鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<イエスの血と「いのち」の力>(8)『放射能時代への聖書的打開策』

2011年09月16日 | イエスの血の権能

  3ヶ月以上も「聖書の歴史観」のまま更新をしませんでした。
不思議なことが起きたからです。
以前には更新しないでいると、アクセスする人がどんどん減少していきました。
ところが「聖書の歴史観」では、アクセス数が減らないのです。

放射能問題が深刻で、歴史観によって気持ちが救われるからでしょうか。
聖書の知恵は、やはり、こういう現実の問題に効力を現すべきなのか、と思えてきました。

そこで今回もまた、現実問題への打開の知恵を述べてみます。
放射能というものへの、聖書的打開策を書いてみます。

話が長くなりますが、切れ切れにすると読みづらいと思い、
一気に掲載してしまいます。
読者の皆様の方で、疲れたら中断したり翌日に回したりして、お読みください。
間違いの指摘、コメント、感想、歓迎です。

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では始めます。

                    

<近代物理学の発見>

『創世記』の冒頭に出てくる創造主による「創造のわざ」は、従来「無から有を生じさせるわざ」と解されてきました。
 だが、近代物理学は、もう一つの理解も可能にしてくれます。
そこでは「エネルギーと物質は相互転換関係にある」ことが明かされました。

「物質はある状態になると、エネルギーに転化し、エネルギーもまた物質に転化しうる」というのがそれです。

 アインシュタインはその量的関係をも発見しました。
 E=MC2 がそれです(2は「Cの2乗」の2です。ソフトの都合で、Cの右上に小さくなってくれません)。
ここでEはエネルギー、Mは物質の質量(重さと考えていい)です。
そしてCは光の速度です。光速はこんなところにも関与してくるんですね。

  砕いていいますと、物質Mが全部エネルギーに転換すると、そのエネルギー量は、物質の質量に光の速度の二乗を掛けたものになる、という。

 この具体的なイメージはどうかというと、はたとえば1グラムの物質を全部エネルギーに転化させます。
するとそのエネルギーは地下からマグニチュード6の地震をおこせるほどの力だということです。
だとしたら、我々人間の身体は、どれほどのエネルギーに相当するのでしょうね。

 とにかく、エネルギーと物質が相互転換関係にあるだけでなく、こんな簡単な数量的関係にあったのですね。
驚きです。

                    

<聖書でのエネルギー概念>

 聖書での創造のわざも、この理論を援用すると新しく解釈できてきます。
創造主は「エネルギーを物質に転化させた」という風に理解するのです。
エネルギーは力でもありますから、目に見えません。だから「無」と考えることもありうるわけです。

 では、そのエネルギーとは聖書では何にあたるか。
聖書ではエネルギーに当たる概念は鹿嶋の見たところでは「いのち」しかありません。
そしてその「いのち」をエネルギーのような概念に解すると、聖書の多くの場所が論理的に解されてくる。
そういうことから鹿嶋はこれを敢えて「いのちエネルギー」と称してきました。
従来の鹿嶋の聖書本はすべてこれで通してきました。

 ただし春平太はこれまでの著書では、このエネルギーを「霊に充電されて霊を活性化する」という役割に主眼を置いて述べてきました。
今回は物質と相互転化する、物質に転化して物質を創るという面の役割に主眼を置いて考えています。
他にエネルギーの概念が聖書に見あたらない以上、いのちエネルギーにはそういう役割もあるとみることになるわけです。
 
 さてそうすると、『創世記』冒頭における創主(そうしゅ。つくりぬしとよんでもいい)の「創造のわざ」は
「いのちエネルギーを物質に転化させた」と筋立てることが出来ます。
もうすこし詳細にいうと、「創造主は自らイメージしたところにあわせて、いのちエネルギーを凝集させて、
物質に転化させた」ということになります。
「ひかりあれ!」の光も、光子(こうし)という素粒子(物質)であることが近代物理学では明らかになっています。
われわれは物質に当たって反射する光子を網膜で感知して物質を視覚(知覚)しています。
創造主はいのちエネルギーを光子という素粒子に転化させたということになります。

                    

<核分裂の聖書的理解>

 物理科学にもどります。近代物理学では核分裂でもって熱を作るというのは、
原子核を分裂させてその一部をエネルギーに転化させる、ということになります。
これを他の熱作成法と比較して非常にわかりやすく説明した文章があります。

    http://www.minusionwater.com/konoyo.htm

    (動画は http://www.minusionwater.com/slideshowyoutube.htm

~がそれです。
吉岡英介という物理学者の文章で、核発電とその他の発電の違いを、わかりやすく示しています。
京都大の小出裕章氏とならんで、本物の学者とはこういう方をいうのだと感銘をうけています。
誤解を恐れずにいえば日本には偽物の学者がとても多いです。でもこんな人もいるんですね。希望がもてます。
本物の学者は研究対象に関する全体観を明確にもっています。

 上記のアドレスにジャンプすればわかるのですが、この吉岡氏は、
従来の発電は、本質的に、蓄積された太陽エネルギーを放出させて使うものだといいます。
だから、原子そのものには何の変化も起こしていない。
これに対して、核発電は原子を分裂させてそこからでるエネルギーを使う方法だ。
だから原子そのものが変質してしまう。そしてこれがもとにもどるには何十万年もかかる。
人間にはこれに対処する能力はないのだと説明しています。

 もう少し具体的にのべるとこうなります。原子は普通では簡単に分裂することはありません。
けれども大きな原子核をもっているウラン(ウラニウム)のようなものは分裂しやすい。
これは陽子を92個と中性子を143個ももっています。
こういう重量の大きいものはもともと不安定なんでしょうかね、この原子に外から中性子をぶっつけてやると核は分裂します。
そういうことを人為的にやるのが原子爆弾と核発電です。分裂を急速に起こさせると爆弾になり、
緩やかに起こさせていくと原発用の熱エネルギーになるということです。

 このようにしてウランが分裂すると、セシウムとヨウ素になります。
分裂の際、中性子とエネルギーを放出します。放出した分だけ、質量は減っています。
中性子の分だけでなく、エネルギーに転化した物質の分も減っています。
分裂によって残ったセシウムとヨウ素と放出した中性子の質量を加えたものは、もとのウランより質量が減っているわけです。
そしてこのセシウムとヨウ素が放射性物質になっています。

 こういうものを一旦作り出してしまうと、もう何十万年も元に戻らず放射能を放出し続けることになります。
この放射能は無色透明、無味無臭、人間の五感には全く感知できないという不気味なものであります。
そしてそれは生き物の組織を破壊するのです。

                    

<聖書的意味での「完全」>

 これは聖書的にはどう解されうるでしょうか。
これにはまず被造物に関する「完全(whole)」という言葉、聖書にあるその思想を知らねばなりません。
聖書で言う被造物の「完全」状態は、創造主によって創られた状態をいいます。
人間は人間として完全なものとして創られた、犬も犬として完全に創られたという思想です。

人が病気になった状態は、それが完全でない状態と考えます。回復すると創造されたときの完全な状態に戻ったと考える。
たとえば「イエスが私にタッチして病を癒してくれた」ということを"Jesus touched me and made me whole"といいます。

 その思想で行くと原子も原子として完全なものとして創られた、ということになります。
その完全はそれ自体として存続できる状態であることをも意味しています。
聖書での被造物の「完全」とは基本的にはそういう概念です。

                    

<放射性物質の聖書的特質>

 そこでウランを核分裂させて出来たセシウムとヨウ素について考えてみます。
これらは分裂によって生じたもので、本来の完全な状態はウランです。
だがこれら二つを結合させてももとのウランには戻りません。分裂の際エネルギーと中性子を放出した結果、
もとのウランに戻るには少なくともエネルギーが不足になっているのです。

 これを聖書の、完全、不完全という概念に当てはめるとこういうこともいえます。
すなわちウランはエネルギーが人為的に強引に放出させられたことによって不完全状態になった。
そして被造物は創造された完全な姿に戻ろうとするのではないか、と。

そうであればセシウムもヨウ素も「いのちエネルギーを渇望する状態」になっていると考えられます。
これはまた「いのちエネルギーがマイナスになった状態」と考えることも出来ます。
両者共に完全に戻ろうとして常時いのちエネルギーを渇望するマイナス状態になっていると考えられるのです。

 そうするとこれらは接するもの、近づくものから「いのちエネルギー」を奪取しようとします。
もしも十分に吸収できるならば、いのちエネルギー不足から回復して安定的なエネルギー状態になれるでしょう。
ところがその欠乏状態は深淵で、吸収すれどもなかなか完全復帰は出来ない状態にある、と考えられるのです。

 そうなると「いのちエネルギー」を吸収される方はどうか。こちらは吸い取られていのち不足に陥っていきます。
生物の場合にはいのちエネルギー不足になれば、その身体を構成する物質は「まとまり力(一体性)」が希薄になって病気になります。

 さらに激しく吸い取られれば、身体を構成する物質はまとまりを大きく失ってバラバラになります。
この状態が日常いうところの「腐る」ということです。
腐るというのは、有機物が「まとまり(一体性、ユニティー)」を失って崩壊するということです。

 そしてこういう働きをする「不完全」物質が科学でいう放射性物質に対応していると考えられます。
科学でいう放射能とは、聖書的には「マイナスのいのちエネルギー」であり、「いのちエネルギー奪取力」ということになります。

                    

<放射性物質に類似の霊的存在>

 核分裂を起こさせるというのは、聖書的には完全なものとして創造された物質(原子)を不完全なものにするということになります。
これはある意味で創造主の創造のわざに反逆することでもあります。
 
 そしてこの人為的に作られた放射性物質と極めて似た性質を持った霊的存在が、聖書には登場します。
悪魔がそれです。これもまた無味、無臭、無色透明であります。

 

 

筆者は『誰もが聖書を読むために』(新潮選書)に「いのちエネルギー図」を示しました。
このブログにも以前引用しました。もういちど示しますと、図のようになります。

これは「霊のいのちエネルギー充電度」を総合的に示す図です。
聖書では、「いのちエネルギー」は霊に充電されるると霊に生命力を与える力、という思想になっています。
霊は「いのちエネルギーの充電式電池」のような存在でもあるわけです。

図の横軸は時間で、縦軸はいのちエネルギーの値です。横軸と交わったところがいのちエネルギーゼロの点です。
それより上がプラスのいのちエネルギー、下がマイナスのいのちエネルギーです。
どちらも最高値は100%で、上がプラス100%、下がマイナス100%です。
いのちのマイナスのエネルギーとは、すなわち「死のエネルギー」ですから、
下限の値は「死のエネルギー100%」ということでもあります。

 横軸の左の端は、「はじめのアダム」の霊の「いのちエネルギー充電度」を現しています。
アダムは当初は創造主に完全に意識を協和させていましたので、
創造主から放射されるいのちエネルギーを完全に充電し続けていて、その充電度は100%だったわけです。

 だが、愛しい妻のイブが悪魔にだまされて「知恵の実を食べるな」という命令に従わないで、
つまり、創造主から意識をそらして食べてしまって充電度が落ちてしまった。
そしてアダムはイブと同じように食べて自らの霊をも不完全充電にしてしまうのでした。

 以後、アダムの子孫が現代の人間ということに聖書ではなっています。
そして霊の資質は父親を通して遺伝するというのが聖書の思想です。
だから、その後の「一般人類」は不完全充電で、さらにアダムの霊の不完全度よりもっと落ちた状態に来ています。
それが図の横軸の中央あたりにある「人間」の状態です。

 さてサタン(悪魔)です。
彼は元々は天国で創造主の名を賛美する職務を与えられた天使だった。
天使は作られた霊、造霊です。だからやはりその霊はいのちエネルギー充電池の役割を果たしています。
ところが彼はあるとき、自分も創造主のようにその名を賛美される存在になりたいと望み、与えられた職務を放棄します。
そして自分の部下の天使に天国の一角で自分を賛美させます。

 これは強烈な行為です。アダムのように創造主から「意識をそらした」なんてものではない。
それをこえて創造主に「対抗」しています。そうなると充電度がゼロに向かって落ちていくなんてものでは収まりません。
ゼロを通りすぎてマイナスにまで行ってしまいます。
悪魔はもう完全に対抗しますので、そのエネルギーはマイナス100パーセントです。

 そして「いのちのマイナス」とはすなわち「死」でもありますよね。いのちの反対は死ですから。
だから悪魔は「死のエネルギー」を100%もっているといいうことにもなる。
これは「サタンは死の力を持つもの」という聖句(ヘブル人への手紙、2章14節)に符合しています。

 だからサタンは他者のいのちエネルギーを吸い取ろうとします。もう本性上、行動はそれのみとなります。
だから人間をただひたすら破壊しようとする。哀れみも何もありません。
 悪魔の配下にいて彼に従った天使も同じです。これは聖書では「天の諸々の悪霊」と記されています。
彼らもまた死のエネルギーをもっていて、他者のいのちエネルギーを吸い取ろうとします。
吸い取られれば人はいのちエネルギー不足に陥って、病気になっていきます。
これ、放射性物質と同じ性質です。

                    

<「この世のものでない」とは>

 そして放射能は、無味、無臭、無色透明で五感では感知できません。
松本道介というドイツ文学者は、上記の吉岡氏の理論を踏まえてと思われる論評で、放射能を「この世のものでない」と表現しているそうです。
まあ、これが聖書の論理体系を知らずに文学的感性でもっていえるところのめいっぱいでしょうね。
 
聖書ではそれは悪魔の性質となります。
聖書的には人間の肉体にとって、このサタンの働きは、放射性物質の働きに酷似しているのです。
放射性物質が増えていくというのは、霊的存在である悪魔と同じ性質ものが物質世界にも蔓延していくということでもあります。

もしかしたら、人間が核分裂を実施に移したのは、悪魔の誘導によるのかも知れません。
だとしたら脱原発の道は、人類にとって予想以上に険しい道になりそうです。


                    


<放射性物質への聖書的打開策>
 
 その放射性物質は福島原発によって、地球上に広範にまき散らされてしまいました。
偏西風によってハワイにもカリフォルニアにも到達し、米国でも放射線量の増加が測定されています。
いまや人間は放射能という、無味、無臭、無色透明な悪魔的な物質の中で暮らさざるを得なくなりました。
もう後戻りは出来ません。

 おまけに、事態の本質を理解できずに、いまもなお、核発電を続行しようとしている社会的有力者がたくさんいます。
世界でもダントツの地震国日本では、昨今地震の発生頻度が加速しています。
地震でなくともフランスで使用済み核燃料が爆発しました。
日本でまたどこかの核発電施設が爆発するかも知れません。
地震は人間の想定内か想定外かなど無視してやってきます。

 これに対する打開策は、科学にはありません。だが、聖書にはあるのです。「イエスの血」の力がそれです。


                    

<イエスの血といのちの川>

この「イエスの血の力」シリーズで鹿嶋は、イエスの血は「いのちエネルギーの凝縮体」と解してきました。
イエスは自らの身体からその血を、この地上で大量に流していきました。
 そしてこの「いのちの凝縮体」には、天の創造主王国においては「いのちの川」が対応していると解しました。
するとそこにはいのちエネルギーが地上からしたらほとんど無限に存在していることになります。

 ホワイト師は『イエスの血の力』(オアシスクリエイト刊)で、
人間が信頼を持ってイエスの血を乞い求めたら、それが降りてくるとも解釈できる事例をいろいろ記しています。
いのちエネルギーが大量に降下したところでは、放射性物質のもつ死のエネルギーは相殺、中和されてしまうはずです。

 チェルノブイリの危険地区の中で、放射能が全く測定されない地域がテレビで放映されました。

ベラルーシにあるブジシチェ村というところだという。村で湖の水を調べても、放射能は全く検出されないといいます。
そしてそこはイエス(創造主)信頼(信仰)が顕著に深いところだとも報道されています。

 これは聖書のいのちエネルギー論理によって説明が可能です。
不完全なる被造物(放射性物質)がいのちエネルギーを注がれることによって、
再び完全化され放射能を発しなくなっていると解せるのです。

 放射性物質は、10万年たってももとに還元されることはないといわれます。科学の知識ではそうなります。
だが、聖書には独自な対応策が読み取れるのです。

創造主信頼をベースにして、「イエスの血!」を乞い求めることがそれです。
これによって天の「いのちの川」からいのちエネルギーが降下すれば、物質は完全化し問題は解決するのです。

 それは個人の各々に対しても実現します。
愛するものが放射能による病に陥ったら、「イエスの血!(blood of JESUS !)」を連呼しましょう。

 地域全体の放射線量を下げようと思えば、その住民がみんなで「イエスの血!」を祈り求める。
信じる人も信じない人も、他に方法がないからそうするしかないのです。
 
 そして祈りが聞かれしるしが現れたら科学的には「奇跡」となり、聖書的には客観的な事実となるのです。

(完)

                    

 

 

 

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