創造主に向かってイエスが語りかける(祈る)言葉が続きます。
本日の聖句はこれです。
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=聖句=
「わたしは、あなたが世から取り出して私に下さった人々に、あなたの御名を現わしました。
彼らはあなたのものだったのです。そしてあなたは彼らを私に下さいました。
彼らはあなたの御言葉を心に保ちました」(17章6節)
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この聖句も、詳細に吟味しておくべき点をいくつか含んでいます。
<予定説ではない>
まず、「あなたが世から取り出して」 の聖句。
これを見て「えっ?」とおもう人も少なくないでしょう。
創造主が「イエスの12弟子を世から取り出してイエスに与えた」ということは、
「創造主はみな選んで事をなされる」のか、と。
すると、救われるのも実は、創造主の選びによることになるのでは?ないか、と。
さらにそうすると聖書では救われるのは、「福音の言葉を信じる(信仰を持つ)ことによる」のですから、
信じる心を持つ、すなわち「信仰を持つ」のもあらかじめ選ばれた人がそうなるように決まっているのか、となります。
だったらこれは予定説だ。「予め創造主が救われることを予定した人だけが救われうる」という予定説だ。
宗教改革で有名なカルバンが唱えた予定説は正しいことになるんだ、と。
だがそうではない、と鹿嶋は解します。
12弟子たちは特別な職務を与えられるのです。
イエスが天に昇った後、イエスの教えを人々に伝道するという職務です。
職務は選びによります。パウロも選ばれてあの働きをさせられているのですね。
だが「救い」は創造主が選ばれるのではない。個々人がイエスの言葉に信頼をよせることによる。
信頼する可能性は全人類に開かれている、と鹿嶋は解しています。
<被造物は創造主のもの>
次は「彼らはあなたのものだったのです。そしてあなたは彼らを私に下さいました」です。
これはそう複雑ではないでしょう。
聖書の思想では12弟子に限らず、この世の存在物はみな基本的に創主のものです。
創主はそのなかから12人の男を選び出されたのです。
そしてこれを創主はイエスに与えられた。そういう理解をイエスはしているわけです。
<「創造主の名」は解読が必要>
さて
「(イエスが弟子たちに)あなたの御名を現した」は、衝撃的で思案すべきところの多い聖句です。
「創造主の御名をあらわす」の「現す」は「ニューアメリカンスタンダードバイブル」
(米国で最もギリシャ語聖書の原文に忠実とされている)
ではマニフェスト(manifest)となっています。
昨今、日本の政治記事でお馴染みのマニフェストです。
この語の意味は「明示する」と辞書に出ています。
だが、聖書には何処にも「創造主の名はこれこれだよ」とイエスが明示している場面はありません。
これはどういうことでしょうか。
ひとつには、こういう可能性もあります。
イエスは弟子たちに明示した。が同時に、これは他者には絶対に明示してはならない、といった、と。
だから聖書にも明示されていない。ヨハネもこれは敢えて書いていない、と。
屁理屈ではない。これは真面目にいって、ありうることだと鹿嶋はおもいます。
もう一つには、こういう可能性もあります。
manifestは「幽霊が目の前にでて来るように現れてくる」という意味も持っています。
これでいきますと、イエスは「創造主の名を当初からはっきりするように明示したのではなく、
幽霊がだんだん見えてくるようにした」というようにもなるのです。
いずれにせよ、創造主の名がなんであるかは解読せねばなりません。
ここではその覚悟を定めるまでとしておきましょう。
<心に保持する>
最後に、「彼らはあなたの御言葉を心に保ちました」です。
この「保ちました」は上記の英文聖書では、kept(keepの過去形)となっています。
すると「守りました」とも訳したくなります。
でも日本語の「ことばを守る」は、「ことばに行為が反しないようにする」
という意味が優勢になります。
けれども、ここはそうではない。
「ことばを弟子たちが心に保持する」という意味のほうが適合するでしょう。
本日の聖句はこれです。
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=聖句=
「わたしは、あなたが世から取り出して私に下さった人々に、あなたの御名を現わしました。
彼らはあなたのものだったのです。そしてあなたは彼らを私に下さいました。
彼らはあなたの御言葉を心に保ちました」(17章6節)
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この聖句も、詳細に吟味しておくべき点をいくつか含んでいます。
<予定説ではない>
まず、「あなたが世から取り出して」 の聖句。
これを見て「えっ?」とおもう人も少なくないでしょう。
創造主が「イエスの12弟子を世から取り出してイエスに与えた」ということは、
「創造主はみな選んで事をなされる」のか、と。
すると、救われるのも実は、創造主の選びによることになるのでは?ないか、と。
さらにそうすると聖書では救われるのは、「福音の言葉を信じる(信仰を持つ)ことによる」のですから、
信じる心を持つ、すなわち「信仰を持つ」のもあらかじめ選ばれた人がそうなるように決まっているのか、となります。
だったらこれは予定説だ。「予め創造主が救われることを予定した人だけが救われうる」という予定説だ。
宗教改革で有名なカルバンが唱えた予定説は正しいことになるんだ、と。
だがそうではない、と鹿嶋は解します。
12弟子たちは特別な職務を与えられるのです。
イエスが天に昇った後、イエスの教えを人々に伝道するという職務です。
職務は選びによります。パウロも選ばれてあの働きをさせられているのですね。
だが「救い」は創造主が選ばれるのではない。個々人がイエスの言葉に信頼をよせることによる。
信頼する可能性は全人類に開かれている、と鹿嶋は解しています。
<被造物は創造主のもの>
次は「彼らはあなたのものだったのです。そしてあなたは彼らを私に下さいました」です。
これはそう複雑ではないでしょう。
聖書の思想では12弟子に限らず、この世の存在物はみな基本的に創主のものです。
創主はそのなかから12人の男を選び出されたのです。
そしてこれを創主はイエスに与えられた。そういう理解をイエスはしているわけです。
<「創造主の名」は解読が必要>
さて
「(イエスが弟子たちに)あなたの御名を現した」は、衝撃的で思案すべきところの多い聖句です。
「創造主の御名をあらわす」の「現す」は「ニューアメリカンスタンダードバイブル」
(米国で最もギリシャ語聖書の原文に忠実とされている)
ではマニフェスト(manifest)となっています。
昨今、日本の政治記事でお馴染みのマニフェストです。
この語の意味は「明示する」と辞書に出ています。
だが、聖書には何処にも「創造主の名はこれこれだよ」とイエスが明示している場面はありません。
これはどういうことでしょうか。
ひとつには、こういう可能性もあります。
イエスは弟子たちに明示した。が同時に、これは他者には絶対に明示してはならない、といった、と。
だから聖書にも明示されていない。ヨハネもこれは敢えて書いていない、と。
屁理屈ではない。これは真面目にいって、ありうることだと鹿嶋はおもいます。
もう一つには、こういう可能性もあります。
manifestは「幽霊が目の前にでて来るように現れてくる」という意味も持っています。
これでいきますと、イエスは「創造主の名を当初からはっきりするように明示したのではなく、
幽霊がだんだん見えてくるようにした」というようにもなるのです。
いずれにせよ、創造主の名がなんであるかは解読せねばなりません。
ここではその覚悟を定めるまでとしておきましょう。
<心に保持する>
最後に、「彼らはあなたの御言葉を心に保ちました」です。
この「保ちました」は上記の英文聖書では、kept(keepの過去形)となっています。
すると「守りました」とも訳したくなります。
でも日本語の「ことばを守る」は、「ことばに行為が反しないようにする」
という意味が優勢になります。
けれども、ここはそうではない。
「ことばを弟子たちが心に保持する」という意味のほうが適合するでしょう。