17章も最後となりました。
26節です。
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「そして、わたしはかれらにあなたの御名を知らせました。また、これからも悟らせます。
それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、
またわたしが彼らの中にいるためです」(17章26節)
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逐次言葉を追って解読を試みましょう。
「わたし(イエス)はかれら(弟子たち)にあなた(創造神)の名を知らせました」
この「あなたの名」が「イエス」だったことがこの17章の11節で示されました。
この節で「あなたがわたしにくださった名(イエス)」が「あなたの名」であったことが明かされています。
鹿嶋は「Vol.301~303」でそう解読しました。
そのことが、従来漠然としていた聖句のつながりを、大きく浮上させてくれます。
旧約聖書に登場している「エホバ」の名がどういういものだったかも明かしてくれます。
そしてこうした「名の奥義」は「ヨハネ伝」以外の書物には示されていません。
筆者はヨハネ伝の比類なきすばらしさの一つがここにあると思っています。
次です。
「また、これからも悟らせます」
イエスはこれからも折あるごとに、その認識を更新するといっている
~これが鹿嶋の解読です。
前回に述べたように、人間は忘れやすい生き物で、その記憶は薄れていきます。
イエスはこれを更新させるといっている。
どうやって?
イエスの名の権威で被造物がその命令に従う場面をつくることによってでしょう。
そうやって~
「ああ、この名が創造神の名だなのだなあ」と再認識させるのです。
次に行きます。
「それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあるためです」
「それは~のため」というのは聖書特有の表現です。現代流にいうと、
「その結果~が実現する」となるでしょう。
すると「かれらはイエスを創造神の名だと再認識する結果、
人間の愛とは違った創造神の愛をもまた心に呼び戻す」ということになります。
最後です。
「またわたしが彼らの中にいるためです」
これも同じ聖書的表現です。現代風にいうと~
「イエスの名が弟子たちの心の内に保たれることによって、
その名を持った創造神の御子もまた彼らの心に保持される」
~となるでしょうか。
こう確認するように父なる創造主に語りかけたところで、
ヨハネの記録したイエスの17章の祈りは終わっています。
奥義に満ちた、深い凄い祈りでした。
とても人間にはできそうにない祈りだと思います。