鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

23<聖句主義者はなぜあんな離れ業が出来たか>

2013年12月13日 | 聖書と政治経済学




聖句主義者たちが人類史に成し遂げたことは、政治面だけを見ても驚異的である。
彼らは、表社会から圧迫される中で、独立革命を仕掛け、憲法設立を誘導し、そこに信教自由・言論自由の原則を挿入させた。

一体バイブリシストたちはどうしてこのような離れ業ができたか?

それはひとえに聖句という素材を選び、その吟味を自由小グループでし続けてきたことによる。
まず、聖句という素材の特性からみよう。




<想像力拡大効果>

聖句という素材は、イメージを巡らすべき対象範囲が驚異的に広い。

まず空間範囲を見よう。
その論及世界は霊界にまで及んでいる。
つまり、「物質界」と「霊界」の両方にわたる物語が事実として展開されている。
霊界とは見えない世界の総称である。だから両者を会わせた空間は人間が考えうる極大の空間範囲だ。
      
次に時間的カバー範囲をみよう。
聖句での物語の展開時間範囲は、無限の過去から無限の未来にまで及んでいる。

+++

聖書は「万物の創造神」が存在するとしている・・・この前提が聖書の広大な論及範囲を作り出している。

創造神に存在のはじめがあるならば、この方はそれ以前のものに対しては「オレが造った」とは言いがたいだろう。
だから、「万物の」創造神であるには、それは永遠無限の過去から存在してなければならない。
こう推論できるだけでなく、実際そのことを示す聖句も、聖書の中には収録されている。

同様なことは未来についても言える。
万物の創造神が、未来のある時点で存在しなくなるならば、彼はそれ以後のもについて「オレが造った」と言えない。
だから永遠無限の未来にまで存在することになるのだ。

このように、極限にまで広がった時間空間的舞台の中で聖書の物語は展開している。




<「旧約聖書」の物語世界>

今少し、具体的に見よう。
聖書は旧約聖書の部と新約聖書の部の二部からなっている。
「旧約聖書」の部は、預言者と呼ばれる超霊感者による、万物の創造神からのメッセージ受信記録集ということになっている。

(ところでこうしたことが事実かどうかは「経験科学的には」肯定も出来ないし、否定も出来ない。
だが、読み続ける人は実際上「事実」と期待して読む。
ここでは、その人々の立場にたって、「・・・ということになっている」といちいち言わないで、おおむね「・・・である」と記すことにする。
特に必要な場合には、「ということになっている」と記すことにする)




<モーセの著書>

最初の預言者著者はモーセである。旧約聖書の最初の5冊は彼が書いたとされていて、「モーセ五書」と呼ばれている。

彼が受信したメッセージは「彼の時代とそれ以前の昔」の歴史事項となっている。
特に、彼自身が生まれる前の出来事に関するメッセージを受信していることが、他の預言者にないユニークな点である。
その論及範囲は、この宇宙が創造され、そのなかにわれわれの住む地上世界が創造される様にまで及んでいる。

地上では、空、海、陸が創造され、そこに、植物、動物が創造され、人間もまた創造される様が記述されている。
また彼はイスラエル人の始祖であるアブラハムについても記しているが、この始祖は彼より500年も前に生まれた人である。
モーセは今から3500年前に生まれ、アブラハムは4000年前に生まれている。

(無限空間の中に、宇宙以前に天の創造主王国が創造される様は、他の預言者の受信メッセージの中に、奥義としてちりばめられている。
このように聖書全体としては、記述された事柄は無限の過去に及んでいる)




<モーセ後の預言者と「新約聖書」>

対照的にモーセ後の預言者は、将来の事柄に関するメッセージを受信している。
さらに新約聖書の『黙示録』では、被造界の終焉までの様に加えて、それ以後永遠に続く霊界(天国)の様子まで記されている。

だから聖書全体では、無限の過去から無限の未来にまでにわたって物語が展開されていることになる。

政治見識の育成には、個人の等身大世界を超えた空間に思いをはせられる能力の形成が必須である。
聖書の持つこの物語範囲は、人の想像世界を比類なく拡大する力を秘めている。

(素材特性の話は続く)








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22. <信教自由国家への総仕上げをする>

2013年12月03日 | 聖書と政治経済学




<大多数が反発する思想>

憲法が成立すると、バイブリシストは信教自由国家の総仕上げに向けて即座に動いた。
このステップは前の二つにもまして難関だった。
独立戦争に勝利をもたらすには十年にわたる思想宣伝活動、連合政府設立、武器収集と軍隊形成の準備が必要だった。
憲法確立を主導しアシストするにも驚異的なねばりとエネルギーが必要だった。

だがこれらのステップには「人心の一致を得る」苦労は少なかった。
独立のための戦となれば人民の心は奮い立つ。
憲法制定は、法文による規制への恐れがあったものの、基本的には必要だと多くの人々が思っていた。

ところが信教自由には政教分離が必須条件であり、これには国民の大半が否定的だった。
「信教を個人の自由などにしたら国家はバラバラになってしまう」
「人心の一致をうるには、定まった国定宗教は必須」
~この考えは当時、疑う余地のない常識だった。

だが聖句主義者はひるむことなく自由国家の実現に向けて動いた。




<マサチューセッツは強固な政教結合論者>

運動展開の主たる足場はバージニアだった。
独立革命を牽引した二大雄州の一つマサチューセッツは、こと政教分離に関しては助けにならなかった。

歴代アメリカ大統領のうち初代から5代までのうちの四人(ワシントン、ジェファーソン、マディソン、モンロー)が
バージニア州出身で、2代目だけがマサチューセッツ出のジョン・アダムスである。
彼は独立戦争の英雄で、総司令官ワシントンの副官として働き、ワシントンが大統領になったときには副大統領になっている。
アダムスはマサチューセッツ州の強力なリーダーだった。

この彼が以前より強固な公定宗教主義者だった。
彼は自らを宗教的自由の守護者としていたが、その自由は、「各州がおのおの自分の望む公定宗教をもてる自由」だった。
マサチューセッツは聖句主義者の説く信教自由についてはむしろブレーキになっていた。




< バージニア、憲法修正も主導>

バージニアは、孤軍奮闘で戦わねばならなかった。
だがバイブリシストが主導するようになってからのバージニア議会はやることが速くなっていた。
憲法案の批准が僅差でなると、州議会はその機に州の権利章典
(信教自由の項目を記した章典、ジョージ・メイソン起草)の採択もした。

同時に近い将来開かれるべき合衆国憲法修正会議を見込んで、「バージニア修正条項案」も作成・採択した。
彼らは後に連邦議会でこれを「権利章典のバージニア案」として提出し、憲法修正会議をも主導することになる。

全国のバプテスト聖句主義者たちはこの動きを援護射撃していた。
彼らは憲法修正を目指す全国キャンペーン活動を一斉に展開していた。
バージニアの聖句主義者はさらに加えて地域総会を開き、「新憲法の条項は信仰自由を守るに十分か」
~を大々的に議論した。

バプテスト聖句主義者は、今でいうロビイスト活動の走りもした。
彼らは代表団を首都に送って、新大統領ワシントンに働きかけた。
代表者たちは彼に直接会って「新憲法では政教分離がまだ不安定な状態にある」
「宗教に関する条項については、直ちに修正(アメンドメント)すべきである」などの見解を熱く説いた。





<独立戦争中にワシントンの聖句主義者イメージが一変>

この頃、ワシントンの心のなかで聖句主義者へのイメージ転換が起きていた。
独立戦争前には、バプテスト聖句主義者に対しては「自分勝手な無政府主義者」という一般通念があった。
ワシントンも、まあそんなものだろう、と思っていた。

だが独立戦争中の聖句主義者の行動は、植民地軍総司令官だった彼のイメージを揺るがした。
兵士を集めるために独立軍政府は、3年間兵士として戦ったら広大な農地を無償で与える、
というインセンティブを提示せねばならなかった。
だがバプテスト教会からは、そうした物的見返りを二の次とした志願兵がたくさん出た。
また彼ら聖句主義者の戦いぶりは、命知らずで群を抜いて勇敢だった。

兵士だけではなく、バプテスト聖句主義の従軍牧師も勇敢だった。
従軍牧師の仕事は戦地で日曜礼拝を導いたり、戦死した兵士の葬儀をとり行ったりすることであって、
彼らは通常軍医とともに戦線から後方に下がったテントで寝起きする。
ところが聖句主義教会から来た牧師らは兵士とともに最前線に寝泊まりし、
戦の最中には身の危険を顧みず前線に立って兵士を激励して回った。

戦の総司令官として彼らを見ている内に、ワシントンの聖句主義者イメージは
「自分勝手に行動する無政府主義者」から「信仰心の厚い愛国者」へと変わっていった。
180度の転換である。




<大統領ワシントン、政教分離支持に回る>

ワシントンは代表団を温かく迎え、話を信頼して聞いた。
またバプテスト教会の指導者を新政府の議員たちに、「彼らの話を聞くように」との助言を添えて紹介した。

1789年、バージニアバプテスト教会連合委員会はワシントンに一通の文書を提出した。
文書は、「新憲法では信教の自由は保護されていない」と訴えていた。

ワシントンは「たとえ一教派だけに対してでも、法文にその信教自由を危険にさらす可能性がある場合、
自分はそれに決してサインしない」と応じた。
また「今この時点でも政府が信仰自由を不安定にするようなことを見たら、直ちにそうした精神的暴政をさしとめる」とも約束した。
こうして大統領はバイブリシストの側に立った。




<信教自由案を説き続ける>

数週間後、憲法修正会議が開催された。バージニア議員団は下院で20条項からなる権利章典を提案抱いた。
バージニア州案である。それは政教分離の条項を含んでいた。

対して、国定宗教案も出た。
聖公会(英国国教会)、長老派、組合派それにバプテスト派を公定教派とし、
国民はそのうちの好きな教派を指定して教会税を支払うという案だった。

雄弁の天才パトリック・ヘンリーはこの案を強烈に支持し、聖公会、長老派、組合派はこの案を受け入れた。

一方バプテスト聖句主義者は反対した。
教会運営資金が、税という国家の強制力を使う手段でもって調達されることが、彼らには受け入れられなかった。

だがヘンリーの熱弁は有効で議会はこう着状態に陥った。
その時、ワシントンが動いたのだろうか、ヘンリーにバージニア州知事就任の辞令がおり、彼は議会を去った。

それでも政教分離の論理を理解できない議員は依然として多かった。
彼らは怒りと怒号を発しつつ国定宗教制を主張した。
対して聖句主義者は政教分離の必要を説き続けた。
結局は後者の熱情の方が深かったのだろうか、前者が根負けしたのだろうか、
ついにバージニア案を修正しようという意見が優勢になった。

バージニア案を修正して出来た10項目の連邦権利章典案が上院をも通過した。
そして1791年、全州の3分の2がそれを承認するに至った。

「政治が宗教に干渉するを許さない」~そういう原則を持った権利章典が修正条項として憲法に追加された。
ほとんど奇跡というしかない信教自由国家が人類史に誕生したのであった。





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