今までにも何度か投稿していますが・・・
今から40年前の今日、1977年8月27日。
この日が飯田線初訪問でした。
この時の画像は既に殆どが投稿済みですが、
未掲載の画像を何枚か。
豊橋駅の飯田線ホーム先端から撮ったと思われる豊橋機関区。
本線を往く165系は普通列車でしょうか。
ここから長い飯田線の旅が始まりました。
こちらは東栄駅での交換風景。
対向列車の最後尾はクハ47の100番代。
この後、中部天竜機関区にお邪魔してEF10の22号機を撮影♪
再び辰野を目指し、中部天竜を発つ頃には夕暮れ時となり、
駒ヶ根を通過する頃にはすっかり夜も更けて。
酷い手ブレ写真で恐縮ですが・・・
色的にはとても気に入っているだけに残念。
乗車疲れが出たのでしょうか^^;
この後、辰野で帰りの夜行アルプスを待っている間に
撮ったクモニ83100の写真などは手ブレもMAXでした(惜)
1977年8月27日、飯田線にて。
今から40年前の今日、1977年8月27日。
この日が飯田線初訪問でした。
この時の画像は既に殆どが投稿済みですが、
未掲載の画像を何枚か。
豊橋駅の飯田線ホーム先端から撮ったと思われる豊橋機関区。
本線を往く165系は普通列車でしょうか。
ここから長い飯田線の旅が始まりました。
こちらは東栄駅での交換風景。
対向列車の最後尾はクハ47の100番代。
この後、中部天竜機関区にお邪魔してEF10の22号機を撮影♪
再び辰野を目指し、中部天竜を発つ頃には夕暮れ時となり、
駒ヶ根を通過する頃にはすっかり夜も更けて。
酷い手ブレ写真で恐縮ですが・・・
色的にはとても気に入っているだけに残念。
乗車疲れが出たのでしょうか^^;
この後、辰野で帰りの夜行アルプスを待っている間に
撮ったクモニ83100の写真などは手ブレもMAXでした(惜)
1977年8月27日、飯田線にて。
クハ47100番台は当時自分の持っていた国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(上)の表紙カバーを飾っていました。身延線にもいましたが、飯田線のは小窓付きの幌枠と貫通幌を備え、クモハ42と並んで好きな形式でした!
国鉄電車ガイドブック!自分も持っています^^
誠文堂新光社の横長の本ですよね。
中学時代、自分にとっての”バイブル”でした。
貫通幌を備えた狭窓車両は、いぶし銀の魅力がありましたね♪
”夜の旧国”の画像はあまり目にしたことがないように
思うので、新鮮な雰囲気で拝見致しました。クハユニ56の車内は
白熱灯かと思いますが、木質の内装や座席が引き立つ感じですね。
本線の165系、推定ですが大垣または名古屋発で、豊橋から
飯田線に入る急行「伊那」の編成ではないかとも思います。
東海道線大垣~豊橋間には153・165系の快速電車もありました。
現代のデジカメとは違い、当時の夜間撮影は三脚必須でしたものねぇ。
この時はカメラを窓枠に置いての撮影だったように思いますが、
それでもブレてしまいました(悔)
仰って頂いたように内装と明かりの雰囲気が良いですよね♪
165系は『伊那』の可能性ありですか。
本線からどのように飯田線側へと渡っていたのか、興味は尽きませんね。
東海道の快速は覚えがありまして、この日の名古屋から乗車した列車は
東京方がクハ164、名古屋方半分は159系という、”美味しい”編成でした^^
小生の飯田線の初訪問は昭和53年の夏なので一年先を越されていますね。通して乗ると7時間なので結構大変でしたね。当時は若かったですが、食料を持たずに伊那市まで(直通で)行ったので、我ながら頑張ったと思いますね。
自分の場合はいつも中部天竜支区にお邪魔しての行程でしたので、
通しで乗る大変さは体験していませんが、伊那市まででも結構な
乗車時間ですよね??
今更ながらですが、お疲れさまでした^^;
昭和53年ですと、流電にギリギリ間に合った頃ですね^^
garatahmetさまの仰る通りで、本線の165系は急行伊那路だと思われます。
大垣⇔浜松間の中京快速は153系主体の8連でしたから、違いますね、155系や159系も混結されている編成がありました。先頭がクハ153改造のクハ164ですと、塗色は165系と区別はつきませんでした
懐かしい写真を見せていただきましてありがとうございます。
拙い画像でありますが、懐かしんで頂けましたら幸いです。
コメント頂きました159系とクハ164が混在した編成で、まさに
この日の豊橋駅に降り立ちました。