大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十

2011年12月26日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「寺尾様がそのような事を申されたのですか」。
 余計な事をと憤る伊庭八郎。その後ろをくすくす笑いながら付いて行く千代。所は、安次郎が言ったとおりに、桜真っ盛りの上野の山であった。
 「でも良うございました」。
 「何がです。真に私が剣術で、あなたを打ちのめすとお思いでしたか」。
 「そうではありませぬ。間もなく多摩に引き揚げる事になりました」。
 叔父の佐藤彦五郎が試衛館を閉め、多摩に戻る事になったと告げる千代。最期にもう一度会えて良かったと。
 「そうですか。それは残念」。
 「私を打ちのめす事が適わずにですか」。
 「馬鹿な」。
 思わず溢れる笑み。
 ひらひらと舞う桜の花びらは、二人の縁にも似通っていた。満開の桜は途方もなく美しいが、わずか数日で身落ちる儚いもの。一時だけの夢物語。
 「桜とは、儚いものにございます」。
 舞い落ちる一枚の花びらを、掌で受けた千代。己の定めを桜になぞる。
 「儚いからこそ美しい」。
 「それでも僅かな間しか、花を咲かせませぬ。一年のほとんどは、誰からも見ては貰えぬのです」。
 「ですが、こうして毎年花を咲かせるではありませぬか」。
 耐え忍んで咲かせた花であれば、尚美しいと八郎は言えば、花など咲かせなくても、時節を問わず愛でられる万年青になりたいと千代。
 「それは、離れていては心が遠ざかると言う事ですか」。
 八郎の真っ直ぐな目が、千代に注がれるのだった。
 「はい。離れておりますれば、日々に疎くなりまする」。
 「あなたもそうですか」。
 「殿方のお気持ちにございます」。
 女御は、揺るぎない思いを抱き続けられるが、男とは身近な者へと目移りを繰り返す者であると。
 「千代さんは手厳しい」。
 「そういった殿方を、多数見て参りました」。
 ほんの戯れ言のつもりであった千代。くすりと口の端を歪ませて見せるが、相反し、八郎の眉は吊り上がる。
 「男が全てそうではありません」。
 「伊庭様」。
 「千代さん、私の嫁になりませぬか」。
 まるで時の流れが、止まったかのようであった。八郎の言葉が、何度も何度も頭の中を駆け巡る。


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