イエス「最後の晩餐」での遺言、本日も聖霊の働きについて言い残しておくところです。
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=聖句=
「御霊は私の栄光を現すよ。私のものを受けて、諸君に知らせるからだ」
(16章14節)
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ここは「栄光(glory)」という語の意味が焦点です。
栄光にはいくつかの意味があります。
まず、光から。
われわれが目にするのは、この世界を明るく照らしてくれる光(light)です。
わたしたちは光とはそれだけのものだと思っていますが、聖書の思想ではそうではない。
いま述べた「世を照らしてくれる光」の実体は光子という素粒子です。
素粒子は物質で、物質は被造物。
つまり、この世を照らしている光は、被造の光です。
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聖書では、栄光というもう一つの光が存在することを伝えている。
それは第1に創造主から発する創造の光です。
創造主からは、「いのち」というエネルギーが放射されている、という思想を
これまで幾度かお話ししてきましたね。
このエネルギーが発する光もあるという。これが栄光の光。
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栄光の光はすさまじい速度を持っています。
被造の光は、1秒間に地球を七回り半しかできず、
太陽から地球に届くには18分でしたか、それくらいかかるそうですよね。
もっと遠くにある星に到達するには何千年、何万年とかかるそうです。
これが光年ですね。
宇宙は球体でいまも膨張中だといいますが、地球からこの宇宙の果てまで光子が至るには
750億光年かかるという推計もあります。
ところが栄光という創造の光は、宇宙の外の天国(天の創造主の王国)からでも
一瞬にして地球に到達します。
(地上での祈りはこの栄光の光で天の創主王国に運ばれると想像できます)
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栄光の光は肉眼には見えなくても、霊には見える光です。
身近なところでは、「あの人は明るいね」「暗いね」といいますね。
これは実は、その人の内の霊に充電されているいのちエネルギーが発する光を、
霊で感じて言っていると考えられる。。
そういう光を見ると、人の意識はそれを賞賛するように動きます。
仰ぎ見て誉め称える。
つまり、光を発する主体は栄誉を受けるわけです。
そこで、栄光は第2に「(それがもたらす)栄誉、名誉」という意味も派生します。
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もう一つあります。
これが第3で、パワー・力です。
いのちエネルギーは当然すさまじいパワーも持っていますから、やはりその意味も派生する。
要するに、創造主から放射されている「いのちエネルギー」は、創造の光も発するし、
その光が他者からの賞賛ももたらすし、強烈なパワーももっている、ということ。
聖書の思想は多面的ですね。
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で、本日の聖句での「栄光」はそのうち主にどれを意味しているか?です。
本質は「いのちエネルギー」でしょうが、
ここでは主としてそれから派生する「栄誉・ほまれ」としていいのではないでしょうか。
イエスはその理由について「私のものを受けて諸君に知らせるから」といっています。
この「わたしのもの」はイエスの教えでありそれを含めた「言葉」です。
しかもそれは「意味がわかる状態での」言葉です。
意味がわからないんでは有り難みもありません。
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前回「(私の言葉を今は理解できなかろうが将来)聖霊が諸君を真理に導き入れてくれる」
とイエスは言っていましたよね。
理解できなければ、その場では忘れますよね。
だが聖霊は(私が語っているこの言葉を将来)「意味がわかる状態で諸君に思い出させる」
とイエスは言っている。
そのことを今回は「私のものを受けて諸君に知らせる」と言っているのでしょう。
すると、弟子たちはイエスの真価を初めて悟る。
「ああこの方は間違いなく創造主の子なのだ」と悟り、賞賛の気持ちを抱く。
こうして栄誉をイエスにもたらす、というのが「御霊は私の栄光を現すよ」の
意味だと解せます。
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