SHOじいの独り言

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ショー・コスギ

2010-11-30 17:08:15 | 日記・エッセイ・コラム

 20数年前、初めてニューヨークのブルックリンに出張した。当時のブルックリンは大変治安の悪い街だったが、少し住みなれてきた頃にアパートの周辺を散策していて、ある映画館で「Enter the Ninjya」(燃えよ忍者)By Sho Kosugiという看板を見つけた。自分の英語名と同じ”SHO"と”Ninjya”に興味をそそられて、こわごわ映画館に入りその映画を観た。        大変面白かったし、ショー・コスギのカッコ良さにすぐにフアンになった。

 帰国後、彼の映画を探したがほとんどが ”日本未公開”作品で残念ながら見ることができなかった。アメリカでは人気スターでも、日本では無名の俳優であった。     

 その後彼のことは私の記憶からは遠ざかっていたのだが、姫路城で英語ガイドの練習をしていた時、映画撮影の下見と称して突然私の目の前に現れた。さすがにびっくりはしたが、とっさに手を出して握手を求めていたのには自分でも驚きだった。

 今、リポビタンデーのテレビCMで 「ファイト! いっぱーつ!!」 と叫んでいるケイン・コスギはあのショー・コスギの長男である。


ボランテイア体験 (2)

2010-11-15 11:06:37 | 日記・エッセイ・コラム

 週1回のペースで、これも ”行ける時に” の精神で、身体障害者自立支援施設を訪ねて話し相手的なボランティアをしている。

 この施設は食事と排泄の介助が必要な人(すべてが車いす使用)を対象に、入所者とデイサービスの人達を受け入れている。 施設職員は介護の方で多忙なので、入所者(約二十数名)のリクエストを聞いてできる事をする。 言語障害の程度も人によりまちまちなので、筆談、指さし会話(文字盤の文字を指でさして会話する)など、ジェスチャーも交えてコミュニケーションをとる。

 最初の一年間くらいは、いろいろな人とのコミュニケーションを体験的にトライしてみたが、今は数人の人と世間話、お城の好きな人とはお城の情報交換、クロスワードパズルを一緒に解いたり、花の好きな人にはデジカメで撮った写真を見せてあげたり、相撲のシーズンなら相撲の話、絵本の読み聞かせ、字の練習(ひらがな、カタカナ、漢字etc.) そのつど臨機応変にやっている。

 人によっては感情の起伏の激しい人もいるので、職員に様子を聞いてから行動する事にしている。押し付けは控え、極力聞き手にまわることにしているが、なかなかこれが難しい。

 ターゲットとか、ここまでやればOKというのが無いので毎回「これでええのかな?」と自問自答しながら1年半やってきたけど、深く考えないでSHOじいが行くことによって何人かの人が喜んでくれたら ”OK” としてもう少し続けてみようと思っている。


大吉

2010-11-13 16:36:55 | 日記・エッセイ・コラム
 今週の木曜日、<エッセイ講座>受講のため姫路文学館に向かっていた。途中、きたる結婚記念日に”おいしいステーキ”を食べたいと思い、姫路駅の観光案内所に立ち寄って、顔なじみの受付嬢にお勧めの店を紹介してもらうことにした。
 案内所に入るやいなやその女性が小声で私にささやいた、「秋川さんが来ています」。「えっ、どこの秋川さん?」と私。「あの<千の風に乗って>の秋川さんですよ!」、「えー!・・・」と私。 そう、あの「千の風に乗って」を歌っている”秋川雅史”さんその人がそこに立って居たのである。 今夜姫路でコンサートが予定されており、時間があるので一人で姫路市内を散策しているとのことだった。
 そのあとは女性ばかりの列の最後尾で、ひたすら握手の順番を待っているSHOじいであった。しっかり握手をしてもらったが、とんだミーハーおじさんを演じてしまった。
 その後さらに文学館を目指して歩いていると、姫路のゆるキャラ”しろまる姫”がチラシを配っているのをもらうと、「先着1000名様にタマゴ6個プレゼント」とある。さっそく、お城前の「は」屋敷の店で玉子をゲットした。なんともかんとも、ラッキーな日であった。
 そう言えば、今年の初詣で引いたおみくじは「「大吉」」だった。
 






ボランティア体験 (1)

2010-11-09 10:21:25 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年から身近な場所でのボランテイアをやっている。”できる時に、できる事を、できるだけ”をモットーにして・・・。

 そのうちのひとつは不定期(ボランティアセンターから要請があり、スケジュールが合えば)ではあるが、視覚障がい(害とは表記しない)者が卓球を楽しむ時のサポート、つまり審判や玉拾いをしながら待っている人との交流もするボランティアである。

 この場合の卓球は正式には”サウンド・テーブル・テニス”と呼ぶらしい。

 簡単に内容を紹介すると、卓球台とネットは一般のものと大差ないが競技はボールをネットの下でころがして行い、各コートのエンド全般とサイドの半分までは木の壁になっていてボールは跳ね返る。                                                       ラケットは木製でラバーはなし(音が出るように)、ボールは中に固形物が入っていてガラガラ音がする。サーブ権のためのじゃんけんは”声だしじゃんけん”、サーブをする時はサーバーが「いきます」と声をかけてレシーバーが「はい」と言って試合開始となる。当然の事ながらすべて音が基本である。 詳しいルールは省略。

 先日、視覚障がい者向けの”AED使用講習会”があり、サポートとして参加した。この場合は、参加者の目の代わりをすることになる。

 参加者の人に質問をしてみた。「我々(目の見える人)は人ごみの中で後ろから人に見られた時、視線を感じることがあります。あなた方の場合は感覚がより鋭いと思うのですが、視線は感じますか?」と。 答えは「先天的な視覚障がい者は無理でしょう。ただし、後天的に見えなくなった場合、つまり視覚体験のある人達には”視線”を感じることもあるようです」とのことだった。 

勉強になります。


John と Bill

2010-11-03 16:48:01 | 日記・エッセイ・コラム
 Johnは10年来、Billは数年来の友人であり、アメリカ人。二人とも小生が現役時代に勤めていた会社の駐在検査官(客先がメーカーに検査官を駐在させ、着手から完成まで品質を確認する)だった(Billはまだ現役)。
 数年間アメリカのプロジェクトに従事していたので検査官とは接触が多く、特にこの二人とはウマが合った。毎週水曜日は定時退場日だったので ”ウイークリー・ミーティング” と称して、会社近くの立ち飲み屋へ週替わりで訪れては”ノミ(飲み)ニケーション”を深めていた。
 そして、この”ミーティングは小生が台湾プロジェクトに移るまで数年続き、最後の頃、場所はJR兵庫駅周辺から神戸駅界隈まで広がっていた。
 台湾への長期出張が続く中でも月1回の帰国時に実行し、名前も ”マンスリー・ミーテイング”になっており、小生の退職後も明石や垂水で続けていた。
 その後、John が現役を退いてアメリカのフィラデルフィアに帰り、アラスカ・サンディエゴ・ハワイ経由で来年春訪日予定なので、3人での”ウイークリー・ミーティング”はしばらくお預けである。 なお、彼ら(Johnと日本人妻)がハワイに滞在中に我々も合流したいと思っている。
 
 ちなみに、Billとの ”ミーティング” は今も続けており、毎回 「John」のネームプレートを持参して写真を撮り、メールでJohnに送っている。
 現在の小生の ”Best Friends” である。