慶応三年如月。寒い寒い朝、尼寺である神奈川の扇ガ谷は英勝寺門前には、ひとりの女御の姿が合った。
つい先の月まで、江戸城の奥女中だった千代である。この門を潜りさえすれば、探し求めていた姉の美緒に会える。それを信じて疑う事はなかったのである。
「庵主様。こちらに美緒と申す女御がおられると聞いて参りました」。
「はて、美緒にございまするか」。
老齢の庵主は、千代を見据えながらも素知らぬ風である。
「美緒でなければ、てふにございます」。
「てふとな。そなた、お探しの女人とは」。
「姉にございまする」。
庵主は、ふうと溜め息を付く。
「美緒と申す者も、てふと申す者も、もはやこの世にはおらぬのじゃ」。
「何を申されます。勝様と瀧山様がこちらにおるとおっしゃったのでございます」。
勝と瀧山の名を耳にし、眉をぴくりと動かした庵主であった。
「左様か。じゃが、そなたの探されておる者はおらぬのじゃ。それが、梅泉院の願いなのじゃ」。
「梅泉院、それが姉様の名なのですか」。
美緒こと梅泉院は、男児を産み落としたが、その子は僅か数日で夭逝。その後、俗世との縁を切り静かに暮らしていると庵主は告げる。
「姉様は私に、妹の千代にも会いたくないと申されておられるのですか」。
静かに頭を横に振った庵主。
「もはや梅泉院の時の流れは、止まっておるのじゃ」。
悲しみが重なり、心が耐え切れなくなった梅泉院の、時は止まり、自刃して果てたと。
そして庵主は一通の文を、千代の前に差し出すのだった。
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つい先の月まで、江戸城の奥女中だった千代である。この門を潜りさえすれば、探し求めていた姉の美緒に会える。それを信じて疑う事はなかったのである。
「庵主様。こちらに美緒と申す女御がおられると聞いて参りました」。
「はて、美緒にございまするか」。
老齢の庵主は、千代を見据えながらも素知らぬ風である。
「美緒でなければ、てふにございます」。
「てふとな。そなた、お探しの女人とは」。
「姉にございまする」。
庵主は、ふうと溜め息を付く。
「美緒と申す者も、てふと申す者も、もはやこの世にはおらぬのじゃ」。
「何を申されます。勝様と瀧山様がこちらにおるとおっしゃったのでございます」。
勝と瀧山の名を耳にし、眉をぴくりと動かした庵主であった。
「左様か。じゃが、そなたの探されておる者はおらぬのじゃ。それが、梅泉院の願いなのじゃ」。
「梅泉院、それが姉様の名なのですか」。
美緒こと梅泉院は、男児を産み落としたが、その子は僅か数日で夭逝。その後、俗世との縁を切り静かに暮らしていると庵主は告げる。
「姉様は私に、妹の千代にも会いたくないと申されておられるのですか」。
静かに頭を横に振った庵主。
「もはや梅泉院の時の流れは、止まっておるのじゃ」。
悲しみが重なり、心が耐え切れなくなった梅泉院の、時は止まり、自刃して果てたと。
そして庵主は一通の文を、千代の前に差し出すのだった。
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