「勝様」。
勝海舟である。奥勤めを辞めた後、挨拶へと、一度赤坂の自宅を訪れたのが、この年の正月。まだふた月程前の事である。
「おてふの方様には、会えたのかい」。
大奥へ女中奉公に上がってから、ふつりと消息を絶った姉・美緒の行方を探す為に、自ら奥女中として江戸城に入り込んだ千代。
海舟の力添えで、美緒が十四代将軍・家茂の側室・てふだった事を知ったのであった。
力なく首を横に振った千代。
「姉様は、病いにてお亡くなりにございました」。
自刃した口にすれば、悲しみが増すだけである。千代は、姉は病いで亡くなったのだ。そう己にも言い聞かすかのようであった。
「そうかい。そりゃあ残念だったな」。
海舟の顔も曇る。
「何もしてやれねえで、済まなかった」。
「お気持ちだけで、姉も報われます」。
図らずも、幕閣の海舟にも告げる事が出来た。既に家茂は逝去している。美緒が慕っていた歳三への報告も済ませたところだ。もはや、美緒の遺言通り、自らの生き方を決めようとする千代であった。
「勝様は、どちらへ参られます」。
「大坂だ。海軍伝習掛りとやらを命じられちまってよ。えげれすのパークスってえのと、話をしなくちゃならねえんだ」。
既に十五代将軍の慶喜も大坂にて、仏国公使ロッシュ、英国公使パークスと会見していると言う。
何やら、世情は慌ただしく巡っているのである。
「おめえさんは、どうするんだい」。
「私は、多摩に戻ります」。
江戸や京の慌ただしさと打って変わり、多摩は政情など何の其処。至ってのどかであった。
「今日は、あの面白いお方は、御一緒ではないのですね」。
「ああ、坂本かい。あいつは京だ、長崎だ、下関だって飛んで回っててな。中々捉まらねえのよ」。
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勝海舟である。奥勤めを辞めた後、挨拶へと、一度赤坂の自宅を訪れたのが、この年の正月。まだふた月程前の事である。
「おてふの方様には、会えたのかい」。
大奥へ女中奉公に上がってから、ふつりと消息を絶った姉・美緒の行方を探す為に、自ら奥女中として江戸城に入り込んだ千代。
海舟の力添えで、美緒が十四代将軍・家茂の側室・てふだった事を知ったのであった。
力なく首を横に振った千代。
「姉様は、病いにてお亡くなりにございました」。
自刃した口にすれば、悲しみが増すだけである。千代は、姉は病いで亡くなったのだ。そう己にも言い聞かすかのようであった。
「そうかい。そりゃあ残念だったな」。
海舟の顔も曇る。
「何もしてやれねえで、済まなかった」。
「お気持ちだけで、姉も報われます」。
図らずも、幕閣の海舟にも告げる事が出来た。既に家茂は逝去している。美緒が慕っていた歳三への報告も済ませたところだ。もはや、美緒の遺言通り、自らの生き方を決めようとする千代であった。
「勝様は、どちらへ参られます」。
「大坂だ。海軍伝習掛りとやらを命じられちまってよ。えげれすのパークスってえのと、話をしなくちゃならねえんだ」。
既に十五代将軍の慶喜も大坂にて、仏国公使ロッシュ、英国公使パークスと会見していると言う。
何やら、世情は慌ただしく巡っているのである。
「おめえさんは、どうするんだい」。
「私は、多摩に戻ります」。
江戸や京の慌ただしさと打って変わり、多摩は政情など何の其処。至ってのどかであった。
「今日は、あの面白いお方は、御一緒ではないのですね」。
「ああ、坂本かい。あいつは京だ、長崎だ、下関だって飛んで回っててな。中々捉まらねえのよ」。
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