完全な請け売りだけど、面白かったのでブログに残しておく。
ばあばから借りた雑誌に、102歳の女性がエッセイの中で書いていたものだ。
「『愚痴をこぼす』とい言います。愚痴はこぼすものです。こぼれるのは、溢れるからです。溢れる愚痴は、こぼさなければ、腹がいっぱいになります。だから、愚痴はこぼして良いのです。」だそうだ。
おなかが一杯になる前に、愚痴をこぼしましょう! ただ、聞いてくれる人がいればいいのだけれど…。
完全な請け売りだけど、面白かったのでブログに残しておく。
ばあばから借りた雑誌に、102歳の女性がエッセイの中で書いていたものだ。
「『愚痴をこぼす』とい言います。愚痴はこぼすものです。こぼれるのは、溢れるからです。溢れる愚痴は、こぼさなければ、腹がいっぱいになります。だから、愚痴はこぼして良いのです。」だそうだ。
おなかが一杯になる前に、愚痴をこぼしましょう! ただ、聞いてくれる人がいればいいのだけれど…。
ご存じ、 村上 春樹 のベストセラーのタイトルである。
毎年、ノーベル賞の候補に挙がりながら、なかなか受賞できないでいる。推挙する人、他の候補者、運もあるのだろうか?
ドナルド・キーンさん(最近、日本国籍を取得して日本を終の棲家と決めた、アメリカの日本文化研究者)が自伝にノーベル文学賞についてのエピソードを書いていたので紹介する。
「『ノーベル文学賞が三島由紀夫と川端康成を殺した』と誰かが言っていたが本当だと思う。当時は三島由紀夫が最有力候補で、三島も受賞を心待ちにしていたのだが、最終的には川端が受賞してしまった。
三島は次の日本人の受賞までには20年はかかることを知っていた。で、彼は大変落胆した結果、かの衝撃的な『自衛隊駐屯地での割腹自決』を実行した。ノーベル賞問題がその一因であったかも知れない」
そして、川端康成も最終的にはノーベル賞が重荷になってか、彼もその後自殺してしまった。
日本をこよなく愛し、3.11を契機に、80歳を超えてから日本人になり、終の棲家を日本と決めたアメリカ人である。
1945年(終戦の年)、大好きな日本を離れざるを得なくなった時の心境を次のように自伝に書いている。
「出航する船のデッキから朝日を浴びてピンク色に染まった雪の富士が姿を現した。感動のあまり、私は涙が出そうになった。かつて誰かが言ったことがあった。『日本を去る際に富士を見たものは、必ず戻ってくる』と。それが本当であって欲しいと思った」と。
そう言えば、これと同じような体験を私もしていた。 26年前、初めてのアメリカ出張の帰国時に、機窓から富士山が見えた時には本当に感動で涙が出てしまった。
やっぱり、日本が ”サイコー” だと思う。
通常、日本大好きな外国人だと、自分の名前を漢字にする傾向にあるが、彼はそんなことはせず、『ドナルド・キーン』で通した。
以前、『みぎ?ひだり?』で姫路城のお濠は左巻きで、江戸城のそれは右巻きだと書いた。
日本のお城でお濠が渦巻きなのは、江戸城と姫路城だけらしい。そして、それには戦略的な意味があるとの説を歴史講座で知ったので、紹介する。
家康が将軍になった時は、当然江戸城に居た。その頃は、未だ豊臣恩顧の大名が西国に多く残っていたので、姫路城に娘婿の池田輝政を配して見張らせた。お濠は『左巻き』なので、台風なら風邪は西の方に吹く。
一方、東北の方には上杉等の危険分子が居るので、江戸城から見張り、お濠は『右回り』なので風は東の方に吹く。
これが意図的か、偶然かは不明だがロマンがあって面白いと思う。
ちなみに江戸城の築城者は大田道灌で、姫路城は池田輝政である。
自治会役員の今年、秋祭りで、初めてやっさ(屋台)と共にわが町をほぼくまなく歩いて回った。
2日間、朝の7時半に自治会館に行くと、朝から宴会だった。ビール・酒・、焼酎にオードブル・すし・刺身など食べ放題で、それはそれは豪華だった。 朝から盛り上がり、その延長線上で屋台会館に出向き、屋台の蔵出しから町内練り歩きにつながってゆく。
おそらく、最初で最後の貴重な経験になると思う。2日間とも雨模様だったのが、残念ではあった。 ばあばも2日目、雨の中を付き合ってくれた。
来年は、10月13日は土曜日、14日は日曜日となる。