鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.275『聖霊は私の栄光を現すよ』(16章14節)

2010年02月19日 | ヨハネ伝解読

イエス「最後の晩餐」での遺言、本日も聖霊の働きについて言い残しておくところです。

ページの右側上部に、文字サイズを変更できる機能を入れました。
「大」をクリックすると、文字が大きくなります。

BGMは相変わらずmariさんのこれを感謝して使わせていただきます。
http://aiai.hukinotou.com/

(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて
春平太チャーチを開くとBGMのある状態で読むことが出来ます)


                     
              
++++++++++++++++++++++++++
=聖句=
「御霊は私の栄光を現すよ。私のものを受けて、諸君に知らせるからだ」
(16章14節)
++++++++++++++++++++++++++
                    


ここは「栄光(glory)」という語の意味が焦点です。
栄光にはいくつかの意味があります。
まず、光から。

われわれが目にするのは、この世界を明るく照らしてくれる光(light)です。
わたしたちは光とはそれだけのものだと思っていますが、聖書の思想ではそうではない。
いま述べた「世を照らしてくれる光」の実体は光子という素粒子です。
素粒子は物質で、物質は被造物。
つまり、この世を照らしている光は、被造の光です。


                    

聖書では、栄光というもう一つの光が存在することを伝えている。
それは第1に創造主から発する創造の光です。
創造主からは、「いのち」というエネルギーが放射されている、という思想を
これまで幾度かお話ししてきましたね。
このエネルギーが発する光もあるという。これが栄光の光。


                    

栄光の光はすさまじい速度を持っています。
被造の光は、1秒間に地球を七回り半しかできず、
太陽から地球に届くには18分でしたか、それくらいかかるそうですよね。
もっと遠くにある星に到達するには何千年、何万年とかかるそうです。
これが光年ですね。
宇宙は球体でいまも膨張中だといいますが、地球からこの宇宙の果てまで光子が至るには
750億光年かかるという推計もあります。

ところが栄光という創造の光は、宇宙の外の天国(天の創造主の王国)からでも
一瞬にして地球に到達します。
(地上での祈りはこの栄光の光で天の創主王国に運ばれると想像できます)


                    


栄光の光は肉眼には見えなくても、霊には見える光です。
身近なところでは、「あの人は明るいね」「暗いね」といいますね。
これは実は、その人の内の霊に充電されているいのちエネルギーが発する光を、
霊で感じて言っていると考えられる。。

そういう光を見ると、人の意識はそれを賞賛するように動きます。
仰ぎ見て誉め称える。
つまり、光を発する主体は栄誉を受けるわけです。
そこで、栄光は第2に「(それがもたらす)栄誉、名誉」という意味も派生します。


                    

もう一つあります。
これが第3で、パワー・力です。
いのちエネルギーは当然すさまじいパワーも持っていますから、やはりその意味も派生する。

要するに、創造主から放射されている「いのちエネルギー」は、創造の光も発するし、
その光が他者からの賞賛ももたらすし、強烈なパワーももっている、ということ。
聖書の思想は多面的ですね。


                    

で、本日の聖句での「栄光」はそのうち主にどれを意味しているか?です。
本質は「いのちエネルギー」でしょうが、
ここでは主としてそれから派生する「栄誉・ほまれ」としていいのではないでしょうか。

イエスはその理由について「私のものを受けて諸君に知らせるから」といっています。
この「わたしのもの」はイエスの教えでありそれを含めた「言葉」です。
しかもそれは「意味がわかる状態での」言葉です。
意味がわからないんでは有り難みもありません。


                    

前回「(私の言葉を今は理解できなかろうが将来)聖霊が諸君を真理に導き入れてくれる」
とイエスは言っていましたよね。

理解できなければ、その場では忘れますよね。
だが聖霊は(私が語っているこの言葉を将来)「意味がわかる状態で諸君に思い出させる」
とイエスは言っている。
そのことを今回は「私のものを受けて諸君に知らせる」と言っているのでしょう。

すると、弟子たちはイエスの真価を初めて悟る。
「ああこの方は間違いなく創造主の子なのだ」と悟り、賞賛の気持ちを抱く。
こうして栄誉をイエスにもたらす、というのが「御霊は私の栄光を現すよ」の
意味だと解せます。 


                   



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Vol.274『 聖霊が真理に導いてくれるからね 』(16章12~3節)

2010年02月07日 | ヨハネ伝解読
みなさん更新が遅れてごめんなさい。
ヨハネ伝解読、次の節に進みます。
「最後の晩餐」での遺言、本日はイエスが聖霊の働きについて言い残しておくところです。

ページの右側上部に、文字サイズを変更できる機能を入れました。
「大」をクリックすると、文字が大きくなります。

BGMは相変わらずmariさんのこれを感謝して使わせていただきます。
http://aiai.hukinotou.com/

(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて
春平太チャーチを開くとBGMのある状態で読むことが出来ます)


                    

++++++++++++++++++++++++++
=聖句=
「諸君に話すことは私にはまだたくさんあるが、諸君は今それに耐える力がない。
だけど、その方、すなわち真理の御霊がくると、諸君を全ての真理に導き入れる。
御霊は自分から語りはしない。聞くままを話し、
また、やがて起きることを諸君に示すからだよ」
(ヨハネによる福音書、16章12~3節)
++++++++++++++++++++++++++
                   


真理の御霊とは創主から出た霊であるところの聖霊のことです。

聖霊は様々な働きをします。
弟子たちを助けたり、弟子たちに意識波動を送って真理を示したり、
弟子たちが宣教するとその教えが真理だとしるし(奇跡)でもって証明したりする。
その働きに応じて、イエスは「助け主」といったり、「証しの御霊」といったり
「真理の御霊」といったりいたします。

ここでは弟子たちに真理を悟らせてしまうので、「真理の御霊」といっています。

で、その聖霊は「自分から語るのではなく、聞くままを話す」という。
何を聞くかというと、イエスの言葉をです。
ところがそのイエスの言葉について、イエスは「自分から語っているのでなく、
父なる創造主から聞くままを語っている」と言っていますので、
つまるところは創造主の言葉を聖霊は聞くままに語っていることになります。


                    

<三位一体とは何か>

ここで、「父、子、聖霊が三位一体である」という提言の意味を考えておく必要が出ますね。
三位一体という言葉は、聖句ではありません。
聖書の中にこの言葉は使われていない。
聖句の相互関連を見つけ出し、その論理を浮上させる知的作業を神学と言います。
この言葉はその神学用語です。
聖句を見ていくと、父なる創造主とその子イエスと聖霊とは実質的には一体である、
という思想が読み取れるわけです。

それで一体という。
三位という場合の「位」は「位相(phese)」の位で、これはいろんな意味を持った
難しい言葉ですが、まあここでは「働き」と受け取っておいていいでしょう。

「一体」は思いの本質は同じであり、一つの身体をなしているようだということです。
それは上記の聖句にでていますね。
イエスは父の言葉を聞くままに語り、その言葉を聖霊も聞くままに語ると言うことですから、
「言葉・思い」においては三者は一つだと言うことです。


                    

では、それがどうして「三位」(働きに於いて三つ)なのかというと、それは次のように考えていいように思われます。


                    

<父なる創造主>

まず、父なる創造主の働き、これは世界の進行の全てをあらかじめ定めていることです。
聖書では世界がどうなる、こうなるということが示唆されていますが、
これはすでに創造主が定めたことだというのが基本思想です。

だから、「預言」というのが出てくる。
預言には、これから起きることに関する言葉もありますが、
その言葉は人間界で言う「予言」や予測ではない。
もうそうなることが決まっていることについて、創造主からメッセージがあり、
それを預言者という霊感の豊かな人が受信したものとなっています。

聖書に預言という概念があると言うことは
「もうそうなるとあらかじめ決定されていることがある」ことを意味しているのですね。


                    

<御子イエス>

では、その一人子イエスの働きはどうかというと、父が定めた計画をこの世で成し遂げることです。
成就してあげるのですね。これが父への愛でしょうか。
人の姿をとって世に来たのも、拷問を受けて十字架上で殺されるのも、
信じる人間が救われるようにするのも、
みな父の定めたことを成就し実現する仕事というのが聖書の基本思想なのです。


                    

<聖霊>

では、聖霊の働きはどうかというと、これは御子イエスの働きをこの世の人々の心に記録・保存することです。
そのために弟子も助けるし、その宣教が真理だと証明すべくしるし(奇跡)もあらわすし、
聞いた人々の心に意識波動を送ってそれが真理だという思いも形成する。

この世のものは、時が流れればすたれ、新しい時代の関心を引かなくなり忘れられていきます。
だが、イエスの言葉についてはそうならない。
それを意識に抱く人が年老いて死んでいっても、
聖霊がまた次の世代の一定の人間の意識にそれを真理だと確信させ、その心に保存させる。
こうしてイエスの言葉は、この世では、人間が続く限りその意識の中に保存されるという道理です。

父、子、聖霊の三者はこういう関係にあると見ていいでしょう。


                    

聖霊が「やがて起きることを諸君に示す」もそういう関係で理解できるでしょう。
聖霊が波動でもって意識に影響することには、創造主によって計画された「これから起きること」も含まれている。
だから「それも聖霊が示すよ」ということになります。


                    


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