鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

21.いのちエネルギー方程式と天使変質の論理

2018年04月02日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 



今回は、霊の生死と、いのちエネルギーの論理を考えよう。





<「いのちエネルギー」図式>






 



 
図は「霊のいのちエネルギー充電度」を総合的に示すものだ。

聖書では、霊は「いのちエネルギーを蓄える充電式電池」のようなイメージだ。

「いのちエネルギー」が霊に充電されると、霊に生命力がみなぎる。

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図の横軸は時間だ。

縦軸はいのちエネルギー充電度だ。

横軸より上方がプラスの充電度ゾーン、下方がマイナスの充電度ゾーンだ。

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右下がりの斜線は、その充電度の移り変わりを示す。

それは左上から下降してきて、斜線が横軸と交わったところが、充電度ゼロの点だ。

それより上の点がプラスの充電度で、下の点がマイナスの充電度だ。

どちらも最高値は100%だ。

上がプラス100%、下がマイナス100%だ。


 

<マイナスの「いのち」とは、プラスの「死」>

横軸の下方の領域は、「マイナスのいのちエネルギー」ゾーンだが、いのちのマイナスとは、反対を意味する。

いのちの反対は、すなわち、死だ。

だから、いのちのマイナスのエネルギーとは、すなわち「死のエネルギー」となる。

そこで斜線の一番右の端は「死のエネルギー100%」ということになる。


 
 
 
<アダムとイブの話>
 
先の話になるが、今の人類の最初の存在はアダムとイブだ。

よく知られた話だから、これを使ってしまおう。

二人はまず、エデンの楽園に置かれる。

そして、創造神をワーシップしながら暮らしている。

創造神に完全に意識を向けて、そのことばを受け入れていた。

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すると意識波動は、創造主から放射されるいのちエネルギー波動と完全に協和する。

だから充電状態は完全で、その充電度はプラス100%だったことになる。

それが図の斜線の左の端の点で示されている。

エデンの園での二人は、当初は「いのちエネルギー充電度」が100%だったのだ。
 

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だが、愛しい妻のイブが悪魔に誘導される。

「園の中央の木の実を食べるな」という創造神からの命令から意識をそらして食べてしまった。

「食べたら神様のように賢くなって、もういちいち神様の命令に従わなくてもた出し判断がで出来るよ」というのがその誘惑だった。

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イブは結局食べてしまう。

そこで、「いのち」充電度が落ちていく。

アダムは仰天したが、イブを溺愛していた。

「堕ちるのも一緒」と思ったか、自分も食べて、自らの霊をも不完全充電にしてしまうのであった。

 
 
 

<霊の資質は男性を通して遺伝>


以後、原題の人間はアダムの子孫ということに聖書ではなっている。

そして霊の資質は父親を通して遺伝するというのが聖書の思想だ。

だから、その後の人類はみな不完全充電となる。

その状態が図の右下がりの斜線の中央よりやや左の人間」というポイントに示されている。

人間の充電度はプラス領域にはあるが下がってきているのだ。

 
 
 

<「敵対」天使の方程式>

ではサタン(悪魔)はどうか。

彼は元々は、天国で創造神の名を賛美する職務を与えられた天使の長だったよね。

天使は作られた霊、すなわち被造霊だ。

霊だからやはりそれは、いのちエネルギー乾電池の役割を果たしている。

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ところが前回に述べたように、彼はあるとき、与えられていた職務を放棄したよね。

そして自分の部下の天使に天国の一角で自分を賛美させた。

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これは強烈な行為だ。

アダムは創造神のことばから「意識をそらし」た。

だが、こちらはそんななまやさしいものでない。

人間の場合は、いってみれば「不従順」だった。

ところが、この賛美天使長は、不従順を通り越して創造神に「敵対」している。

そこで、充電度はゼロに向かって落ちていくだけでは収まらない。


天使は直情径行の精神をもった霊だからね。

「もうどうにも止まらない」山本リンダのように、ゼロを通りすぎてマイナスにまで行ってしまう。

こうしてその充電度はマイナス100パーセントにまで至るのだ。

 
 
 

<いのちのマイナスは「死」>

「いのちのマイナス」とはすなわち、いのちの反対で、「死」でもある。
 
悪魔はその霊が「死のエネルギー」100%でみちている存在となる。

この理解は「サタンは死の力を持つもの」という聖句(ヘブル人への手紙、2章14節)にも符合しているよ。

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この死のエネルギーを増していくことによって、賛美天使長は変質していくのだ。

そしてついに「死の力」をもった悪魔となる。

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従った配下の天使たちも、相応に変質していく。

彼らについては聖書は多くを記していないが、「天の諸々(もろもろ)の悪霊」と記されている。

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以上は、いってみれば「いのちエネルギー」方程式だな。

そしてこの原理は、聖書のすべての物語に貫徹している。

悪魔は単に「悪いことした天使がなってしまったんだよ」という、おとぎ話のような存在には聖書ではなっていない。

一貫してながれる論理法則の中で、理解できる存在なんだ。

 
今回はここまでにしておこう。



 
 
 
 
 
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