鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

キリスト教活動の分水嶺

2004年12月18日 | キリスト教活動の歴史
 前回、イエスが提供したメージ世界は、「永続がある」という世界だと言いました。
そしてそれは純イメージワールドだと申しました。それは霊的な世界であって、物理的イメージ世界ではありません。
物理的イメージ世界とは、物的なものが我々の目の網膜に映る物的なものを基盤に形成されるイメージワールドでした。

 純イメージ世界には、そういう基盤はないです。
だから、そのままであれば、物理的イメージ世界に、そのリアリティ感においては勝てないことになります。
だが、勝てないのでは人の心の内に信仰(信頼心)は形成されません。
イエスの教えが普及するには、何らかの形でのリアリティ感形成がなされねばなりませんでした。

 奇跡は、それを増す第一の要素でした。
イエスや弟子たちがみせた、しるしと不思議(奇跡)はそのために大きな役割を果たしました。
これは創主の臨在感(God's presence)を強烈に造るわけです。それが教えに強いリアリティ感を与えるのです。


               

<イメージ世界の豊かさと体系性が源>

 しかし、臨在感は、しるしだけによれば短期間に消えていくものです。
一種のセンセーションは巻き起こしますが、その場限りのものになる。
やはり、言葉によって形成される理論がイメージとして意識の中にあって、
それのリアリティ感がしるしと不思議によって増す、という形にならないと感動も持続しないわけです。

 この理論的なイメージ世界の豊かさ、体系性が第二の要素です。
そしてこれが深く存在しますと、それ自体が人の心の中でリアリティ感を形成します。
純イメージ世界のもつこの性格と力は、
キリスト教活動の歴史を正確に知るためにはよく認識しておく必要があります。

 具体的にはこんなことです。
 聖書の言葉、とりわけイエスの言葉を深く理解し、その奥義を悟ると、
自らの心の内に、「これは真理だ・・・」という感慨がわいてきます。
そして、その状態が進むと、当人にもしるしと不思議の力が現れるようです。

 イエスの弟子たち、さらにその弟子の一定の人たちにも、こうしてしるしの力が現れました。
それが次々に続いていきました。こうして、福音伝道を進める強烈なパワーが存在し続けました。

 ですから、イエスは別としまして、その弟子となる人々にとっては、今述べた二つの要素は、
順番を逆に考えた方がいいかも知れませんね。
つまり、まず、聖書の言葉を学び、イエスの教えを深く(霊的に)学んでいきます。

 すると、自己の内にそのリアリティ感も増していく。信頼心が深まっていきます。
すると、ある時点でしるしと不思議の力も現れてしまう、という道理です。

               


<霊といのちの言葉、声だけの言葉> 

 どうしてそんなことが起きるか。春平太にもその物理学的説明は出来ません。
ただ、イエスの言葉に、それを示唆するものがあります。

 「私の言葉は霊であり、また、いのちです」

 がそれです。

 なんだか、わけのわからない話なようですが、こう考えると、少しは輪郭が浮かび上がるかと思います。

 イエスが働きを開始する直前に、それを預言する人が出ます。
バプテスマのヨハネ(ヨハネ伝の著者、ヨハネとは別の人)といいます。
彼が自らを語った言葉として「私は荒野で呼ばわる声である」というのがあります。

これにはバックグラウンドがあります。彼は自ら新しい教えを提唱して、大きな教団が出来ていました。
いわば、ヨハネ教団。ユダヤの伝統的な国家宗教であるユダヤ教としては、これは無視できません。
それで、ヨハネに使いを送って「あなたは何者ですか?」と尋ねさせています。

 上記は、それに対するヨハネの答えです。
彼は、自分の後に来る人こそ真の救い主、ということを霊感でキャッチしています。
だから、この答えには、その方と比較して「自分は大したものでないよ」というニュアンスがあるのです。

 言ってみれば、「私の言葉は声に過ぎない」というニュアンスですね。これはどういうことか。
人間の言葉というのは、声に過ぎないものなのです。
つまり、声帯を震わせて振動させ、それが空気を振るわせて人の鼓膜に伝わっていく。そして、消えていく。

 それだけのものですよね。それが霊という一つの実体を含めていたり、
さらにその霊がいのちというエネルギー(聖書での“いのち”といいうのは、
物理学で言えばエネルギーのような概念です)を含めていたり、ということはありません。

 “バプテスマのヨハネ”のこの不思議な言葉は、それを言っていると解することが出来ます。
それすなわち、イエスの口から出る言葉が、特異なものであることを示しているわけですね。

 「私の言葉は霊であり、また、いのち」というイエスの聖句は、それを言っています。
そして、実際にこの言葉を深く解し、自らの霊におさめ吸収した人を通じては、
イエスがなしたような癒しのパワーが現れているのです。

               


<聖句主義 VS 教理主義>  

 さて、深く心に悟る、というのはリアリティ感が深くないと不可能なことです。
そして、そのリアリティ感は、聖書にある言葉(聖句)そのものにタッチしてであることが、必須条件です。

 それを裏から言えば、誰かが要約したもの、ダイジェスト版を読んでではない、ということですね。
アウグスティヌスやトマス・アクィナスが解説した言葉ではない。
ルターやカルヴァンが講ずるイエスの教えではない、ということですね。

 これらは、空気を振るわしては消えていく「声」に過ぎません。

 聖書の言葉そのものを、聖句(Bible verse)といいます。
 それを解釈し、自分なりに要約したものを教理(Creed)といいます。
通常、神学者がこれを造ります。ルターもカルヴァンも神学者です。

 この聖句に、別格の権威、最終的な権威を自覚的におく生き方を、聖句主義(Biblicism)といいます。
 自覚的であろうと、無自覚であろうと、教理の方に最大の権威をおいていく行き方を教理主義(Creedalism)といいます。

 これがキリスト教活動の歴史を把握するためのキーワードです。
これなくして、歴史の本質的把握は出来ません。

                


<リアリティ感を深めるのは聖句> 

 イエスの教えへの信頼心(信仰)を深めるには、聖句主義でないといけません。
信頼心形成の要因は、リアリティ感でしたよね。聖句主義でないとこれが深まっていかないからです。
教理主義ですと信仰感覚の深化が途中で滞ってしまいます。

 鹿嶋春平太は、今、米国ジョージア州の都市アトランタに車で2時間半ほどのところに住んでいます。
アトランタは小説『風と共に去りぬ』の舞台になった都市であり、
著者マーガレット・ミッチェルが居住した土地でもあります。

 ここにマーガレット・ミッチェル・ハウスという小さな博物館があります。
各部屋がアパート風に貸し出されていた一戸の邸宅が館になっています。
彼女がそこで大作の70%を書いたという部屋や家具、調度品が展示されています。

 夫婦ですんでいました。小さな部屋です。しかし、そこにいると、不思議な臨場感がわいてきます。
表庭の木々を通して、当時のアトランタ最大の繁華街通りだったピーチツリーストリートが見えます。

 彼女は、夫とよくそこを散歩しました。
歩くとまた臨場感が高まります。臨場感、すなわちリアリティ感です。

 予想を遙かに下回る、小さな展示館です。でもって、入場料は予想以上に高い。でも、人々が訪れています。
海外からも来ています。何故来るのか。リアリティ感を得るためでしょう。

 出口近くに、土産物店があります。大冊「風と共に去りぬ」の原書がたくさん陳列してあります。
小さなダイジェスト版も少しあります。ストーリーの要約版です。これがあるのに、どうして人々は原書を買うか。

 背景や細部が多様に書いてあるからでしょう。それによって臨場感が得られるからでしょう。
映画はそれを急上昇させる画期的発明でした。

 聖書は、この原書に当たります。
そして、教理というのは、小さな小冊子になっている「アウクスブルク信仰告白」とか「カルヴァン信条」といった本です。
これはダイジェスト版です。ダイジェスト版では、筋はわかりますが、臨場感、リアリティは得られないのです。


               


<信頼心(信仰)を維持するには>

 ですから信頼心を限りなく深めて行くには、聖書に直接タッチすることが必須です。
また、深めるだけでなく、その信頼感を維持するにも、該当する聖句を繰り返し読むことが鍵です。

 信頼の対象になる世界は、以前に述べてきたところの「純イメージ世界」です。
これは「物理的イメージ世界」のような、網膜に映じてくる物理的な認識対象をもたないイメージの世界です。

 人の記憶は薄れていきます。純イメージ世界も、人の意識の中で時とともに薄れていきます。
それは、物理的イメージ世界のように、物的世界から視覚を通して補強されるということが、ありません。
言葉だけが補強剤です。

 だから、周期的に該当聖句を読んでいないと、イメージが薄れます。
イメージ世界が薄れたら、それへの信頼感(信仰)は、薄れて行かざるを得ません。

 聖書のその箇所を繰り返し、繰り返し、読むことです。
ここでの春平太の解説は、その解釈を妥当な範囲からそれていかないようにと願って書いた、外枠のようなものです。
これも、周期的に反復して目に触れさせつつ、聖句を読むことです。

               


<聖句主義の弱点>

 本筋に戻ります。

 ところが、聖句主義には教会(信徒の群れ)を管理運営する上での弱さもあるのです。
聖句というのは、実に深く、多面的なつながりを持っています。
すると、その解読、解釈は人によって別れがちになります。

 それが細部において生じるのは、むしろ好ましい面もあります。
しかし、基底的なところ、たとえば「イエスは創主の子か人間の子孫か」といったところで分かれると、
もう、ともに信仰心活動が出来なくなっていきます。

 「イエスは創主の子」、というのは、聖書論理の全体系の基盤になっております。
そのあたりの解読が別になると、もうその人の頭の中にある聖書の論理体系は、全然別のものになる。
この両者がイエスへの信頼(信仰)活動をともにしていくのは実際問題として、不可能です。

だが、聖書というのは、実に多様多面的で、深淵・広大な意味世界を持っています。
上記のような、対極的とも言える解読を、ともに可能にするのです。
恐ろしく懐が深いと言ったらいいでしょうか。

 これが大規模な教会の活動を組織的に運営しよう、という人にとっては、悩みの種となります。
そこで、大教会組織の運営管理者の目には、教理主義が大きな魅力となって映ってくるのです。

 もちろん、信頼心を成熟させて行くには、聖句主義の方がいいに決まっています。
こちらはリアリティ感をどんどん深くしていくことが出来ますから。
ですから、キリスト教活動では、はじめはみんな聖句主義でした。

               


<教理主義教団の台頭>

 けれども、教会(信徒の群れ)が大きくなりますと、社会的にも国家的にもその動向が無視できないものとなります。
世の中がほおっておかなくなるんですね。ローマ時代の欧州では、ローマ帝国政府です。

 これがなにかと関係を求めてきます。もちろん、その中には、迫害という関係もありますが。

 これに応じるには、教団の方を組織化し、統率していきたくなる。
それには、各々に自由な聖書解読をさせておかないようにしたい。これを基準にして指導者の権限も強化したくなる。
これがキリスト教活動の方法を分ける分水嶺を形成します。

 歴史の中では、キリスト教活動が始まって1世紀もすると、すでにこの動向が現れました。
そして、こちらの道をたどり、強大な権力教団となったのがカトリック教団でした。

 カトリック教団は、多くの信徒を吸収しました。
だがその一方で、初代教会以来の聖書主義を捨てきれない人々も沢山いました。
キリスト教活動の歴史は、この二つの集団の関係を縦糸にして展開していくのです。
のみならず、欧州史ひいては世界史もこれを縦糸に織りなしている部分が多いです。

               


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Vol.28『過越の祭に都で宣教開始』(2章)

2004年12月14日 | ヨハネ伝解読
 カペナウムの教会堂で教えた後に、イエスはいよいよ都・エルサレムに上り宣教を行います。時は「過越(すぎこし)の祭り」が近くです。

 過越(Passover)というのは、「通り過ぎる」と言うことです。
 旧約聖書(「出エジプト記」)によりますと、イエスの時代より1500年も前の昔、イスラエルの民は、エジプトで奴隷として暮らしていたことがありました。それをモーセが、今のイスラエルの地(カナン)に連れ戻すわけです。有名な「出エジプト」の話ですね。

 このエジプトでの奴隷時代、ある時創主はモーセにこう言われます。わたしはエジプト中のすべての初子のところに行ってそれを殺す。人の初子から家畜の初子に至るまで、すべて殺す。しかし、一歳の雄子羊を屠り(殺し)その血をかもいと門柱に塗った家は「過ぎ越す」(つまり、家に入って初子を殺すことはしない)、と。

 イスラエル人は、それに従いました。そうしたら、エジプト中に初子が死んで泣きわめく声が満ちたとき、彼らの初子だけは死を免れました。

 この時、創主はまた、代々守るべき永遠のおきてとして、この日にこれを祝え、と命じます。イエスの時代になってもユダヤ教では、これに従って、毎年過ぎ越の祭りを祝っていたわけです。

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 祭りは、首都エルサレムの神殿で大々的に行われます。神殿の前は、大きな広場になっている。広場の周囲は、太く高い柱が並んだ回廊(廊下)で囲まれています。そこに全国から人々がお参りに(祈り、礼拝しに)来るのです。

 ガリラヤ地方で宣教を開始していたイエスは、この年、一団を引き連れてここに向かいます。いよいよ国の中心地、都で宣教しようというわけです。
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Vol. 27『母、兄弟、最初からイエス教団に(2章)』

2004年12月14日 | ヨハネ伝解読
 カナでの結婚式に出た後に、イエスはカペナウムという町に向かいます。この町は、ガリラヤ湖の北の端の西にある沿岸、地図で言えば上方の左側の沿岸にあります。

 カナの結婚式で最初の奇跡を見せてしまったその時点で、イエスは本格的な宣教の火蓋を切ったようです。他の福音書では、イエスがこの町のシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)で説教し、悪霊を追い出して病を癒した状況が記されています。

 つまり、カペナウム行きは、イエスの宣教旅行ですね。教えてしるし(奇跡)をみせているのですから。

 また、この時イエスは独りではない。すでに一団を引き連れて動いています。彼らは「幾日かとどまった」ともヨハネは記しています(2章12節)。ということはイエス教団はすでに成立している、とみていいでしょう。

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 さらにこの時イエスは「その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に」カペナウムの町に下った、とヨハネは記しています。(この移動は、南の方にある都エルサレムから遠ざかるのですから「下る」といっていいでしょう。)

  彼の母マリアも、兄弟も、結婚式に出た後ナザレに帰ってはいないのです。このように、イエスの宣教旅行に、親兄弟もが加わっていたということは、イエスの魅力が尋常でなかったことを示唆しています。

 人間には、幼いときから知っている者、身近な者を、自分たちと違う、別格の存在として認めることはなかなか出来ないものです。イエスはそれを「預言者は故郷で受け入れられず」といっています。

 しかし、母、兄弟は加わっていたのです。ただし、イエスが、カペナウムの教会堂で教え、病人を癒したということについては、ヨハネは記しておりません。「他のひとが記したことはなるべく書かないように」という彼のスタンスがそうさせているのでしょうか。
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Vol.26『イエス、まず奇跡を見せないで宣教(2章)』

2004年12月12日 | ヨハネ伝解読
 2章の第二回目です。
 ヨハネは、イエスがカナで行った奇跡、水をワインに変えるという技を、

「イエスの行った最初の奇跡」

    と記しています。ここでも、脇を固め、直接見聞して書いている側近としての面目躍如です。「最初の奇跡」というのは、イエスの宣教活動の出発点からそこまで、ぴったりと付いていてこそ言えることですからね。

 その記述によって我々は、「それまではイエスは、言葉で教えるだけでもって宣教していた」、ということをも知り得ます。弟子たちは、イエスの「理論を聞いて」心酔してついてくるようになっていたのですね。これは、重要なことです。彼らは理性で納得して入門したのです。

 イエスは、あえて、奇跡を示さなかった。
 まあ、ナサニエルには軽くカウンターのジャブをかませましたけれど、そんなのはこれから行っていくことから見たら、奇跡の内に入りません。

 奇跡をみたということでもってついてくる場合、人々は理屈抜きでついてくることになる。好奇心とか、とにかく力がある人がから、とかいうことで。「だから、まあ言ってることも正しいだろう」とか、そんな程度で人はついてくるようになる。

イエスはそれを知っておりました。だから、当初は奇跡を見せなかった。そう思われます。

      @      @     @

  とはいえ、奇跡は大切な役割を持っています。イエスはカナで、最初の奇跡を見せました。それをみて「弟子たちはイエスを信じた」と、ヨハネは記しています。

 もちろん、弟子たちは、イエスの教えに目を見張りました。聞くごとに目から鱗が落ちていった。けれども、それを「真理だと信じる信仰の深さ」となると、まだまだいまひとつだったのでしょう。

 奇跡というのは、信仰を深めるのに決定的な役割を演じるようです。ひとことでいえば、それは創主の「臨在感」比類なく高めるのですね。

 現代でも、宣教者たらんとする人、すでに宣教者となっている人、これらの人は「しるし」の力を求めるべきではないでしょうか。大まじめで。

 しるし無しで伝道していますと、どうしても「信じてくださいよ」と乞うような調子になりがちです。堂々と宣教できにくくなります。これはもう、しょうがないですね。世の中そういうものですから。

 結果はいいです。生涯、ひたすら求めて求める。そういう本気の伝道姿勢が、人々の心を打つのではないでしょうか。
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永続への確信がもららすもの

2004年12月11日 | 春平太チャペル
<今週の賛美歌>

「我に来たれ」
リバイバル聖歌、194番

クリックすると、曲が流れます。

<今週の説教>

 (聖句)
「御子(創主の)を信じるものは、永遠のいのちを持ちます」
           (ヨハネ伝、3章36節)



+++++++++++++++


 「クリスチャンになるといいことあるのか?」聞かれることがあります。
たくさんあります。

<世俗環境的なメリット>

 まずこの世での環境的な面からみてみましょう。
 外面的なメリットといってもいいでしょうが、いろいろあります。

 今や聖書文化圏は世界最大です。この圏の人口が世界の33%。ダントツです。二位はイスラム圏で、20%、三位がヒンズー教圏で13%です。仏教圏は6%で世界三大宗教と仏教が言われることから想像できるよりも、意外に少ないです。

 のみならずキリスト教圏の国家は、世界の指導的な位置を占めています。科学、芸術、政治、経済など様々な分野での世界的な指導者も、この文化圏の人が圧倒的に多いです。

 クリスチャンになるということは、イエスの教え(言葉)への信頼を抱いている人々のネットワークの仲間に加わると言うことです。信仰者は、教会や小グループを核にしたネットワークを形成しています。それが、その人のために行動し、助けをもたらしてくれるようになります。

 これがいかに強力で有り難いか、は欧米諸国に住んでみると如実にわかります。特に米国では、ある外国人がクリスチャンとわかると、姿勢ががらりと変わります。米国人は個人主義で冷たいという声がありますが、教会で交わりますと別世界です。山本周五郎描くところの、江戸の下町人情顔負けの親密さが体験できます。

 これが私生活、仕事の両面にわたって、いかに有り難いか。クリスチャン人口1%以下という特殊な国の民、日本人にはほとんど知られていませんが、もう、大変なものです。99%はそれを知らないから、「まあ、米国人は冷たいしこんなもの」と思っていますが、それは文字通り知らないだけです。

<精神的・霊的利点>

 けれども、環境的な利点というのは、当人の精神的、内的な変化とは別のものです。それらは、考えてみれば、お金持ちになってもかなりカバーできそうなものです。

 富をつかんで豊かな暮らしをし、人に振る舞っていれば、人はよってきます。進んで交わりを持ってくれ、助けてくれ、親切にもしてくれます。「世」とはそういうものです。

 だが、そういう金銭では、代行させられがたい利点も、クリスチャンになると出てきます。それは個人の意識の内部で起きる、精神的(霊的)利点と言っていいものです。

<死の奴隷>

 その第一は、自己が永続するという観念を持ち、かつそれに深いリアリティを感じられるようになる、ということです。これは、根底的な得点です。

 前回の説教で述べましたが、人は、自然なままですと、目に入ってくる物理的なものだけから、世界に関するイメージを描くようになっていきます。物理的なイメージの世界では、すべてが変化し、消滅していきます。そこで、「世界のものは全て無常だ」という存在感を抱くことになります。

 人間についても同じです。「人間死んでおしまい」という意識を年齢とともに蓄積していきます。そういう意識は、意外に早く、5歳くらいの幼児期に、すでに漠然と芽生えているようです。

 そういう存在観をいだいていますと、将来についてどんなビジョンを描いても、「けれども、どうせ死んだらおしまい」という意識が一方から働きかけてきます。それが将来のビジョンをくじきます。

 だから、人間、心の底から本気でビジョンを描くことが出来ません。いうなれば、将来のビジョンは一応描いては見ますけれども、実際には、へっぴり腰のビジョンにしかならない。それが人間心理の実情です。   

 この状態を、イエスは「死の奴隷」と教えています。正確には「罪の奴隷」ですが、聖書では「罪の報酬(結果として与えられるもの)は死」という公式があります。詳しくはここでは説明できませんが、結論的に言うと、「罪の奴隷」はすなわち、「死の奴隷」でもあります。

 具体的には何といっているか。「死」んでおしまい、という観念に鎖でつながれて、なにごとをも真の希望を持って出来ない、そういう人生しか送れない状態ですね。奴隷は鎖でつながれています。

 ところが、イエスは、永続する世界があると教えます。そして人間も、死んでおしまいではなく、その霊が永続する、と教える。

 クリスチャンになるとこのイメージが、徐々に強くなっていきます。前回の説教で述べましたように、このイメージのリアリティ観はバプテスマを受けるのを契機に、急に上昇し始めます。

<心底意識が一転する>

 従来、無常観しかなかった心の根底に、この永続意識が種のように出来、成長し始めますと、人の意識はガラリ一転します。心の仕組み変化します。

 春平太は、「キリスト教活動の歴史」のカテゴリーで、永続意識は、「純イメージ世界」の意識だと申しました。物理的存在が網膜に移って、それから出来るイメージ世界を「物理的イメージ世界」といいました。この後者とは違うイメージ世界という意味ですね。

 永続意識は、この「純イメージ世界」意識に属するものです。人はこれを通常「夢」といっていますね。現実の物的世界に裏付けられていない点をさして、夢というわけです。

 ところがこの夢がリアリティを持ってくる、そのリアリティ感がバプテスマを受けると、一段と上昇します。

 さらにこのリアリティ感は、たとえば、ディズニーランドのような、よくできた「純イメージ世界」に身を置くと、さらに一段と上昇します。そしていったん上昇するとその状態で、レベルが下がりません。

 そして、それが時とともに大きくなっていく。これがクリスチャンの意識の特徴です。

<未信頼者の心理構造>

 この特徴は、無常観だけが意識の底にある人と比べると、明確に浮かび上がってきます。無常感者は、物理的イメージ世界の意識、「人生いずれ終わる、死んでおしまい」という意識に、自己の潜在意識を蝕まれています。自覚はできませんが、そうなっているのです。

 ところが彼も、ディズニーランドのような、大がかりな純イメージ世界に身を置くと、物理的イメージ世界から一時的に解放されます。「死んでおしまい」を放念できる。忘れる。そういう形で一時的に、永続感を得て、永続への願望が満たされます。そして元気になります。

 だが、その永続意識は、楽園を出ると、また、希薄化を開始するのです。無常観に向かって低下していく。これが無常観者の心理状況です。アップダウンの繰り返し。

<対照は年齢とともに表面化>  

 両者の状況は内的、心理的なものです。だから、最初は外側からは同じように見えます。しかし、内部は今述べたように、対照的です。

 若い人については、外部者からはその差がわかりにくいものです。しかし、永続世界のイメージがある人には意識の根底に希望の火があります。永遠の希望の火。これが年齢とともに、大きくなってきます。すると、顔を見ただけでその明るさが感知できるようになるのです。

 対照的に、無常観だけの人には、根底のところに望みのなさの影があります。これも年齢とともに大きくなってきます。若いうちは、肉体に力があり、皮膚に張りがありますから表面に現れにくいです。

 しかし、歳とともに「死んでおしまい」の意識が効いてきます。老年になると、その影がとても大きくなります。心の底が死への不安と失望の影でしめられるようになります。それが身体の表面にも現れてきます。

<低意義感症候群>

 この対象を考えると、永続への確信の種をもつということが、いかに大きなことかがわかってきます。

 人間の内にある「どうせ死んでおしまい」という意識は、実に様々な症候をもたらしています。様々ですから症候群といってもいいです。

 その大きな一つは、自分の存在に対する「低意義感」とでも言うものです。
意義とは価値と言い換えてもいいですから、「低価値感」でもいいでしょう。

 これは、日本で日常いうところの、劣等感があるとか、自尊心が低いとかいう言葉が意味するところと、重なったところがあります。でも、よく考えてみると、劣等感というのは、まだある価値を認めている心理状態ですね。その価値を物差しにして計ると、自分は他人より劣等であるのではないか、という意識です。

 つまり、これあまだ、なにか価値のあるものを認めている、という状態ですよね。対して、春平太が「低意義感」とか「低価値感」というのは、もっと根底的です。ものごと全てに積極的な意義が感じられない状態なのです。

 そのものごとの内の一つが自分であり、自分の人生であります。だから、それには自己に対する「低意義感」も症状として含まれている訳です。自尊心の低さも、「自分という存在に積極的な意義・価値を感じられない」ということから生じる症状の一つですよね。これらの症状の源、ルーツは低価値感なのです。

 病をより正確につかむには、表に結果として表れた症状でなく、その原因をつかむべきですよね。その意味で、自尊心の弱さは低意義感・低価値観として捉えるべきものです。

<実体は「恐怖」の奴隷>

 人間は意識の根底のところでみんな、自己への低意義感に苦しめられてこの世を生きているのです。
「みんな死んでおしまいなんだなあ」という自覚が、「自分も詰まるところは存在意義はない」
という意識を派生しています。

 しかし、我々は、社会の中で、まあ、なんとか一時的な意義・価値を自分にくっつけています。詰まるところはこれは、自分をごまかしているわけですが、とにかく、そうしてなんとか生き甲斐を得ています。

 ですから、主観的な意識としては、無意義ではありません。低いものならある。だから「低い意義感」なんです。生きてる以上それくらいはあるわけです。

 しかし、低い意義感ですから、それはかろうじてのものです。存在が脆弱です。だから何かの拍子で針で刺されるようなことがあると、ぺしゃんこにしぼみます。そのとき、人は、やる気がまったくわかなくなります。すると生きる意欲がスコンと低下する。そうすると鬱になります。

 鬱は怖いです。この重苦しさゆえに、自ら命を絶つ人も沢山います。

 この世では人は程度の差こそあれ、みなこれを経験しています。すると、それを今実際に経験していなくても、その可能性におびえることになります。その恐怖が、自分の心に苦い感情、苦渋感を与えます。今鬱でなくとも、その恐怖に人はいつもおびえて生きています。

 人間は、この「死の恐怖に鎖でつながれた奴隷」ですね。
イエスが「死(罪)の奴隷」と教えた人間心理の実体は、その恐怖にあります。
「みんな死ぬんだ」「死んでおしまいなんだ」という意識がルーツですから、恐怖の方がいっそう根源を言ってるわけです。

<定年近い人の根底心理>

 会社で仕事ばりばりの現役者は、「そんなことない」、とか、「何を言ってるかさっぱりわからない」、とかいわれるかも知れません。

 だが、定年が近づくと、それを知ることになるでしょう。今やリストラが盛んですから、60歳になる以前に実質定年を迎えさせられる人もいる。これも含めまして、定年近い人間は、自己の低価値感にさいなまれていくことになります。

 近々いなくなる人になるのですからね。会社が依頼する仕事も軽いものになっていきます。
つまり、意義の低い業務ですね。その変化の度合いの大きいのが、社内での「窓際」への移転です。他の社員も、その人の存在意義を低く、低く見ていくでしょう。

 それをどうしても、当人は認識せざるを得ないわけです。で、その都度傷つく。それで、毎日が低意義感に傷つく日々となります。傷は、当人の意識の重点を会社での自分、会社での仕事におきつづけている人ほどる深く、痛みの大きいものになります。時に部下の一言が激痛となることもあります。

<いい会社の条件>

 いい企業では、こういう事態への対策が施してあります。


 たとえば、年金制度を充実させて、会社にしがみつかなくてもいいようにするとか。
OB会を充実させて、退役社員を尊敬し尊重するイベントなどを周期的に行う制度を持っているとか。こうして、「あなたは意義ある存在だと今でも会社は思っていますよ」とメッセージしてくれるわけです。

 会社がこれをすると、現役社員の精神も生き生きしています。命令されなければ動かなかった「指示待ち人間」も、状況を見て臨機応変に動くようになります。これによる連携効率の上昇と、それが会社にもたらす利益には、計り知れないものがあります。

 正反対のことをしている会社もあります。そういう対策、制度が全然ない。のみならず、退いていく人間に向かって、会社の将来への情熱を語らせたり、提案させしたり、汗水流して働いている姿をアリバイとして示させたりします。自分をなげうって最後まで働いている、というアリバイを演じさせるわけですね。

 権力が集中している会社、一族会社などによくみられます。権力者が「あなた次第では、もっと会社に留まってもらうことも、あるかも知れない」という脇の甘さを一方でちらりと見せる。すると、それが退職の恐怖と組み合わさって定年近い人を突き動かす。最後の一汁まで搾り出して働く。特に、会社人間は簡単にそうなるんですね。

 働きを通して「私は、会社にとって、こんなに意義ある存在です」と懸命に訴えさせるわけです。そうしている内に本人は、退職する日が刻々と近づいてくるし、「もっと留まって会社に貢献したい」という切望がエスカレートします。

 だが、その切望が表面に出たら、権力者は突き放します。元々、留める気なんてないんだから。そのとき、当人は夢見ていたイメージ世界の逆転の中で驚き苦しみます。夢の中でいつの間にか膨張していた自分の存在意義感が、突然針で刺されてシュゥーとしぼむのですから。

 断末魔ですね。最後に断末魔の修羅になる人もいます。
 残るのは、ボロボロになって、愛し続けた会社から退いていく自分と、権力者への恨みです。

 こういう悲劇に遭うのを避ける手だてはないか。一つだけあります。知識です。人間を一番根底から突き動かしているもの、それは「自己の低意義感」だ。それが様々な症候群のルーツなのだーーーこれを知ることです。知れば、危険を避けることが出来ます。

 そして、それは聖書の知恵を借りたときに、初めてわかります。それまでは人は、本当に、ものが見えていないのです。そして聖書が言うように、まさに「知識がないことが人を滅ぼし」ます。

<死後の救い、プラス、今の救い>

 人間は、自然なままですと、自己の「低意義感」の奴隷として、それに鎖で縛られ、さいなまれる人生を送るしかありません。それが様々な症候群を派生してこの世に悲劇を造っています。

 イエスはそのことに目を開かせました。のみならず、その奴隷状態から解放され、自由になる道をも残しました。その一面は、「自己の永続者としてのイメージに、リアリティ感を与える手だて」でもあります。

 イエスの教えを受け入れると、永続のイメージ世界が自己の意識の中に出現していきます。そして、バプテスマを受けると、意識の背後にあったそれが、前面に出てきます。そして、そのリアリティ感の上昇が始まります。これは真の解放です。

 これは画期的な意識革命です。30歳になってクリスチャンになった人がいるとします。この人の意識の根底には、それまで30年の間、「死んでおしまい」「詰まるところ存在意義はない」という感覚がじっくりと育ってきています。

 そのほかの諸事にも、その感覚が浸透してきています。その結果、「低意義感」が意識全般に浸透しているわけです。

 これが、30歳を契機に、逆転を開始します。以後、彼の内には、永続意識も出現し、そのリアリティが上昇し始めます。そのなかで、あらゆる存在と、その中の自分に関する「高意義感」が育っていきます。

 3年、5年、10年とたつにつれその感覚は上昇する。そして、従来、心の中で独占的な位置を占めていた無常観、「低意義感」を圧倒するようにそれはなっていきます。他の諸事に関する感覚も変えられていきます。その結果、当人の精神は、活性化の道をたどるのです。その中で、鬱も打破されていきます。

 イエスは、人間に、死後その霊が天の王国にはいることの出来る道を切り開き、示しました。いわゆる「救い」というのはそれです。英語のサルベーションですね。

 だが、それがイエスのプレゼントの全てではないのです。この世に肉体を持って生きている今においても、人間が根底的な苦渋から解放されて生きる道、鎖を断ち切る道をイエスは残しました。

 自己の低価値感の鎖から解放されて、究極の自由をうる。Free at Last ! そして精神が活性化した状態で十全に生きられる道、これをも残してくれたーーイエスは二重の「救い主」であるのです。
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Vol.25 『水を良質ワインに変える(2章)』

2004年12月11日 | ヨハネ伝解読
 では2章に入りましょう。 

 イエスは、結局、自分に直接従う弟子として12人を選びます。これは後に12使徒と呼ばれるようになります。そのうち、ナサニエルまでの5人が弟子になるいきさつをヨハネは記しています。

 それをまさに、イエスの脇にいたからこそ書けた筆致で描いています。あとは、どうして書かなかったか。弟子選びの記述としては、もうそれで十分だったからでしょう。

 ヨハネは、続いて、結婚式でイエスが行った奇跡について書き残しています。これが後世、第2章として整理されることになったところの冒頭に記されています。

      @      @      @

 ナサニエルを弟子にしたイエスは、故郷であるガリラヤ地方に戻ってきます。この地域にカナという町があります。地図で言うとガリラヤ湖の近くで左下方、つまり南西の町です。イエスが育ったナザレは、さらにその近くの、その左下方にあります。

 そのカナの町で、婚礼があった。そこにイエス、イエスの母マリヤ、それに弟子たちも招待されます。もちろんヨハネも一緒です。それほどにまとめて招待されるとは、一体、招待主はイエスとどういう関係にあったのか。それは記されておりません。

 けれども、この時代の結婚式は、大きなお祭りです。村を挙げてみんなで何日もお祭りするのが普通だったようです。

 ともかく、彼らは婚礼の場にいた。そうしたらワインが無くなってしまいます。予想外に招待客が飲んだからでしょうか。けれども、みんなを招待してのお祭りの場で、ワインが無くなったというのは、大事件です。

 それは招いている婚家の名誉にもかかわるのです。だが、そのとき、生母マリアがイエスにそっと告げます。「ワインが無くなってしまったみたい・・・」

 これに対して、イエスは、「わたしの時はまだ来ていません」といって母の言葉をたしなめるようなことを言います。だが、そう言っておいて、実際には水を良質のブドウ酒に変える、という奇跡を行うのです。

      @      @      @

 こういう母子のやりとりを記述しているということは、著者ヨハネはイエスにくっついていたと言うことですね。かれは結婚披露宴の招待席においてもイエスの脇を固めているのです。

 また、以前はバプテスマのヨハネの側に付いていました。著者ヨハネは大物の理解者たるべく生まれたような人物、生来の側近タイプだったかも知れません。毛沢東の脇を固める生涯をおくった中国の周恩来のように。
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<第一章のまとめ>

2004年12月11日 | ヨハネ伝解読
 以上で1章が終わりました。
ヨハネ伝の1章は、大変難しい章です。
ヨハネは、ここで、イエスの教えに対する彼の理解、ヨハネ神学の大半を提示しているからです。

      @      @      @

ーーーイエスはこの世に来る前は、霊として存在していた。
霊なるイエスは、創主から出た言葉であった。
この言葉がすなわち霊であった。
そしてそれは創主と同質の霊であって、被造霊ではなかった。

その霊(言葉)が、この世で人間の肉体の姿をとったーーー。

これは、後の神学でインカーネーション(incarnation:肉化)と呼ばれるようになります。

 創世記でこの世界を創っていく「ゴッド」とは、実は霊イエスであったーーこれもヨハネの旧約聖書洞察です。
だから、イエスがこの世に来たのは、自ら造っておいて来たことになります。
「その創り主を、創られたこの世の人々は受け入れなかった」、とヨハネは書いています。
これがヨハネの創世記理解です。

      @      @     @

ーーーしかし、イエスはそうした人々を最後まで愛した。
その言葉を信じる人が、永遠のいのちを受けて、父なる創主の(天の)王国で幸福な状態で永続出来る道、そういう道を創ってイエスは王国に帰って行った。

これから私は、そのことを示そうーーーこうして1章は終わります。
では2章以降で、ヨハネは具体的にそれをどのように描いていくのか。
以下、読み下していきましょう。
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Vol.24『ナサニエルは軽薄ものか?(2)(1章)』

2004年12月09日 | ヨハネ伝解読
 前回、ナサニエルの言葉の意味に関する第二の解読として、次のものを示しました。

 すなわち、彼は「預言書(聖書)に照らして、ナザレから救い主が出るはずがない」、と言った、と。

      @      @      @

 この解釈ですと、その次のイエスの言葉にもつながりが出来ていきます。「ここにまことのイスラエルびとがいる。この人には偽りが何もない」(1章47節)がそれであります。

 イエスのいう「まことのイスラエル人」とはどんな人間でしょうか。それは、創主から受けた預言を堅く心に抱き、それに沿って生きる人です。そもそもイスラエル人の始祖としてアブラハムが選ばれるのは、彼がそういう素質を強く持った人間だったからであります。

 そのアブラハムを、創造主は、さらに、厳しく育てます。創主から出た言葉だけに沿って生きられるように、彼のふるさとを離れさせます。偶像の神々が伝統的に礼拝されているその地から、父母とも離れて旅に発てと命ずるのが、その訓練の最初です。

 そういう彼と同じ神(創造主)を拝し、その方からの預言に従う人であるというのが、イスラエル人で有ることの絶対条件です。そういう人々が繁殖してきたのが彼らの民族と言うことになっているのです。現代の彼らが全員そうであるかどうかは知りませんが。

 イエスはそれを洞察したというわけです。あるいは、ピリポに誘われたときに交わした会話を透視していたのかも知れません。そして続いて「この人には偽りが何もない」といいます。

      @      @      @

 偽りがない、とは真理があると言うことです。この場合の、真理、偽りの基準も聖書の言葉です。預言書に書いてあることが真理です。それに正確に沿って生きようとしているナサニエルをイエスは「偽りがない」といった。そういうことになります。

 けれども、結局はそれも一つの解釈にすぎない、という人もいるでしょうね。しかし、ここで、これを書いている著者ヨハネを考えてみたらいかがでしょうか。

 ヨハネは、この福音書を、言葉を選びに選んで書いています。彼の見たイエスの言動は、前述したように「もし、いちいち記すならば、全世界もその書いたものを収容できない」というほどなのです。

 そのヨハネが、「あんな下層の貧村から、大した人物が出るはずがない」というような、弟子の軽口をわざわざ記録するでしょうか。

「ナサニエルは、諸君の前ではあんなに偉そうな顔してたけど、最初はイエス様のことをこんな風に言ってた軽薄野郎だったんだよ」

   ~~といった程度のことを、凝縮した福音書の中でわざわざ言うでしょうか。

      @      @      @

 少なくともこの箇所以外を見ると、ヨハネ伝で採録されている状景、会話は、すべて皆、意味深いものばかりです。息抜きになるような軽いタッチの話は一つもない。文字通り、すべてにわたって重々しく、息苦しいくらいです。

 以上は単なる、理屈ではありませんよ。いわゆる「解釈」ではない。洞察です。まあ、第一のものとして示した解釈は、お子さま向きですね。お子さまランチ。

 ともあれ、イエスに「イチジクの木の下にいた」のを言い当てられたナサニエルは、一本参りました!と心酔してしまいます。イエスは、それにダメを押します。「この程度で心酔したのか。これからもっと大きなことを、キミは見るだろう」と。

 これで、カウント・テン。ノックアウトです。ナサニエルはイエスの5人目の弟子となりました。第1章は、この場面でおわります。
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Vol.23 『ナサニエルは軽薄ものか?(1)(1章)』

2004年12月08日 | ヨハネ伝解読
 前回のナサニエルをめぐるヨハネの記録には、読者を「?」と思わせるところがあります。ピリポたちが誘いに来たとき彼は最初、「ナザレから良いものは出ないよ」と同行を断っていますよね。彼はこの言葉を、どういう意味で言っているのでしょうか?

 これについては、二つの解釈が成り立つと思われます。一つは、ナザレは貧しい下層庶民の村だったからだ、というものです。今日流に言えば、山の手でなく下町ですね。東京なら江東区といったところかと言ったら、差別だと江東区民に怒られるかもしれませんけど。

 ともあれ、「あーんな貧しい下層の村から、いいものが出るかいナ・・・」という意味だ、というのが、解釈の一つです。

      @      @      @

 もう一つは、ナサニエルは過去の預言者の預言に照らして、「ナザレからそういう存在が出るはずがない」と言った~~という解読です。この解釈の利点は、これでいきますと前の文と筋はつながることです。

 つまり、ピリポたちの誘いの言葉を、ヨハネは

 「モーセが律法書に書き、予言者たちが記していた人に我々は出会ったんだよ」
  ~~と記録しています。これと話がつながるわけです。

 では、それなら、ナサニエルが発言の根拠とした預言はどれでしょうか。これは複数考えられます。けれども、代表は「ミカ書」という旧約聖書の預言書の次の聖句ではないでしょうか。

 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだ。だが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になるものがでる。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」(ミカ書、6章2節)

      @      @      @

 ここで、ベツレヘム・エフラテは、聖都エルサレムの西南方向8キロほどの所にある地です。地図では、エルサレムのすぐ左下に当たります。

 この当時、寒村でしたが、かつてダビデが生まれた町として知られ、別名「ダビデの町」とも呼ばれています。そして、救い主はダビデの子孫から出るという預言もあるのです。

 「その日わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす・・・」(エレミヤ書、23章5節)。

   ~~がそれです。

 また、上記で「支配者」とは「メシア、すなわち、救い主」を意味しています。救い主は、リーダッシップをもって良き支配をし、民を導くのです。

 「聖書に預言された救い主は、ダビデの町、ベツレヘムから出るとも預言されている。ナザレの大工の子だって? ナザレからそういう存在が出るはずがないではないか」

   ~~こうナサニエルは言ったのだ、という解読、これが第二です。

正解はどちらでしょうね。
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Vol.22 『4人目の弟子はピリポ、5人目はナサニエル(1章)』

2004年12月07日 | ヨハネ伝解読
 前回、記したように、イエスの方から自ら見て選んだのが4番目の弟子、ピリポでした。よほどのものを持っていたに違い有りません。彼は、霊感の飛び抜けて強い男であったこと、そしてその娘もそうであったことが、他の(聖書でない)文書に記されています。

 そのピリポが書いたものは、残されていません。霊力は飛び抜けているけれども、ヨハネのような言葉の知力には恵まれてなかったのかも知れません。こういう人はいるものです。春平太は、牧師さんでそういう人を知っています。

 説教が信徒の心を揺るがすことは、まあ、ない。けれども、この方が祈って按手をすると、クリスチャンになったばかりの人でも聖霊のバプテスマを受ける例が少なくありません。

      @      @      @

 話を戻します。そのピリポが是非、と言って誘うのが友人のナサニエルです。彼もまた、宗教上の真理を強く求め続けていた人だったに違い有りません。ところが当のナサニエル、何を思ったかこんなせりふで答えるのです。

 「ナザレから良きものが出ようものか」と。

 しかしピリポは「とにかく一緒に来て見てごらんよ」と引き下がりません。「まあ、そんなにいうなら」、とナサニエルは友達ピリポに付いてイエスの方に向かっていきます。するとこのナサニエルに対して、今度はイエスが意外なことをいうのです。

 「ここにまことのイスラエルびとがいる。この人には偽りが何もない」と。

 ナサニエルは驚きます。この人は会ったのが初めてなのに、どうしてそんなことが言えるのか、と。イエスはすかさずもう一発かませます。「ピリポがあなたを誘う前に、あなたはイチジクの木の下にいたよね。私はそれを見たのだ」と。

 ワン、ツゥーの連打。ナサニエル、これでダウンしてしまいます。そのとき、イエスは遙か別のところにいたからでしょう。

 「この人には透視能力もあるのか・・・」

 すっかり心服したナサニエル、こう言います。

「先生、あなたは創主の子です。イスラエルの王です」と。

 なにやら、単純な人間なようでもありますね。年齢も若かったのではないでしょうか。しかし、この間には他にも色々あったのでしょう。ヨハネは、すべてにわたって、簡素に書いているのです。

      @      @      @

 ところで、当のヨハネは、どうやってこれを見ていたのでしょうね。まず、ピリポがナサニエルを誘いに行くとき、このとき彼は、一緒に行っているはずですね。でないと、彼ら二人のやりとりを見ることは出来ません。

 ピリポが、

 「是非、弟子に加えたい人がいる」という。

 「だけど、頑固なやつなんでね、素直に来てくれないかも知れないんだ」と。

 で、ヨハネは「では、私も行こう」あるいは「私も見て確かめないとね」とかいって同行したに違い有りません。

 ピリポは最初「われわれは」(救い主に)出会った、とナサニエルに語りかけていますしね。証言者付きで説いているわけです。

 ともあれヨハネはだから、二人の会話を記述できた。その後、彼らと一緒にイエスのところに来た。そして、イエスとナサニエルとのやりとりも見たということでしょう。
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「罪」も簡単、律法とイエスの関係も簡単

2004年12月04日 | KINGDOM原理からの聖書解読
<「罪」ってなに?>

 聖書に触れ始めた人から、
「“罪”というのが何言ってるかよくわからんのですよね」という声をよく聞きます。

 これは、学び始めた人だけでなく、実は、「わかっていると思っている」クリスチャンも、わかってない言葉です。
罪とは「的はずれ」だと考えると、わかりやすくなりま~す、という人もいる。
ところが多くの場合、これでますますわからなくなります。

 これは、世の中で言う犯罪の罪とは違います。
両者の間には意味に重なったところもあり、重ならないところもあります。
だから、わかりにくいのです。

 英語では、言葉を分けています。
聖書で言う罪にはSINを、世の中の犯罪にはCRIMEなどを当てています。

 日本でも、翻訳するときに思案されたことでしょう。
しかし、結局いいものが見つからなかったと思われます。犯罪と同じ「罪」という語を訳語にしました。


<KINGDOMの法に沿わないこと>

 ところがこれも、KINGDOM原理から解読すると、簡単明瞭になってきます。
創主の王国であるKINGODOMには、創主が発した法がある、秩序がある、と前回書きました。

 また、この世(宇宙)には、この世の法がある、と書きましたね。
それらの間には、ずれがあるのです。同じ内容ではない。
そして罪とは、KINGDOMの法の方に沿わないことを言うのです。簡単なことです。

 そんなことが人間にあり得るか。大ありです。
人間には、KINGDOMの法が見えません。感知できません。
正確に言うと、アダムがエデンの園で創主の命令に従わなかったときから出来なくなった、
ということに聖書ではなっています。

 が、とにかく、現状として天の王国の法は感知できないのですから、従いようがないわけです。
それで、人間は、少なくとも当面この世の法に従って生きるしかありません。
あったりまえでしょう。

 罪とは、人間のその状況を言っているだけの言葉なのです。
また、聖書では「人間はみな罪人(sinner)だ」といいます。
これもあったりまえ。
みんな天の王国の法は認知できないんですから、そうしかならないでしょ。

ああ、かんたんだなあ~。


<律法ってなに?>

 次に律法です。
 これはこういうことです。人間は基本的に創造主の王国(天国)の法を認知できない。
そうしたなかでも、それが部分的に人間に知らされることがあるのです。
それが律法です。旧約聖書では、それがモーセに伝えられた、となっています。
伝えたのは創主の使い、天の王国の使い、天使です。

 天使は「KINGDOMの法はこうだよ」「これに沿わないのが罪だよ」と示したわけですね、命令として。
これは広い意味では、旧約聖書に書かれている全ての命令です。
狭い意味では、モーセがシナイ山という山で与えられた10個の命令です。

 通常は後者をさして言います。

 こうやって創主は、徐々に人間にKINGODOMの法を知らせていこうとされる、という話なんですね。
その第一弾が、律法というわけです。英語ではLAW。
こちらは、「この世」で造られる法律と同じくLAWという語で示されています。

 ところが、こちらについては、日本語は使い分けています。
この世の法が法律です。
そして、天の王国の法には、漢字をひっくり返して律法という語を造った。日本語は便利だなあ。

 今言いましたように、この世の「法律」と天の王国の「律法」とのあいだには
重なるところもありますが、重ならないところもあります。
だから、天の法である律法に従って生きようとすれば、この世の法で罰せられることもあり、
となりますよね。あったりまえでしょ。


<預言者って何?>

 聖書には預言者というのも出てきます。
これは霊感にとりわけ恵まれた人です。
彼はその霊感で「天の王国の法を、優れてよくキャッチする」んですね。

 霊感でしっかりと受信されたものは、深い確信になります。
預言者にとっては、天の王国の律法は、「これこそ本物、世界の本体」ということになります。
かれには最もリアリティ感のある真理となるわけです。

 だから、預言者は天の王国の法に従って生きようとします。
するとこの世では罰せられることになる。実際、彼らは、厳しく罰せられてきました。
イザヤという預言者などは、生きたまま身体をのこぎりで切り裂かれた、
そうして殺された、と伝えられています。

 旧約聖書は、この預言者(天の王国からの信号を霊感で受信し、それを言葉として預かる者)
の言葉が記録されたものです。
たとえば「イザヤ書」、というのは、イザヤの言葉を集めたものですね。

 だから、聖書は、「天の王国の法こそが永続する方で、真の法だ」という立場に立った本となります。
そこで、預言者にこの世で与えられる罰を、罰と言わないで「迫害」といっています。

 こういう言葉使いは、預言者の方の立場に立っているから出てくるものです。
預言者に好意的だ。
だから聖書では、KINGDOMの法を第一にして生きる人については、
「罰を受けた」といわないで「迫害」を受けた、というわけです。簡単だなあ~。



<罪・律法とイエスとの関係は?>

 では、新約聖書で登場するイエスは、これらとどういうつながりにあるか。
こう考えたらわかります。

 子供というのは、親の期待通りにはなかなか育ってくれないものですね。
でも親は、出来る限りイメージ通りに育って欲しいと思います。
その場合、二つの方法があります。

1.律法の方法

 第一は、期待に添うように、行動を規制する方法です。
「あれをしてはいけないよ、これをしてはいけないよ」、と戒め、注意を与えます。
そうやって行動を枠付けしてあげる。これが律法の方法です。

 戒めを守りつつ生きてくれれば、子供は、親の期待通りの人間に近づいていきます。

 だけど、これを守っていくのは子供には楽ではありません。
彼の性質、気質がそうなっていないのですから。
行動が、自分の気質から出る自然な結果だったら苦痛はない。
だけど、そうではないですから、親の与える規律は。

 だから、戒めは意志の力でまもらねばならない。それには苦痛が伴います。
首相の小泉さん流に言えば、「痛みが伴う」ですね。だから子供は、しばしば、守り損ないます。

 また、親の気持ちからしたら、もっともっと戒めを与えて、いっそうよくなって欲しいと思います。
そういう戒めは本来、考えていけば無数にでるものです。

 けれども、この全てを戒め・規律として「・・・してはいけない」と与えて守らせることは出来ません。
与えたって、人間の記憶には留まりません。

 だから、律法というのは、実際にはそのうちの限られた一部にしかなり得ません。
そういう不完全なもので人を変えていくという方法は、やはり限界があります。


<出来る体質の人に同化したらいい>

2.イエスの方法

 この限界を打ち破ったのが、イエスの教えた方法です。これが第二の方法です。
 それは、いうなれば親の期待通りに行動できる人、そういう性格・人格を持っている人に
「同化してしまう」という方法です。
そういう師匠を見つけ出して、子供に与えたらいい。

 天の王国の法、律法を守ると言うことからしますと、その師匠はイエスその人です。
彼は自ら、「私がその師匠である。私に同化するのが、律法を守るための完全な方法だ」
と宣言し、教えたのです。


      @      @      @

 ここで春平太が「同化」というのは、精神的な同一化です。
人はその肉体を誰かと同化させる(同じにする)ことは出来ません。
だが、イメージでは、精神的には同化できるのです。一例をあげます。

 一般に、母親というものは幼い我が子に対しては、一定の精神的同化をおこなっているものです。

 たとえば、我が子が、病気で太い注射針を腕に刺されるとします。子供は激しく泣きます。
そのとき、母親も自分の腕のその部分にちくりと痛みを感じることがあるそうです。

 どうしてそんなことが起きるか。彼女は我が子と精神的には同一化しているのです。
人間の精神は、そういうことができるように出来ているのですね。

 もう一つの例。人類が歴史的に行ってきた徒弟制度です。
ここで、弟子が師匠の技を学ぶのも、その「同化」という方法です。
ここでは弟子は、入門したら師匠の全てをまねます。仕事上の技術だけでない。
食べ物・着物の趣味も、たばこの銘柄も、喋るときの口調、冗談の言い方までまねます。

 すると、弟子は師匠に似ていきます。似ていく、すなわち、人格も性格も同化していくのです。
するとそのなかで、技術も吸収されていくのですね。
これが師匠の技を習得する、もっとも効率のいい方法、完全な方法です。
だから、人類は、歴史的に多くの国でこの制度を出現させてきたのです。

 この習得制度が実現するためには、徒弟期間中、弟子は決して自我を出してはいけません。
自己の個性を働かせてはいけない。

 自分をむなしくして、ただただ、師匠に惚れ込んで丸ごと同化していきます。
これが師匠の技を身につける最良・完全な方法です。
「身につける」というのは「自分の身に複写させる」ということですから。

 なお、自己の個性を押さえて出さない期間をすごしても、自分の個性は死にません。
人間の個性というのは、しぶといもの、簡単には死なないものです。
師匠に似て、習得を卒業すると、しばらくしてその上に出現してきます。
これが独自性、創造性です。


      @      @      @

 「天の王国の法に沿う人格・性格をつくる技術に関しては、わたしがその唯一の師匠だ」、
イエスは、自らそう宣言しました。
KINGDOM原理に沿わないところは何一つ無いのが私だ、
私は「父のKINGDOMから下って来たのだ」その「私に同化しなさい」、
これがイエスの持ってきた福音(よきしらせ)の大事な一部です。

 もし、同化できたら、その人は天の王国の王様(創造主)が希望するイメージに完全に沿った人になる道理ですね。
だから、イエスの示した方法は、完全な方法なのです。
これから改めて振り返ってみると、律法の方法は、全く効力がないわけではありませんが、
不完全でした。だからイエスは言ったのですね

 「私は、律法を完全化しにきたのだ」(マタイ伝、15章7節)

               ~~と。

<信仰でなくて信頼>

 同化する方法を、もうすこし具体的に考えましょう。
それにはまず、その対象、相手を信頼することです。
信頼してなかったら、自分の個性から批判したくなります。
批判するとは、相手を自分からつきはなして、距離を置いて観察することです。

 これでは同化は出来ません。
同化するというのは、相手を自分の意識の中に無批判で受け入れて、
自分の心身に染み込んでくるのを待つという作業ですから。

 だから必要なのは、創造主への信頼、イエスへの信頼です。
日本ではこれを信仰といっている。これはまずいですね。
そもそも信仰と訳している言葉の英語はfaithです。
beliefということもありますが、ほとんどの場合フェイスです。

 faithは、素直に訳したら、「信頼」でしょう。信じて頼ることです。これでなければいけない。
信仰となると、余計なものがくっついてきます。信じて「仰ぐ」んですから。

 「仰ぐ」というのは、やはり距離を置いて見上げている状態ですね。
人は、対象に距離を置いて対すると、同化しにくくなります。これは今述べましたね。

 さらに、仰いでいると、その対象に関して「恐れ」の感情も介入してくる危険があります。
こうなったら、もう同化は不可能です。


      @      @      @
 
 映画俳優を昔、スターといいました。今でも言いますかね。
 これは星のように高いところ、手の届かないところにあって、仰ぎ見る存在、という意味ですよね。

 そうやって仰いでいても、多少は同化できるかも知れませんが、やはり、限界があります。
だって、この状況では、「この人は私と違う」という意識が色濃く入ってきていますから。
そして、時とともに、若干のおそれの気持ちが介入してくる。

 スター作り、というのは、そういうイメージを作って大衆に植え付ける仕事です。
プロダクションや担当マネジャーは、裏でこれを懸命にやっているわけです。
その実体を見たら、人は興ざめでしょう。見ないが華。


      @      @      @

 ともあれだから、英語では、創造主、イエスへの思いをfaithといいます。
信じて頼れば、その対象に精神的に同化する度合いは、急上昇いたします。

<愛が究極の同化動因>

 さらに、同化作用を高めるのは、信頼した上で、愛する、ことです。
愛という心理作用は、自分と相手を同化させる、同化作用そのものです。
つまり、先生を信頼し愛することが、同化の決め手なのですね。

 だから、「旧約聖書の律法で、もっとも大切なことは?」と尋ねられたとき、イエスは

 「創造主(具体的にはイエス)を心から、全エネルギーをかけて愛すること」

 という主旨の答えを与えています。これが律法の目的を、完全に達成する奥義だったのですね。

      @      @      @

 要約します。
 律法に沿おうとすることによって、人は罪を犯さないようにある程度なることができます。
ところが、それは人間の心理構造からすると完全な方法ではない。
完全な方法は、イエスに同化することだ、こういう論理です。

 ああ、わかりやすい。簡単だなあ~。


<おまけ:言葉を心に留める>

 だからイエスはこうも言っています。

 「私が真理である」(ヨハネ伝、14章6節)

 では、そんなに決め手になる、イエスとの同化は、只、愛してればいいのかな。
ちょっと漠然としてるなあ。もう少し具体的にガイドしてほしいのだけど・・。

 それもイエスは教えています。

 「私の言葉が諸君の意識の中に留まること」(ヨハネ伝、15章7節)

         ーーーが、それです。
そうです。聖書に記録されているイエスの言葉が、心の内に留まっていく度合いが、
実際には、その人がイエスと同化していく度合いになるのです。

 要するに、日々、イエスの言葉を心に蓄積していけばいい。
信頼者(信仰者)のなすべきことの核心は、これです。


ーーーああ~、簡単だ。
 KINGDOM原理から解読すると、聖書の論理はなんと、簡単明瞭なることか・・・。

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Vol.21 『ペテロは第三の男だった』(1章)

2004年12月02日 | ヨハネ伝解読
 ヨハネ伝1章の後半には、弟子が決定されていく様が記されています。まず、師匠に「あれこそ創主の子羊」といわれて、イエスについていった二人の内の一人は、アンデレ(アンドリュー)です。そして、彼は兄弟のシモンを誘います。「救い主を見つけたぞ!」と。

 アンデレにイエスのもとに連れてこられたペテロは、イエスのお眼鏡にかないます。イエスはいいます、

 「君はヨハネの息子シモンだな。以後シーファスと呼ぶことにしよう」

 ~~~と。ギリシャ語に訳すとこれはペテロということになるそうです。意味は「岩」といいます。いかつい男だったのでしょうか。

 ともあれペテロは、著者ヨハネによれば、三人目の弟子です。第三の男ですね。そして、アンデレではなく、この男が、著者ヨハネと共にイエスの助さん格さんとして、その両脇を固めることになるんですね。

      @      @      @

 四人目はピリポです。彼は次の日に、入門を許可されます。

 その日、イエスはこれまでいたヨルダン川の東のベタニヤという地から、故郷のガリラヤ地方に向けて出立しようとします。そのとき、ピリポを見つけ「ついてこい」というのです。そして彼もそれに従います。

そのものずばりでかかれてはいませんが、ピリポもイエスの教えに心打たれたに違い有りません。友人のナサニエルを誘うのですから。

 彼はナサニエルにこう告げています。「モーセが律法書に書き、預言者たちが書いてきたまさにその人に出会ったぞ、ナザレのイエスだ、ヨセフの息子だ!」と。
        
 以上の四人は、みな、ガリラヤ湖の北の端にある、ベッサイダという町の出身者でした。今流にいえば、新開地の田舎者ですね。
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