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徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1000

2016-01-02 07:48:44 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-619

23)スペインを歩く

日記から-27

9月 11日(水曜日) 晴れ

 今日の天気は珍しく雲が多い。
特に夕方は雲が多かったが、太陽の光は一日中さして暑い。

 朝、7時に起きたが、まだ暗く8時半ぐらいにならないと明るくならない。
このぐらいの時間にならないとテントを整理して出発できない。
何故なら、周りが見えないので、何かを忘れるかもしれないからである。
ずいぶん、日が短くなってきたのだと実感する。これも自然の中にいるから実感するのが早いのであろう。

 今日は昼過ぎの午後2時に一回だけの休みで歩いた。
もっとも、今日は46kmしか歩いていないから、楽でなければならないのだが、休みが少ないので、少し疲れる。
そう言えば、インドを歩いた時は2kmを歩くのがやっとで、1日に何十回と休まなくては歩けなかったことを思い出す。
もっとも、その時は肝炎であったり、回虫などもいたりして正常ではなかった。
本当にまともに歩けて、健康であることを感謝する。

 夕方、寝る所を探すが、畑ばかりで見つからない。
それと言うのも、畑の地帯だから周りには木が少ないからである。
仕方がなく、橋を見つけてその下でテントを張ろうと思い、下に行ったが、そこには犬の死骸があり止める。
その死骸は犬が紐に結ばれたまま、餓死してしまった様な感じがする。
誰かが、犬を結わえたまま、餌をやらずにいたために死んだのであろう。
とにかく、その死骸の臭いがするのと可愛そうなのとで、そこでは寝る気がしないから、移動する。

 次に数本の木が生えている所に入って行ったら、そこには乾いた草が密生している。
その草の高さが腰の所まであり、おまけにその草の種が靴下にすごく着く。(半ズボンであるから他にはあまり着かない。)
非常に参った!
そこも寝るのには良くないと思い止める。

 今、寝ようと思っている所はただの一本、大きな木がある所である。
ここにはシートだけで寝るつもりである。ところが、今見てみると大きなアリが結構いるのが心配だ。
前にアリが咬んで寝れなかったことがあったからである。今日はどうだろうか?
そう言えば、昨日はテントを張ったのだが、中に蚊が入って来て眠ることが出来なかったのであった。
今日は風が少しあるので、蚊には悩まされないだろう

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-999

2016-01-01 09:06:52 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-618

23)スペインを歩く

日記から-26

9月 10日(火曜日) 快晴 晴れ

 やっとまた歩き出すことが出来る。
今日!ついにマドリードを出発である。歩けるということが嬉しく思うのである。
ところが、これから行く最後の目的地であるポルトガルのリスボン近くのヨーロッパ大陸の最西端まで後2週間ぐらいしかない。
何だかそのことが寂しく思うのである。
マドリードで待っていた期間が3週間であったから、その期間以下でこのシンガポールからの長い旅が終わってしまうのである。
この待っていた3週間は僕の旅に一度「水を差した」感じになったが、最後の旅を楽しくしかも有意義に過ごしたいものである。
この何年間は毎日、一日の終わりには寝る場所を確保するのに苦労をし、この頃はそれに神経を使うのが疲れた感じもあった。
それにしても、今まで毎日、寝る所を探すのに苦労はしたが、どんなカタチであれ必ず寝れたということ自体が不思議である。
ところが、もうその歩きが終わるのかと思ったら、この期間は出来るだけテントを張るか、シートだけで寝るかして、自然の中に触れていたいと思うのである。

 3週間の歩かないブランクがあったのだが、まだまだ歩きは大丈夫だ。
この間、体が少し太ったようだ。もっともこれは当たり前でもある。
何故なら、毎日何もせず、酒と海産物とサラダをふんだんに食べていたからである。
そう言えば、昨日の昼も魚を買って来て自分でフライにして食べたし、夜は夜で中華料理屋で魚の酢豚のような物を食べた。
これでは太らない方がおかしい。
太ったと言っても歩いている時には普段の体重から10kgは下がっているので、この3週間で5kgぐらいは元に戻ったぐらいであろう。

 3週間ぶりにテントを張る。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-998

2015-12-31 09:11:57 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-617

23)スペインを歩く

日記から-25

9月 3日(火曜日) 
9月 4日(水曜日) 
9月 5日(木曜日)

 戸籍抄本は受け取り、手続きをして、パスポートは3日に手に入った。
ところが、お金がまだ送金されていない。
母親にお願いして、僕が日本に置いて来た僕のお金を送ってもらうのだが、その手続きが上手くいかないようだ。
母親は海外に送金などしたことがないのと、送り先が郵便局であり少し不安があるからであろう。
送金の方法を熟知していないからだとは思うが、こんな時、まだまだ海外は遠い存在であると思うのである。

9月 6日(金曜日)
9月 7日(土曜日)
9月 8日(日曜日)
9月 9日(月曜日)

 僕がいるこの時期にこのペンションに初めて日本人が来た。
彼は学生でワンダーフォーゲル部だそうで、酒はよく飲むのだそうだ。
それで、一緒に飲みに出る。
長い間飲んだ最後、彼は飲まなくなり、彼の酔っている様子がよく分かった。

 この日本人といる間は中華料理、スペイン料理など外食が増えた。
僕一人では自炊をしながら、節約をしていたがそうはいかないので、金をよく使った。

 この日曜日は見たいと思っていた闘牛をついに見に行った。
日本で言ったら、野球場の様な形をしたすり鉢型の競技場である。
今日は日曜日ということもあるし、競技場が大きいので、人が非常に多い。
この前、見ようとして見れなかった地方の闘牛場とは桁が違う。
このスペインの闘牛は以前メキシコで見た闘牛と似ている。
それは、牛を人の前で殺すのが目的だから競技中にも牛があまりにも元気だといけないのだ。
それで、牛を弱らせるために鎧をつけた馬に跨った人が長い槍で牛の急所を攻めて弱らせるのである。
その後、闘牛士が最後に長い剣を牛の急所に一度に剣の長さすべてを差込み、牛がガックとなり死んで終わりである。
わりと呆気なく殺す。また、その様子は完全になぶり殺しである。可愛そうな感じもした。
闘牛をする時間は6時から始まり8時までで終わる。その間、6回行い、6頭が死んで行った。
この闘牛を育てる時には小さい頃からイジメで反抗心を養うのだそうだ。イジメてもそれに反抗する牛をまた集めて徹底的に反抗する牛だけを集めるのだ。
だから、その牛は非常に闘争心がある牛に育つそうである。
人間も、イジメ続けたら、大人しくならないことがよく分かる。
この闘牛の場合は体力があるのでイジメにより反抗心が闘争心に変わるのだが、人間は弱い子供がイジメられるから始めは耐えているだけである。
それが何時爆発するか分からないのだ。

 9日に日本からの送金も受け取ることが出来た。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-997

2015-12-30 08:37:57 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

spain-2.jpg
フレッド一家と当時の僕。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-616

23)スペインを歩く

日記から-24

9月 2日(月曜日) 快晴

 夜、9時にフレッドの家に行く。
ところが、この時間でも彼はまだ帰って来ていないので、僕は少し待つ。彼は10時ぐらいに帰ってくる。
その後から彼と一緒に30km離れたAlcalaの町に行くと言うのである。この町は歩いて通り過ぎた町であるからまた戻って行くカタチである。
その町まではフレッドのオートバイに2人乗りで出かける。彼はスピード狂であるようだ。
夜の道路を100~120kmで走るからである。
夜中にそのスピードで走ると始め僕は通常歩いているから感覚が慣れていないので、怖く感じる。
人間がこの様なスピードでいられるのが異常であると思ったりするのである。
このスピードに慣れるということは人間の感覚が鈍くなったということではないだろうか?などと思うのである。
また、このスピードでは少し間違えたらすぐに死んでしまうのだろうな!などとも思ってしまう。
そんなことを思っている内に、このスピードに慣れて、怖くなくなって来るから不思議である。
ああ!また僕も感覚が鈍くなって来たのだな!

 そのAlcalaの町に着き、彼の友人の家を探したり、待ったりして時間を費やした。
やっと友人と会えたのが、夜の11時過ぎである。
そして、飲み屋に入り、少し酒を飲みに行く。これが一回目である。その後、その友人のアパートに行く。
そしてまた、外に飲みに出かける。これが二回目である。
この様に無茶苦茶なことをすると、何だか20歳位の時のことを思い出す。
その後もちろん、ペンションまでオートバイで帰ったのである。
その時は気分が良いのでオートバイのスピードのことなどは頭になかった。こんな事で良いのかな?
あまりにも遊び過ぎ結局、ペンションに着いたのが早朝の4時である。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-996

2015-12-29 08:42:23 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-615

23)スペインを歩く

日記から-23

8月 27日(火曜日) 曇り 快晴

 久しぶりの曇りである。また、涼しくもある。
とは言うものの昼間には一回出ただけである。だから天気のことはあまり影響がない。

 夜7時ごろからここの友人フレッドが働いているコマーシャルセンターへ行く。
そして、彼は街のカフェへ連れて行ってくれ、このスペインの南の地方の名酒を飲ませてくれる。
その酒は白濁した酒で、僕は少し粉っぽい味がするように思う。

 この後はフレッドの家に行き、彼の友人とともに夕食である。
彼と会ったのが遅かったので、ペンションに帰ったのは午前3時である。



8月 28日(水曜日) 快晴

 昨日が遅かったので昼ごろ起きる。
今日もフレッドの家で3時に会うことになる。
その後は彼の家にいた。

8月 29日(木曜日)
8月 30日(金曜日)  この間、毎日 快晴
8月 31日(土曜日)
9月 1日(日曜日)

 戸籍抄本を待っている。
まだ、それが届かない。

 この間はたまに、フレッドと会いながら過ごす。

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