SHOじいの独り言

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チョーさん

2010-10-27 14:35:37 | 日記・エッセイ・コラム

と、言ってもザ・ドリフターズの亡きいかりや長介さんのことではない。

 10月14日、文章講座受講のため姫路文学館に出かけていた。帰宅後、朝刊を読み直していると「今日は何の日?」の欄に「巨人・長嶋茂雄が引退!」とあった。そう、1974年のこの日、わが”チョーさん”こと長嶋茂雄は「巨人軍は永久に不滅です」との名言を残して引退してしまった。そのニュースを聞いた時に、ただただ茫然自失状態になった。

 小学校低学年の頃から熱烈な長嶋フアンで、巨人は負けても長嶋さえ打てば良いという”長嶋オタク”だった。背番号は”3”、トイレは必ず右側(右打者)から三番目で、空くまで待ってでも確保した。とにかく、番号の付いているものはすべて”3”でないとダメで、今でも実践している。

 何のコマーシャルだったか「ミスターサンヨー、長嶋さん」というフレーズが今でもすぐに思い浮かぶ。「ここで一発欲しい」と思った時にはほぼ百パーセント打ってくれた。「神さま、仏さま、長嶋さま!」と何度叫んだことか?

 神戸の”重厚長大”会社に就職後、ニューヨークに出張する機会を得た。その時、チャイナタウンで夕食のために入った中華レストランで、偶然にも長嶋さんのサイン入り写真を見つけた時には、その偶然と幸運に興奮のあまり小躍りしてしまった。

 そして、長嶋さんのアメリカに関する珍語録を思い出して一人ほほ笑んだ。(「アメリカの首都?シカゴにきまってるじゃないですか!」、アメリカでマクドナルドを見て「アメリカにも進出してるんだ」、アメリカに行った時「こっちは、外車ばかりだねえ。さすがアメリカだ」)等々、本当に憎めない人なのである。

 その後、長嶋さんが脳梗塞で倒れた時、再度茫然自失状態に陥り、この時は「巨人軍は永久に不滅でなくて良いから、長嶋さんは永遠に不滅であって欲しい」と真剣に思った。

 私が結婚したのも、この年であった。

                         姫路文学館 文章講座(2010,10.26)


スポーツ履歴

2010-10-14 10:02:35 | 日記・エッセイ・コラム

小学校時代は野球少年(?)で近所の軟式野球チームでなぜかキャッチャーをやっていた。中学に進学して野球部に入りたかったが、練習風景を見てそのレベルの高さに「これは無理や」と断念した。高校ではアルバイトをやっていたので部活はやらずに時間をみては卓球に熱中していた。

会社に入ってからは会社の仲間による草野球チームで軟式野球、またなぜか人事の人から薦められて会社のハンドボール部に所属して全国に試合に出かけた。もちろん万年補欠、でもそれなりに楽しかった。あとは社内大会のバドミントン、ソフトボール、サッカー、バレーボールなどなど、なんでも顔を突っ込んでいた。

最後の方(体育会系から文科系に転身する前)は高砂のバドミントングループに属してバドミントンに打ち込み、海外出張の機会が増えるにつれてスポーツからは遠ざかった。

HパパとYパパが小学生の頃、夏休みには毎週と言っていいほど高砂市民プールに通っていた。ある時、水泳大会があり、当日のエントリーが可能との事だったので早速平泳ぎの部に申し込んだ。いよいよ出番が来て「○○くーん」とアナウンスがあり、踏切り板に上がって左右を見ると小学生ばかり、なんかおかしいなと思い周りの雰囲気もおかしかったが、とりあえずスタート、結果は2位だった。あとでわかったのだが、それは小学生の大会で申込時に子供を連れていたので受付係もまさか大人がエントリーするとは思っていなかったらしい。あとでみんなで大笑い。

Hパパ、Yパパがこの出来事を憶えているかどうか? もし、憶えているのならあの時の感想をコメントして欲しい。


50年目の修学旅行

2010-10-09 16:46:14 | インポート

 約50年ぶりにかって行けなかった小学校の修学旅行に行ってきた。四国香川県に住んでおり当時の修学旅行先は高知だったが、当日は運悪く病気(病名は忘れたが)で参加できずに、悔しい思いをした。今回の企画および引率はカミさんであった。

 今、高知はどこに行っても「龍馬、龍馬」ですごいブームだった。今回の目的は高知城・龍馬記念館を訪れ、桂浜の国民宿舎に泊まること。

 高知城ではボランテイアガイドさんの案内でカミさんと共に、城にまつわる歴史のプチ勉強もした。桂浜では ”天使の梯子付” の日の出を見ることができてラッキーだった。

 国民宿舎の温泉で会った人が岸和田から来ており、実はその週の前半にお城の講習会に参加し、その時の講義対象が「岸和田城跡」だったので、ほんとに奇遇だった。

 姫路ー岡山間は新幹線、岡山ー高知間は特急を利用した。行きのひかりは7号車・7番・A席(ラッキー7・7でエー[良い]席)で幸先は抜群であった。

 新幹線といえば、面白い事を見つけた。姫路ー岡山間(ノンストップ)は行きは「ひかり」で帰りは「のぞみ」だったが、所要時間(ダイア上で)はひかりが19分、のぞみでは21分かかり、のぞみの方が2分余計にかかることになっている。

なおいつものことであるが、列車での移動中小生はほとんどがウトウト居眠り、カミさんは景色を楽しんだり写真を撮ったりであまり寝ているのを見たことがない。

ナビゲーター(カミさん)のおかげで楽しい修学旅行(アルコール付)だった。


アルバイト

2010-10-04 16:43:15 | 日記・エッセイ・コラム

買い物 & ウオーキングの帰りにふと高校時代(四国、香川県)のアルバイトについて思い出していた。何がきっかけかは判らないが・・・。

 高校3年間通しでやったのは朝の新聞配達、妹も途中からやっていた。折り込みチラシは自分で差しこむ必要があったので、朝店に着いて広告が沢山ある時はがっかりしたものだ。でも、いい事もあった。脚力が付き、校内マラソンの順位が学年ごとに面白いくらい上がっていったのだ。

 主に夏休みには近くのテントやさんの助手として商店のテントの新設やテント布の張り替える仕事をした。市内がほとんどだったが、たまに県外(徳島、愛媛)への近距離出張もあったので結構楽しかったし、アルバイト代も割に良かったので卒業まで続いた。

 海が近かったので普段は砂浜でゴカイ獲り、大潮の時は鍛冶屋に特注で作ってもらった専用の道具でマムシを獲って釣り具屋に売りに行った。

 ある夏休み、工業高校に通っていた関係である鉄工所から声がかかり、工場の雑用をやっていたがあまりにも暑くてしんどかったので、3日くらいで挫折してしまった。

今は、新聞に投稿したり、何かのモニターになったりして図書券や少しの謝礼をもらうのがアルバイトにあたるのかな?


映画漬け

2010-10-01 16:54:34 | 日記・エッセイ・コラム

28・29日の2日間で4本の映画を観てきた。40年以上も前の日本映画でもちろんモノクロ。いつもはハリウッド映画ばかり観ているSHOじいとしては珍しい。それもこれも、最近は観たい映画が少ないのが理由の一つだ。

観た映画のタイトルは「飢餓海峡」(原作:水上勉)、「白い巨塔」(原作:山崎豊子)、「張り込み」(原作:松本清張)、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(原作:松本清張)で合計約9時間。もう映画マラソンのようで、さすがに観終わった時はどっと疲れを感じた。

三国連太郎、高倉健、田宮二郎、田村高廣、菅井きん、小林桂樹、児玉清さんなどが若い若い! --- 若い読者には知らない人の方が多いと思うが・・・。

実は今回の映画鑑賞は1泊2日で敢行、周りからは”もったいない”のブーイングの声も多かったことも事実であるが、おかげさんで久しぶりの出張(自費)気分も味わうことができた。