SHOじいの独り言

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あとふたつ

2011-02-28 11:06:21 | 日記・エッセイ・コラム

 京都の「醍醐寺」に行ってきた。西国33所巡りの第11番札所のお寺だ。

 大きなお寺で、「上醍醐」、「下醍醐」二つお堂があって山の上の「上醍醐」が札所になっている。

 ちょうど、一年に一度のお祭りの日で、「鏡餅の持ち上げ大会」をやっており、運良く女性の方の新記録達成の瞬間に立ち会うことができた。

 競技は二段積みの鏡餅を体に乗せて、以下に長く持ち(餅?)こたえるかを競うもので、鏡餅の重量は男性150kg、女性は90kg。この日女性は新記録で10分と1秒、男性の競技は見なかったが、あとで新聞を見ると5分そこそこだった。やはり、ここでも女性強しか?

 今回の醍醐寺訪問で、33所のうち残るは2カ所のみとなった。残る滋賀県の「観音正寺」は3月に、最後満願の岐阜県の「華厳寺」は桜が満開の頃に「青春18きっぷ」で訪れる計画をわが家の旅行コーディネーター(家内)に依頼したところである。

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川 と 四季

2011-02-19 14:45:10 | 日記・エッセイ・コラム

 これまでの人生を振り返ってみると、節目で川(河)がかかわっている事に気づいたのでたどってみることにした。

 小学校までは京都三条大橋の近くに住んでおり、近くの「鴨川」で水遊びそして「疏水」(琵琶湖の水を京都に運ぶ人口の川で、深く流れも速かった)では泳ぎを覚えた。

 中学・高校は四国香川の丸亀に住み、「土器川」で魚釣り・魚取り(ウナギの穴釣りなど)や川沿いの竹藪でカスミ網でウグイスを捕まえたり、色々な冒険を経験した。

 新婚の約1年は神戸東灘の社宅に住み、近くを人工の「住吉川」が流れており、コンクリートの遊歩道があり、格好の散歩コースだった。

 1回目のアメリカ長期出張時には、マンハッタンの東側に職場があってその前を「イースト・リバー」が流れていた。大きな河できれいではなかったが、昼休みには釣りをしたりマンハッタンの摩天楼や自由の女神像を眺めたりしていた。

 2回目のアメリカ長期出張時には「ハドソン河」の沿岸に職場があったので、毎日河を眺めながらメトロノース鉄道で通勤していた。その沿線に旧ヤンキースタジアムがあった。

 札幌への単身赴任時にはアパートの近くに「豊平川」が流れており、冬は白銀の世界そして気候の良い時には散歩やサイクリングコースにと癒された。

 台湾高雄への出張時には、ホテルのすぐ横を「愛河(あいがわ)」あって、特にライトアップされた夜がきれいだった。昼間は濁っていて異臭もしており、河の名前とは程遠かった。

 今住んでいる高砂の家の近くには「天川(あまかわ)」という小さくきれいでない三級河川がある。今は深くて入ることはできないが、子供たちが小さい頃は干潮になると川に入って魚取りなどを楽しませてくれた。筆者が「鴨川」や「土器川」で覚えた「川遊びのテクニック」を子供たちに伝承するための格好の「場」になってくれた貴重な川だ。

 やはり、日本の川が最高だ。四季折々の姿があり、バックにある田園風景も季節によって変化を見せてくれてノスタルジックである。筆者が知っている範囲での外国の川(河)は濁っていて、四季の代わり目もはっきりしないし、なんか大雑把な印象しかない。

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ユニーク --- 文章講座に参加して

2011-02-14 11:36:48 | 日記・エッセイ・コラム

 「ハトが豆鉄砲を食らった」と言うよりは「いきなり機銃掃射を受けた」という表現の方がピッタリはまるような、衝撃的な初回の講座説明会だった。

 個性的な講師に個性の強そうな参加者、中でも『説明を聞いて、参加を決めるまでは個人情報は公開しません』とのたまわう女子にはさすがにたまげてしまった。

 『これはすごい講座になるぞ』と思いながらも「怖いもの見たさ」感覚で受講することに決めた。

 講座内容は各人の作品を読んで、参加者は感想を述べ、講師は批評をする進め方であった。しかし、作者の意図説明や反論はなしというルールには正直参った。その場で言いたいことが言えないのは、非常にストレスフルである。

 そこで、心の中で大いにカウンターコメントすることで対処した。また、各人の作品に点数をつけるというルールもあり面食らったが、自分の進歩の目安くらいにはなるかもしれないと、あまり気にしないことにした。

 講座の受講中に「自前」のエッセイを新聞に投稿、掲載されたので少し誇らしく思っていた。

 ところが、掲載文と原文を比べてみて、愕然とした。冗長な言葉・表現がこれでもかばかり削除・変更されていた。講座での講師の指導内容が全然守れていなかったのだ。何回も何回も読み直して、猛省したことは言うまでもない。

 今後は禁じ手と最小限のルールを守り、文章のブラッシュアップ・スパイスアップに励み、個性だけは失わないようにしてゆく所存だ。講師の『カタカナ言葉が多すぎる!』との忠告が聞こえてきそうであるが・・・。

 このユニークな講座にこれまで無欠席で参加できたので、応用講座に進んでも何とか生き残れると思う。

 ちなみに、「ユニーク」の日本語訳は「個性的な」「独特の」「大変珍しい」「風変わりな」である。

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「小椋佳」的生き方

2011-02-12 10:50:16 | 日記・エッセイ・コラム

 人の一生を四季に当てはめてみることがある。「春夏秋冬」ただし、寒くて暗い「冬」はあまりにも辛いので除外することにしている。人生80年として、春が20歳代、夏が40歳代、そして秋が60歳代だとすると、今は初秋の辺りに位置していることになる。

 我々の世代、つまり団塊の世代の代表的歌手に「小椋佳」さんがいる。彼は自分の人生を三段階に区切って計画し実行している。具体的には25歳まではサラリーマン兼歌手、26歳から50歳まではサラリーマン専業、50才以降はミュージカルのプロデュース等好きな道をまい進すること。素晴らしい!

 私も「小椋佳的生き方」に共感、60歳であっさり引退した。退職金と年金の繰り上げ受給により、何とかやっていけるとの試算で「恐妻」の認可も下りた。

 60歳以降は小椋さんのように、今までとはまったく異なる「第二の人生」を送ると家族には宣言したのだが・・・。

 退職後は早朝のウオーキング、趣味の映画鑑賞、漢字検定受験、英語ガイド養成・日本語講師養成・要約筆記者養成・福祉ボランティア等の講座を受講するなど、自分探しの期間に充てた。途中、ソフトランディングつまり週2・3日働き、あとは趣味やボランティア活動に充てながら仕事を減らしてゆくべきだったかなと後悔したりもした。また、自分史作成も引退後の仕事と決めていたが、過去のことばかり振り返ることの愚かさを悟り、断念した。

 現在約2年が過ぎてようやく生活のリズムができてきたように思う。目的を伴ったウオーキング、適度のボランテイア活動、週一ペースでの映画鑑賞、自治会等の地域活動、家内との小旅行および自分史に代えて、少し過去の事も含めたエッセイを家族向けのブログに掲載し、残している。

 「小椋佳的生き方」には程遠いが、晩秋が訪れる前に「中秋の名月」を少しでも長く楽しめたら良いと思っている。

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