまでも伝統的な教派が自由な試みを、
「異端だ!」とかいって攻撃しますからね。




                   


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Vol.135『創主のメッセージを受けたものは創主の子たち』(10章)

2006年04月11日 | ヨハネ伝解読


~~「ヨハネ伝解読」前回の続きですが、今回は奥義に踏み込むところです。
その語られるところは深く、素晴らしいです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「(我々(ユダヤ人たち)がお前(イエス)を石で打って殺そうとするのは・・・・(中略)・・・お前が人間であるにすぎないのに、自分を神(創主)にしているからだ」(10章33節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  
 
 ユダヤ人もイエスも旧訳聖書を踏まえています(解読のしかたは違いますが)。そこでは、ゴッドは唯一の方という基本前提があります。

 そこでユダヤ人たちは~~「(我々がお前を石打しようとするのは、いいわざをしたからではなく、人間であるにすぎないのに、自分を創主にすることによって創造主を冒涜したからだ」(33節)

 ~~といいます。これは律法(旧訳聖書の)にかなっていることだ、我々がお前を殺すのは正しいことなのだ、という論理です。

                  


<唯一なのは「父なる」創り主>

 ところがイエスは反論するのです。

 「だって、その聖書にそうしていい(自分をゴッドにしていい)と書いてあるんだモ~ン」(34節)。

 ここでイエスが引用しているのは、聖書(旧約)の中におさめられている「詩編」という書物の聖句なようです。そこにはこう書いてあります。

 「わたし(創主)はいった。『おまえたちは神々(gods)だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ』」(詩編、82章6節)

 イエスは、この聖句を解き明かします。
 ~~ここで「おまえたち」と言われているのは、創主からのメッセージを受けた人々だ、と。

 これはたとえば、旧約における預言者たちでしょう。彼らは、創造主からのメッセージをその霊感に受けた人々と言うことになっていますから。

 イエスは~~、この人々を神々(gods)と聖書(旧約)で言っているではないか。聖書の言葉は真理だろ? その聖書が言ってるんだからこれは真理なんだ~~と。


                  


 そして~~預言者という人間が創り主の言葉を受けたら神々になれるのならば、その創り主の言葉を受けて、創主から出てこの世にやってきているわたしが、神(創主)の子となるのは、当然ではないか~~という。

 イエスのこの言葉は、「まことの神は唯一者」という聖書の大前提とどういう関係にあるでしょうね。春平太の見解を結論から言いますと、「創主は唯一者」というのは、総論での大前提です。総論的解釈というのは表層的でもあり、表層というのは初心者向けでもあります。

 しかし、一歩内部に踏み込むと、そこには奥義がある。聖書とはそういう構造になっているのです。ここでの奥義には、創り主の言葉を内に抱いた存在は(その分)創り主と同質になる、という原理があります。

 聖書では、創主との関係は基本的に思いの内容で決まります。これが鉄則です。そしてこの鉄則が奥義を明かしてくれます。

 この鉄則によりますと、創り主と思いが同じであればその存在は創り主と(その分)同質になる道理ですよね。で、思いの本体は霊でしたよね。霊が同質になれば、創り主と同質にならざるを得ません。で、創り主が神でしたら、その存在は神々(英語のニュアンスをのこせばミニゴッド)と言うことになります。

 人が創り主の言葉(思い、霊の凝縮したもの)を抱いて、そのまま自分のものとしてしまったら、その分その人の意識は創り主と質的に同じになっていきます。意識が同じなら、その言動も似てきますよね。ミニゴッドになる。

 奥義はそうなっています。「いと高き方(創主)の子」ミニゴッドはたくさん出うるのです。それからすると唯一者とは「父なる」ゴッド(創造主)であった、ということになるでしょう。

                 


 ともあれこれが福音の奥義です。イエスが新約聖書で明かしていく奥義です。旧訳聖書では、それが隠された形でしか現れません(だから解読はエキサイティング)。

 『詩編82』は「アサフの賛歌」と記されています。アサフという人にそういう霊感が与えられたのでしょうか。あるいは他の預言者に与えられた霊感内容を、アサフが賛歌に編集したのでしょうか。それはわかりませんが、とにかくそこに奥義が「チラッ」と込められる。

 旧訳聖書は、そういう書物です。その奥義をイエスが地上に現れて解き明かしていく。そのイエスにぴったりつき、教えを最も深く理解した弟子が「ヨハネ伝」の著者ヨハネだというつながりです。

 ヨハネ伝は、聖書の中でも別格の書物です。その「ヨハネ伝」をわたしたちは、いま読んでいるのですね。「春平太チャーチ」がその素晴らしさを十分伝えられたらいいんだけど・・・。

                  
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ベニーヒン「癒しのクルセード」

2006年04月10日 | キリスト教活動の歴史
(クリックすると写真が拡大します)

米国、メイン州、ボルティモアで行われた、ベニーヒン「癒しのクルセード」

カメラが少し遠いのですが、白い背広を着ているのがベニーヒン牧師。

舞台の前列に、癒された人たちの(もう要らなくなった)車いすが並んでいます。

聴衆が手をあげて創造主の力を讃美しています。

舞台の向かって右側にいる人々は、この地域の教会の牧師さんたちです。



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