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徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-995

2015-12-28 08:34:34 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-614

23)スペインを歩く

日記から-22

8月 24日(土曜日) 快晴

 今日も一日ほとんど部屋にいて、本を読んでいた。
それでもたまには外に出た。その時にBarと市場を探索した。
良い市場を見つける。ここの市場ではウサギもそのままの形で肉として売っている。



8月 25日(日曜日) 快晴

 今日は朝からスペインの友人、シング・フレッドと一緒に郊外の彼の友人の親の家に行く。
ここはマドリードの市内とは違い、庭がありプールが結構大きい。
僕はアメリカにいた時にガーディナーの仕事を2年ほどしたことがあるので、プールがある家は割りと見ている。
アメリカの庭の方がキチンと整理されている所を多く見たが、それでもここの庭にも結構広くてプールがあるというのは僕は意外である。
ここにはシング・フレッドの家族と彼の友人の家族の2家族とこの家の持ち主のおばあちゃんと僕の10人である。
そのプールの横でバーベキューをしながら長い昼食を取る。
ここではバーベキューの他、スペインの有名なパエジャも食べたし、スペインのカクテルのサングリアも飲んだ。
地元の食べ物が食べられたので大満足である。
また、ここのおばあちゃんは僕を気に入ってくれた。ありがとう。


8月 26日(月曜日) 快晴

 日本から送ってくる戸籍を待つだけなので、何もすることがなく一日中部屋にいたような気がする。
それでも昼に少しだけ、市場に出て来たことはあった。
本当に怠惰になってしまった。

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-994

2015-12-27 07:25:43 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-613

23)スペインを歩く

日記から-21

8月 22日(木曜日) 快晴
8月 23日(金曜日) 快晴

 これから、何日間は時間をつぶすだけである。それと言うのも戸籍抄本が届くのを待つためである。
それで、この2日間はほとんどゴロゴロしていた。
日本の本はこのマドリードで手に入れた本も入れると10冊以上になり、酒を飲みながらそれを読んでいるだけである。

 それにしても、僕はアル中ではないだろうか?
何故なら、昼は本を読んでいるときに酒を飲み、夜は夜で近くのBarに飲みの行くからである。
自分でも金がかかるのによく行くなと思うのである。
観光名所などがあるが、そんな所にはどうしてか行きたくない。
とにかく、何もすることがない。

 23日はマドリードに住んでいるスペイン人を訪ねた。
この人は8月14日にZaragozaを過ぎた所で会った人である。その時はマドリードに来たら、家に来たら良いと言ってくれた。
今日も彼は快く会ってくれて、彼の家に行った。
 
 彼の家は子供が二人と婦人の4人家族である。
彼の名前はシング・フレッドと言い、彼は僕と同い年で31歳である。
彼はあまり英語は出来ないので言葉がよく分からないが、彼といると良い奴であることが分かる。
23日は夕食までご馳走になり、この日曜日に彼の友人の家に行き、プールで泳ぐと言うので、約束をする。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-993

2015-12-26 09:12:59 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-612

23)スペインを歩く

日記から-20

8月 20日(火曜日) 快晴

 今朝は非常に出発が遅れる。
昨夜、あまりにも遅くまで遊んでいたからである。12時頃の出発である。
マドリードに近づき道路が広くなり中央分離帯がある。従って、交通量が多くなる。
大きな大都市に到着するのも久しぶりである。

 今日はマドリードに着いたが、出発が遅れたので、マドリードに着いたのが7時を過ぎていた。
その上、前もって聞いていたペンションに行こうとしたが、なかなか見つからない。
やっと探し当てたのであるが、遅い時間であり、何時ものように断られるとどうしようと思った。
幸い、そのペンションに入るとおばあちゃんは日本人を好きらしく、気持ちよく泊めてくれた。
しかも料金を負けてくれた。普段は800ペセタのところを600ペセタ(約932円)である。
ありがたい!



8月21日(水曜日) 快晴

 今日は歩くのではなく、手続きをすることがある。
早速、パスポートの件で大使館に行くのだが、その前に郵便局で手紙を受け取ることにする。
手紙はイランで知り合った日本の友人から小包が届いていたが、家からは手紙がなかった。
友人の小包は小説の本である。それはこれからの時間つぶしに丁度いい。

 大使館ではやはりパスポートの期限が切れているので、戸籍抄本が必要だと言う。
だからもう一度、日本の家に連絡をして、その書類を送ってくれるように頼む。
何時になったらこのマドリードに戸籍抄本が届くのだろうか?
ちなみに、日本の家までの電話料金が1000ペセタ(約1,553円)である。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-992

2015-12-25 08:39:30 | 世界徒歩旅行

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-611

23)スペインを歩く

日記から-19

8月 18日(日曜日) 快晴

 今朝はアリがあまり集まっていなかった。
昨日寝た所はシートだけで囲いがないので、こんな時はアリがよく集まるのだが、今朝はそれがなかった。
従って、感じ良く寝ることが出来た。良かった。

 今日は日曜日だから、店が閉まっている所が多い。
それで、今日もBarで食糧を手に入れる。

 今日も松の木々の中で寝る。



8月19日(月曜日) 快晴

 今朝はアリが多く集まり大変であった。
そのアリが食糧に集ったのである。始末に悪い。朝食はそのアリを出来るだけ取って食べた。
それでもたまにはアリを食べてしまう。でも今日のアリはオーストラリアのアリよりましである。
それはオーストラリアのアリはスパイシーでハッカの様な味があり、嫌だった。
ところが、ここのはその様にひどくはない。

 今日は僕の誕生日だから、寝る所はテントではなくまともにしたい。
それでAlacalという所に着き、ペンションかホテルを探す。ところが、どこでも皆、断られた。
空き部屋がある様なのに何故かな??
それで仕方なくこの町を過ぎようとした所にホテルがある。
そこで聞いてみるとダブルベッドは空いているが、シングルは空いているのかないのか分からないと言う。
とにかく、ダブルの価格1500ペセタ(約2330円、それは僕にとって非常に高い。)を払う。
その後、ホテルを出て帰って来た時にシングルが空いているか確認したら、やはりないと言う。

 今日はすべてがママならぬ一日であった。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-991

2015-12-24 04:29:35 | 世界徒歩旅行

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-610

23)スペインを歩く

日記から-18

8月 17日(土曜日) 快晴

 朝、ペンションを出る時、やはり今日もこの家の人が誰もいない。
仕方なく、今日も挨拶することも出来ず、出発することになった。何時ものことではあるが、嫌な気分である。

 今日は昨日の様ではなく落ち着いて歩くことが出来る。
それは歩く距離の目標を長く決めていないことと、歩き終わったらテントでどこにでも寝るつもりだからである。
宿所に泊まろうとすると、必ずゆっくりしたいという思いがあり、少しでも早く着きたいという気持ちから焦るのである。

 今日はバックパックを背負うのも疲れずにすむ。
もっとも、今日は43kmしか歩いていないこともあるであろう。

 昼に休んだRest Area(休憩所)に水がたくさん出ていた。
その水の冷たいことと美味しかったことはツクズクありがたく思うのである。
本当に水とは大切なものだ。水がある所は草木も茂り緑々している。何と素晴らしいことだ。
我々は緑の草木を見て安心するが、それは即ち、水があることを意味しているのであろう。

 今日もあまり高くない木々即ち、ブッシュの中でテントを張らないで、夜空を見ながら寝ることにする。

 そう言えば、今日最後に通り過ぎた村には一軒のBarがあり、そこで食糧を手に入れた。
その村は小さな村だったが、コジンマリしていて、また素朴で良い所であった。
その名前がSaucaとか言っていた。
とにかく、今日も星の下で寝る、、、、、

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