伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

タラ・ダンカン 3 魔法の王杖 

2006-08-20 11:31:33 | 物語・ファンタジー・SF
 地球とは「移動の門」でつながった別世界を舞台に、オモワ帝国の女帝の姪で強い魔力を持つ少女タラ・ダンカンが、悪魔と結んだ魔術師(サングラーヴ族)のマジスターと戦うファンタジーです。

 2巻の終わりで唐突にタラ・ダンカンの争奪のため別世界の人間(魔術師)の帝国オモワ帝国が地球の人間たちに宣戦布告するというとんでもない展開になっていましたが、その話は「虚構の戦争」(シミュレーションということでしょう)をしてみてその勝負でタラ・ダンカンの居住場所を決めるということで3巻の始まりまでに終わってしまっています。はっきりいって連続ドラマで次回につなげるためによくやるやつ。3巻も終わりで突然タラ・ダンカンが行方不明になりますが、きっと同じことでしょう。こういうやり方をされると、かえって読む気が薄れますね。
 3巻の冒頭はそのシミュレーション戦争の時の魔法の衝撃でタラ・ダンカンの記憶が失われたという設定で始まりますが、これも第4章まで(上巻66頁まで)で何の問題もなく記憶が戻りその後も記憶喪失の影響とかは出てきません。2巻の発売から1年ほどたっているので記憶を失ったタラにこれまでのことを説明する形をとって読者にこれまでのことを説明するためとしか思えません。

 ストーリーは、1巻、2巻に比べて少し展開のテンポにブレーキがかかったように感じました。1巻、2巻はとんでもなく展開が速くてなかなかついて行けなかったというか、流れがわからなくなってアレッと思って読み返すこともしばしばだったので、これくらいでようやくスッと話の流れについて行けるテンポ。作者の意識が少しストーリー展開の速さ重視から登場人物の造形に比重を移したかなと感じます。
 3巻ではタラ・ダンカンも友人たちもティーンエイジャーになり、タラも帝国の世継ぎとして責任を負う場面が出てきますし、恋愛関係も出てきます。日本語版のイラストは原書に比べて異様に幼く(日本語版の3巻下巻ではビキニスタイルの戦闘服だったりロリコン色を強めていますが)成長感がありませんけど。
 深刻になって読んでもハッピーでなくなったハリー・ポッターから離れた10代読者の受け皿となれるかは、ディテール、特に人物・人間関係の綾がどこまで書き込めるかによるでしょう。
 ただ、今さらどうにもならないでしょうけど、魔法をかけるときの呪文の訳(例えば「レパリュス(ちりょうする)のまじないによって、傷が消え、痛みがおさまりますように!」)なんとかなりませんかねえ。ちょっと読んでて恥ずかしい。まあ、もともと大人が読むのには気恥ずかしい本ですけど。


原題:TARA DUNCAN ,LE SCEPTRE MAUDIT
ソフィー・オドゥワン=マミコニアン 訳:山本知子
メディアファクトリー 2006年8月4日発行 (原書は2005年)
コメント (2)
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やっぱり子どもがほしい!

2006-08-20 10:40:15 | ノンフィクション
 不妊治療専門の医師が自分たち夫婦の不妊がわかり、自分の勤務先で体外受精を繰り返した体験と、医師の立場からの不妊治療をまとめた本。

 体外受精では生理日から排卵を抑える点鼻薬を1日3回スプレーし卵胞の発育を促すための注射を1日1回するそうですが、自分が患者になってみるとスプレーの時間が守れないし筋肉注射がとても痛い(39~42頁)とか、採卵時の生理食塩水での膣内洗浄がまた結構痛い(46頁)というあたりの体験談がいいですね。人工授精は体外受精でもなかなかうまくいかず患者には「とにかく一喜一憂せずに淡々と続けるのです」と言っていても、4回目の体外受精でもうまくいかなかったとき、怒りが爆発した(158~160頁)、5回目も失敗したとき自分の勤務先以外を受診しようかと思った(161頁)という話も読ませます。
 全編を通じて夫(専門は別だけどやはり医者)とのやりとり、諍い、関係修復が繰り返されますが、そのあたりも興味深く読めます。
 精液検査をいやがる夫に「あなたも医者なんだから科学的アプローチが大事だってことはわかっているでしょう」といいながら(18頁)、私は誰がみても多産系(34頁)とか、「1回あたりの体外受精の成功率が私の年齢と条件では1/3程度。それが3回分。つまり1/3+1/3+1/3=1で100%。つまり3回目までに妊娠することになる。」(97頁)とか非科学的なことを言い出すあたりも笑わせます。

 ただ患者としての体験談を書きながら、精液検査や採精をいやがる夫たちの気持ちへの配慮は今ひとつに思えますし、不妊治療に心のケアは不要と言い切るのにも(154~155頁)、やっぱり医者側の視点優先だなと感じます。

 極端に言うとほとんどの男性に多かれ少なかれ精索静脈瘤の疑いがあり泌尿器科の医者は不妊の原因がそれかも知れないってよく言うけど手術しても何の変化もない人がほとんど(124頁)、医師自身手術手技術に習熟するためにはある程度の症例をこなす必要がありおのずと手術の対象範囲が広くなることも考えられる(181~182頁)などの話も考えさせられます。
 1回35万~50万円程度かかる体外受精(191頁)を何度も受け続けることを勧めることになる著者の立場と泌尿器科が競合するという性質から割り引いて読むべき点もありますが、いろいろな意味で考えさせられます。


田口早桐 集英社インターナショナル 2006年6月30日発行
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昨日

2006-08-19 03:10:36 | 小説
 故郷で12歳の時に娼婦の母とその客だった父を殺害したと思いこみ(実際には父を刺したが未遂)外国に逃亡し寄宿学校に収容され16歳で時計工場の労働者となり10年たった「私」が、異国での疎外感と幼少時の同級生で「腹違いの兄妹」の少女リーヌの想い出への思慕に悩みつつ、自殺やリーヌの夫の殺害を試みて果たせず、結局は失望感・虚脱感に満ちた日常に回帰する小説。

 冒頭のトラに強いられた演奏、鳥の死、ラストの鳥の死と演奏家=船人が観念的・象徴的で、小難しい印象を持ちます。おそらくは鳥が自由と自由への意思、トラは支配者(どこの?)として、旅する演奏家は何でしょう。故国の同胞でしょうか。

 私の日常の中に、裁判での通訳を依頼されたことを通じて故国からの亡命者たちとのつきあいが流れ込み、冒頭では架空の存在と述べていたリーヌが夫と乳児を連れて工場に現れ、故国と過去とのからみ、リーヌとの恋愛を軸に話が進みます。

 解説で、亡命、工場労働等が作者の実体験と重なることが説明されていますが、それがなくても、作家になろうとして原稿を書いては燃やす「私」という設定は、作者が私に自己を投影していることを示唆します。

 観念的・象徴的な部分がはさまれているところは理解しきれず、異国での疎外感と過去への憧憬、破局的行動の誘惑と未遂、失望感・虚脱感に満ちた日常への回帰というイメージ・雰囲気はつかめるけど、それは楽しいわけでもなく明確なメッセージを感じさせない、ちょっと読んで疲れる小説だなという読後感でした。


原題:HEIR
アゴタ・クリストフ 訳:堀茂樹
ハヤカワepi文庫 2006年5月15日発行 (原書は1995年)
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ビール最終戦争

2006-08-18 20:33:22 | ノンフィクション
 ビール業界4社の熾烈な戦いを描いたノンフィクション。
 シェアの上下をめぐる敵失の話、キリンのラガーの「生」化(その背景の営業部門以外の社長が3代続いたトップ人事)、サントリーのスーパーチューハイ(中高年向けブランド)のCMへのスマップの起用、アサヒの本生(発泡酒)の値下げによるブランド価値喪失、サッポロの社長交代による意趣返しによる黒ラベルの販売終了(147頁。真偽の程は定かでないとコメントされていますが)とか、エピソードとしてはおもしろい話が多数書かれています。他にも商品開発をめぐるドラマや提案型営業、増税との戦いとかもおもしろく読めます。

 ただ、エピソードが細切れで、まるで新聞の小コラムの連載かドラマの脚本のように場面がころころ変わって、ストーリーとしてはものすごく読みにくいです。書き下ろしと書かれていますが、読んでいると、書き下ろしで何でこんなに細切れなんだろうと不思議に思います。著者の主観としては、最初の細切れと最後の細切れがそれぞれの人物のドラマとしてつながるように仕立ててあるのでしょうが、読む側にはかなり離れた細切れを頭の中でつなげるのは苦痛です。テーマごとなり、人物ごとなり、時系列なりで、もう少し読みやすい編集をして欲しいと思います。


永井隆 日経ビジネス人文庫 2006年7月1日発行
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マンガ 化学が驚異的によくわかる

2006-08-15 21:27:54 | 自然科学・工学系
 化学について絵を多用した解説本です。

 前半の原子の電子配置(電子軌道)と周期表、酸化・還元、分子の極性、溶解とかについてはわかりやすいと思います。
 でも、エンタルピーが出てきたあたりから、詳しい説明をすっ飛ばしてこういうものだという感じのところが強くなり、「驚異的によくわかる」という日本語タイトルには無理があると思いました。
 高校で「化学Ⅰ」が理解できた人が復習として読んで、なるほどねというレベルの本です。ルイス構造式(外側の軌道の電子を点で表すヤツです)とか説明なしでわかることが前提になってますし。高校の時に化学がわからなかったという人が、出版社が売らんかなでつけた日本語タイトルに目を奪われて読んだら、たぶん失望するでしょう。


原題:THE CARTOON GUIDE TO CHEMISTRY
ラリー・ゴニック&クレイグ・クリドル
白揚社 2006年7月20日発行 (原書は2005年)
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アジアの歴史 東西交渉からみた前近代の世界像

2006-08-13 09:06:20 | 人文・社会科学系
 各地の気候・風土と交易路・交易関係からアジア史の全体像を考察した本です。
 アジアを南側から湿潤アジア(モンスーン地帯)、乾燥アジア(砂漠地帯)、亜湿潤アジア(森林地帯)に3分し、湿潤アジアを東アジア農耕文化圏(中国)と南アジア農耕文化圏(インド)とその南側の海洋アジアに分け、乾燥アジアを北アジア遊牧文化圏(ステップ地帯)と西アジアオアシス文化圏(砂漠地帯)に分け、北方の森林地帯(シベリア)の狩猟(特に高級奢侈品であったテン皮)を含めた6つの文化圏での富の蓄積と交換を基に歴史の展開を論じています。各国史のレベルでも、麦の中国(北部)と米の中国(南部)、麦のインド(インダス川流域)と米のインド(ガンジス川流域)と綿のインド(デカン高原)の対立と稲作地域、貿易ルート・港を支配下におくことでの歴史展開を重視しています。教科書にありがちな政治史的把握ではなく、経済史中心の把握ということになります。
 中央アジアの交易ルートを支配していたことが、イスラム教の浸透やトルコ民族の隆盛に果たした役割なども論じられています。

 著者が中央アジア史専攻ということから、前近代まではヨーロッパ文明などたいしたことはなかった、だいたいギリシャやローマを西欧文明の始まりと位置付けるのはおかしい(ギリシャ・ローマは西欧ではない、地中海は前近代はアジアの海・アフリカの海だった)、ギリシャのポリスというのも特別ではなく西アジアのオアシス国家と同じとか、アジアに肩入れする表現が目に付きますが、表現はさておき、言っている内容はうなづける点が多いと思います。
 イスラム文明の発展も、イスラムが寛容・柔軟に各地の文化・伝統を取り込んでいったためとする指摘も、特にいまどきは大事な指摘と感じます。

 この本は、1971年に書かれたものだそうですが、言葉遣いが少し古い点を除けば、今読んでもあまり違和感なく、アジア史の大きな流れについて考える材料を与えてくれると思います。


松田壽男
岩波現代文庫 2006年7月14日発行
(日本放送出版協会で1971年9月刊行)
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休暇の読書 トホホ

2006-08-12 08:55:03 | Weblog
昨日から休暇で帰省しています。
車中で岩波現代文庫「アジアの歴史」にトライ。なかなか進まず半分どまり。
うちに着くと無情な弁護士からの分厚い裁判資料の郵便がお出迎え。
加えて親父のパソコン、日本語入力システムが違って、ほかにもいろいろ設定が違って、めっちゃ打ちにくい。
更新はなかなか厳しそう。
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私が売られた日

2006-08-11 04:05:56 | 戯曲
 1859年にアメリカ南部ジョージア州で行われた史上最大の奴隷市を題材に、家族と引き裂かれて売られる奴隷の悲劇と、逃走を助ける白人、逃走をめぐる葛藤、逃走して自由を得た黒人の生き様を描いた戯曲です。
 ストーリーは12歳で両親と離ればなれにされて売られる少女エマを中心に進行しますが、さまざまな人の同時的な語りと回想で進められますので、物語は重層的になります。

 エマが売られるシーンにはつい涙ぐんでしまいますし、淡々と逃走を決意し実行するエマの姿、白人の中でも本当の愛情をかけてくれた人の恩を忘れない様子などに共感します。

 開明派の白人農場主に「奴隷制度があってニガーはどんなによかったことか。だいいちやつらが文明的になれたのも奴隷制度のおかげじゃないか。」(62頁)「2人がどうして私を裏切れたのか、いまでもわかりません。いじわるな扱いなんてこれっぽっちもしませんでしたよ。食事だってたっぷり与えました。こづかい稼ぎの仕事もさせてやったし、奴隷には一人残らず菜園まで持たせてやりました。なのに、あんなひどい仕打ちをわたしに返したんです。ええ、すぐに手を打ちましたとも。ほかの奴隷たちまで逃げ出すのをだまって待つようなバカな真似なんかできません。もう奴隷たちの言葉など信じられませんでしたからね。わたしは、隣のジェイク・ベンドルさんにそっくり売ってしまったんです。あの人はわたしみたいに奴隷を甘やかしません。」(178~179頁)「乗った舟があの日の大雨で沈んでしまい、あの5人も、あの5人を逃がそうとしたニガーびいきの白人も、一人残らず溺れ死んでいたらいいって、何度も思ったものです。」(180頁)と言わせてみたり、黒人奴隷に「わしらニガーには奴隷の暮らしがどんなにありがたいもんか、こいつにはわかっちゃいない。めんどうを見てくれる白人がいなかったら、わしらはどこにいけばいい?」(125~126頁)と言わせてみたり、問題提起しています。
 売られた奴隷たちに餞別として恩着せがましく1ドル銀貨を渡す開明派農場主に対して、一緒に売られたジョーは無視し、エマは受け取らずに農場主をにらみ続けます(119~120頁)。
 ジョーからの求婚を、結婚して子どもができたらいつかどこかに売られてしまう、奴隷になると決まった子供を産むのはイヤと拒否していたエマが、そういう時代と葛藤の中で、ジョーから一緒に逃げようと言われてあっさりと逃走を決意する(148~154頁)姿はすがすがしささえ感じます。

 そのエマがおばあさんになってからの回想で物語は幕を閉じるのですが、最後にエマが「この世でいちばん大切なのは優しい心を持つことだよ。だれかが苦しんでいるのを見て、もしあまえの心が痛んだら、それはね、おまえが優しい心を持っているってことなんだよ。」(216頁)と語るのが心にしみます。
 戯曲で短めですので、アピールもストレートですが、それだけ力強く感じます。舞台でも見てみたいと思います。


原題:DAY OF TEARS
ジュリアス・レスター 訳:金利光
あすなろ書房 2006年7月30日発行 (原書は2005年)
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崩壊する日本農業 一農業者の告発

2006-08-10 07:37:21 | ノンフィクション
 著者は、農家に生まれ、戦中・戦後は超国家主義団体に惹かれ、実験農場・りんご園で雇われたり農業機械の製造販売に従事した後、大規模農場の実現を試みて失敗したそうです。
 著者は、農家の後継者が少ないことと国際競争の観点から農家の大規模化・省力化を推進すべきという考えです。その点では政府と同じ方向です。しかし、著者の目からは、行政も農協も大規模化はお題目で実現するつもりがないと映ります。

 最初の生い立ちで農家の作業の大変さを書いた部分と補助金申請への行政の対応を書いた部分が読み応えがありました。
 この本の中心は、著者が、アメリカ流の大規模農場の実現を目指して、農家の規模拡大を推奨する行政の新農政プランで融資と補助金を申請し、その先延ばしの間に資金繰りが破綻して自己破産に至るまでの経緯です。縦割り行政とお役所仕事で、実情にあわない条件を付け、何度も書類の書き直しや手続の繰り返しを求め続ける行政、農業法人の経営を評価できない金融機関の対応への批判が書き込まれています。

 ただ、消費者の側から見ると、アメリカ型の大規模農場でヘリコプターで種籾を蒔き、除草剤を撒布して作った米に「いながのまんま」というブランドをつけて売り出す姿勢・感覚には疑問を感じました。


工藤司 同成社 2006年7月20日発行

読売新聞が8月10日(同日です。奇遇ですね)に書評(というより紹介程度)掲載
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刑務所で泣くヤツ、笑うヤツ

2006-08-09 08:04:50 | ノンフィクション
 著者の実刑確定から仮釈放までの刑務所生活を綴ったルポです。
 新しい分、これまでに出たものに比べて外国人受刑者との交流が描かれているのが特色でしょうか。新潟刑務所内で、他の受刑者に刺青を彫ったとか、玉を埋め込んだとかとかの話も興味深いです。

 でも、仕事柄気になったのは、最初の方の弁護士との面会シーン。
 これまで裏稼業でばんばん稼いで来たのに刑務所帰りとなると再度の刑務所行きを恐れて気弱になってしまうのではないかということを恐れて「オレは・・・刑務所から戻ってきて、はたして立ち直れるでしょうか」と聞く著者に「大丈夫だよ。・・・あなたみたいなタイプは、刑務所に入ったからといっても根本にある、あなた本来が持っている本質的な性格は変わるもんじゃない。あなたなら、またやり直せるって!。」(15~16頁)って答えた弁護士って・・・。うーん、この著者、歌舞伎町のぼったくりグループの総帥だった(11頁)わけで、弁護士としては刑務所で反省して心を入れ替えて立ち直ってもらいたいと考えると思うんですがねえ・・・。著者の側の受け取り方でニュアンス変わってるかも知れませんけど。このケースで上告しても無駄と説得する弁護士の話はよくわかるんですが・・・。ちょっと考えさせられました。


影野臣直 河出書房新社 2006年4月30日発行
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