前回述べた「浄土仏教はキリスト教の言い換え」という認識には、筆者はもうひとつ根拠を持っています。
日本では浄土真宗が盛んな地域の信徒は、いまでも月ごとに集まって、『正信偈(しょうしんげ)』というお経を唱和します。
また、葬式にお経を頼まれたお坊さんも、これをよく唱えますが、このお経は親鸞が作成したものです。
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「♬ 帰命無量寿如来」(きみょうむりょうじゅにょらい)」
~で始まるその偈文は、いまも、浄土真宗地域の「講」(スモールグループ)の人々が唱和する「お経」の定番です。
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その経文の中頃に、「♬善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」、というフレーズがあります。
講のメンバーは唱和を途中で小休止して、お茶を飲んだりしますが、後半の唱和に入るとき、リーダー役がこのフレーズを高々と唱えます。
これが意味するところは、次のごとしです~。
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「善導」はかの「言い換え」の集大成者、善導上人です。
「独明」は、「一人だけが明らかにわかっていた」です。
「仏正意」の「仏」は釈迦、すなわち、お釈迦様です。
「正意」は「本心」です。
つまり、「善導上人お一人だけが、お釈迦様が言わんとした本心を明察しておられました」
~と親鸞はいっているのです。
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まったく、よく言うよね。
「本心(真の意味)」とは「人間は仏の教えを信じると極楽浄土に行かれるよ」ということです。
だけど釈迦は、涅槃(心の平安)をうる方法を探求する際、
神仏など超自然な要素など一切考慮に入れておりませんよ。
いれていたら、あんな思考は出来ません。
釈迦の試みたのは、哲学なのです。
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なのに「その教え(の本心)は、実は、浄土仏教の教えだった」という。
「善導上人だけは、そのことを悟っていた」
~上記のフレーズは、それをチャッカリ言っているのです。
ホントにもう・・・。
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だが、親鸞のこの知識は、法然から伝えられたものに他なりません。
そして法然は、浄土仏教が善導上人(613-681)によって集大成された知識の体系であることを、
その著書『観無量寿経疏』を通して知っておりました。
それがお釈迦様の本心であるかどうかはともかくとして、
とにかくこの言葉は~、
「浄土仏教が仏教僧たちが作り上げた、福音(聖書)の言い換えの断片的知識を、善導がまとめ上げたものである」ことを、結果的に証言しているのです。
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浄土仏教が、キリスト教の「言い換え宗教」であることは、もはや明らかです。
だが筆者、鹿嶋はそのことを公言しませんでした。
突然そんなことを言われても、日本人はついてこられないだろう。
「鹿島春平太も狂ったか・・・」と思われるのが関の山だとみて、今日まで沈黙を守ってきました。
だが、もうそれを言い残しておくべき、と決心しました。
(続きます)